尾鷲トレイル 一撃


一撃。一撃必殺。

一撃で仕留めてきましたよハハとなんでもないことのように言ってみたいけど、どうも仕留められた側なのはこちらだという気がしてくる。

尾鷲トレイルを知ったのは昨年のこと。長い距離を歩いたあとに海に辿り着けるルートが、山行として一番美しいみたいなことを考えて、日本中のありとあらゆるルートを探していた時期があった。熊野や尾鷲の周辺はバイクで何度か巡ったことがあり、あの海と山の綺麗な地域でそんな風にルートを上手く繋げられたらいいなとふいに考えて、何気なく検索ウインドウに「尾鷲 トレ」と、ここまで入力すると、サジェストに「尾鷲トレイル 一撃」というのが出てきた。尾鷲トレイルのみならず、一撃という酔狂な営みがあることも同時に知ってしまった。

尾鷲の市街地を囲む山々、その稜線をぐるりと繋ぐ、約42kmの長大なルート。累積の標高差は4,000mを超えるとも言われる。(数字データは、「尾鷲トレイルマップ」(定価1,000円。記念に購入した)より。ヤマレコで作成したルートでは、35km/3,500m弱となるので、このあたりには実測誤差があるのだと思われる)

この尾鷲トレイル、数回に分割して歩くのが一般的であるところ、これを1日で歩ききってしまおうというのが「一撃」という営みである。
トレイルランナーの腕試しにどうぞということである。(実際は"脚"試しなのだが)

42km、4,000mというと、まあ、あまり、日帰りで歩ききろうという思いにはなりにくい数字だというのはわかる。その一方で、どうにかしたら歩けなくもなさそうな数字だという、そんな見え方がする人もいるのではないだろうか。

自分はトレイルランナーではない、速さや体力を誰かと競う大会に出たこともない。けれども自分の過去の山行でのタイム、余力を振り返り、この数字、つまり「一撃」に挑戦したいと感じた。絶対に無理ということはないだろう。逆に絶対に可能とも断言できないが、チャンスはある。それに、たまたま「あったらいいな」と思って調べたら本当にあったルートだという、なにか運命的なものもある。一撃という響きも良い。
そうして、「いつか歩く山・ルート」のリストに書き込んだ。

今年は、夏に栂海新道を歩いて、あれで充分に達成感というものを味わい尽くしたつもりだったので、本当はこういう長い山行はもうしないつもりだったのだ。しかし連休があればどこかへ行きたくなるし、せっかくどこかへ行くのならば有意義に、つまり最大限に時間を使いたい。だから、11月の連休のもともとの目的地は大峯奥駈道だった。三連休を使えば90km超の縦走路も歩けるかもしれない。新幹線の予約も済ませ、予定ルートも固め、気持ちも徐々にそれに向けて高まってきていた。
しかし連休初日の雨予報がどうにも変わらなさそうだとなり、こうなったら大峯奥駈道を分割するよりは、完全に切り替えて代案を探すほうが良いと考えた。小辺路と異なり、大峯奥駈道はなんとなく分割するのに気がとがめる。

代案。連休後半を使って、それなりに負荷が大きく、まあ最悪日帰りでもいいから…日帰り? そういえば尾鷲トレイル。尾鷲の日曜からの天気は良さそう、ならば。このようにして、慌ただしく、尾鷲行きを決めた。

決断してしまえばあとは早い。行って、歩くだけである。

土曜に東海道新幹線のダイヤが乱れて予定が大幅に崩れ、尾鷲到着が3時間遅延したという話もありつつ、睡眠時間にはさほど影響なかったので、それは良しとしよう。トレイルの出発は翌朝3時。朝、ホテル前の真っ暗な市街地を撮ったのだが、なんだかよくわからない。荷物の軽量化のために当然ながらミラーレス一眼は持ってきていない。画面にヒビの入ったPixel9でところどころの写真を残す一日となった。

黙々とホテルから尾鷲トレイル起点までのロードを詰める。そう、42kmの尾鷲トレイルには、起点と終点それぞれまでのアクセス分は加味されていない。今回は尾鷲駅から徒歩5分程の場所にあるビジネスホテルを拠点にしたので、ホテルから起終点までの距離を加味すると、総歩行距離は50km弱になるという計算になった。そのあたりはとっくに覚悟の上、とはいえなかなか起点に辿り着かない。ヘッドライトの光を際立って反射させる行き止まりの警告板が出てくれば、そろそろ。この付近まではGoogleのストリートビューでも下調べできる。

林道っぽい道に誘われ、間もなくすると尾鷲トレイル開始の看板が出てきた。3時47分、これが本当の開始時刻となる。なんとなく、キリ良く、12時間で終点まで着きたいなという目標を持つ。歩ききるというのは大前提。

時折ざばんと波の寄せる音が近くに聞こえる。真っ暗で全く感覚が掴めないながら、地図を見れば明らかな通り、海岸線のすぐ側。人の気配はなし。動物は、鹿が二匹、道を横切った。こんなに海の際にも生息圏を広げているらしい。

3時57分、記念すべき最初の数字。これを37まで増やしていかなければならない。記憶では、2/37までは簡単に数字を稼げた、ように思う。朝の疲労のない体だったからそういう風に思えただけだろうか。この先、アップダウンを重ね、このキロポストは体感よりずいぶん遅れて数字を積み上げていくことになる。(これを歩いている最中は当然のようにキロポストと認識していたが、公式の「尾鷲トレイルマップ」によると厳密にはそうではなく、標示間の距離は最大1.2km程度の箇所もあるとか。ここではキロポスト扱いで話を進める)

6/37の地点、天狗倉山の岩に登って、尾鷲の市街地の夜景を見る。いいデートスポットにもなりそうだ、ここが尾鷲トレイルの途中であるという点にさえ目を瞑れば。 そう、ここに着いても、まだ日は昇っていないのである。11月、半袖で息せき切って歩くには最適な季節だが、日の短さはネックになる。天狗倉山も、暗い中でテープを探しつつ頂上へのルートを見つけることになり、数分の時間ロスがあった。

一息に標高を落として、馬越峠を横切る。石畳の美しい、伊勢路のハイライトとも呼べる峠だが、こう暗いと石畳もよくわからない。息を整えてすぐに歩行を再開する。
冒頭にトレイルランナーではないと書いた通り、基本的に走ることはしない。もちろん、下りで少し勢いが出てしまって小走りっぽくなることはあるが、もともと歩くつもりで来ているので、靴はモンベルのアルパインクルーザー800という重い方(SCARPAのもう少し軽いローカットも持っているがそれは履いてこなかった)だし、序盤だからと言っていたずらに体力を使ってしまうことがないように慎重に進む。

次第に空が明るくなり、9/37地点、便石山でヘッドライトを外した。トレイル前半のチェックポイントとも呼べる場所だろう。この時点で、ホテル出発から約3時間。トレイル起点からは2時間半弱。良いペースではないが、悪くもないペースである。ホテルで忘れていた日焼け止めを塗った。栄養剤(ローヤルゼリー)も1パック飲んだ。

ルート外ではあるが、せっかくここまで来たのだから寄らない手はない。象の背には先着客が4人いた。この日、尾鷲トレイルで見た自分以外の登山者は、後にも先にもここの4人だけだった。連休中日、快晴、それでも人を寄せ付けない尾鷲トレイル。こういう孤独な山歩きが好みなので、いつまでも今くらいの知名度であって欲しいと、余所者は勝手にそう思ってしまう。

象の背に立って、慌ただしく市街地の写真を撮った。日の出間際。先着の4人はおそらく日の出が目的で、それが透けて見えたので、日が昇る前にアリバイ写真のごとくシャッターを切って、すぐにコースに戻った。雲一つない晴天だったなと、歩きながら思い出すようにして考える。本当の本当は、尾鷲トレイルを歩くのは11/4(月)、連休の最終日にするつもりだったのだ。しかしそれでは帰りの列車とのレースとなり精神衛生上良くないと思い至って、日曜日に前倒し。天候の面ではそれが吉と出た。

太陽が出てきた。樹林帯を進む区間が増え、海に臨む市街地の風景を堪能、という風にはなかなかいかないのがもどかしい。加えて、太陽が出てきたことによる気温上昇も気にかかる。

そんなことを思いながら歩いているうちに10キロポストを通過。公式マップによれば、実際には起点から11.31kmの地点。でもわかりやすく、10キロ地点と読むことにする。ここの通過時刻は6時42分。起点からの経過時間は2時間55分。ここまでの距離の2.7倍が残っていると考えると…いや、考えるのはよそう。

12/37地点、海路山の先でようやく海側の視界が開けた。尾鷲の市街地が中央に広がっていて、山々はそれを抱きかこむかのように周囲を覆っている。尾鷲トレイルの翌日に伊勢路を歩いた今だから感じることに、尾鷲にせよこの先の三木里、二木島、新鹿にせよ、人間の平地を見つけてそこに根を下ろす力の凄まじさを感じる。尾鷲の市街地が立つ平地も、こう見ると海と山があるのが本来は自然で、たまたまなにかの偶然で空白地帯が生まれてしまったかのように、市街地の方がなにか場所を間違えているかのように映る。

8時を過ぎ、小枕の上で小休止。水をちびりと飲むだけの停止を休止にカウントしなければ、これが便石山(日焼け止めを塗ってローヤルゼリーを飲んだ)に続いて二度目の小休止。持ってきていたおにぎりの一つ、鮭ハラスをここで開けた。封を切った拍子にポロポロとご飯粒、鮭の小片が地面に落ちてしまい、あれあれと苦笑いしていたが、後半にこのカロリー分すらも恋しくなることはまだ知らない。

9時54分、檜尾峠の先でようやくキロポストが半分を超える。起点からの経過時間は6時間と7分。ここはちょうど半分の地点というわけではなく、残りは18キロ分なのだから、目標としている12時間に決して遠くない、むしろ現在の標高(850m前後)からすると想定以上の出来ではないかと、楽観的な気持ちになった。(あとで公式マップを確認し、どうやら距離的にはほとんどここが中間地点だということが判った。歩いている時に知っていたら、ちょっと辛かったかも?)

引き続き市街地方面の視界はそれほど開けないながら、時折ちらりと覗くそれは、標高を上げたことでいままでより幾分か遠く見えてくる。

10時19分、20の大台に乗った。19から増えた数値は1だけでも、十の位が変われば見え方が大きく変わる。

ついに高峰山に到着。このルートでもっとも高い、標高1,045mを数える地点で、近畿百名山に選ばれているという。それゆえにここでは他の登山者に遭うのではと思っていたが、どうやら近畿百名山の中でも指折りのアクセス難のピークと言われているということで、結局誰にも出会わなかった。最高地点の節目ということで第三の小休止とし、残りのおにぎりとinゼリーを腹に収めた。あとで思えば、inゼリーは残しておけばよかったかもしれない。後半で猛烈な飢餓感に襲われることになる。

ルート上の最高地点を過ぎればあとは下り一辺倒、ということは全くなく、小刻みなアップダウンが頼もしいほどに変わらずに続く。矢ノ川峠というところに出ると、これまでになく視界が開けていた。見晴らしの良い景色を楽しんで、再びアップダウンを再開する、ところだったのだが。

峠にてこの「尾鷲トレイル」の板を目にし、あろうことか左右方向にルートが続いているものだと誤解してしまった。

その結果、正規ルートを外し、林道を進んでしまうというポカ。計画ルート(青色)が正規ルートで、もともとそれを選んでいたのに、現場の誤判断で壊してしまった。正しいルートは、「尾鷲トレイル」の看板の後ろ方向に続いていく山道で、まあ、険しい道なのだが、無意識のうちに険しい道より歩きやすいフラット林道を選んでしまったという、心の弱さが露呈した結果という気がしないでもない。全然キロポストが出てこないので、さすがにおかしいぞと思いヤマレコの過去ログを調べたところ、やはり計画ルートが正しかったのだと気付いたという次第。

ロスした時間は32分間。林道ということで誤ルートをサクサク歩けてしまった悲しさもある。正確な距離は不明だが、時間から計算すると2km前後を無駄に歩いたことになる。林道をそのままいけばそのうち尾鷲トレイルに合流するようではあったが、一撃チャレンジにケチが付くのも虚しいので、潔く引き返した。

無事にルートに復帰し、林道脇の険しいトレイルを黙々と歩く儀は続く。 小坪の手前でキロポストの表示がようやく残り10となる。時刻は13時10分。経過時間は9時間23分。残りで平均時速3kmを出せても12時間の目標は厳しい。どうしてこうなった。小坪で最後の食料、ローヤルゼリー2本目を腹に入れた。

徐々に平均高度を落としながら、最後の大ピークである八鬼山に向けて進み続ける。14時2分、ついに最後の十の位の数値まで来た。特に景色がいいわけでもないので、本当にこのキロポストの数字が一つまた一つと増えていくのを見ることだけが歩く原動力になっている。

この辺りでの空腹感は凄まじく、一歩一歩のたびに体中がカロリーを求めている声が聞こえてくるようだった。持ち合わせは食べきってしまったので、ないものは仕方ない。八鬼山になにかの間違いで茶屋でも出ていないだろうかなどと夢想する。無駄に立ち止まっては最寄りのコンビニを地図で検索したりもする。電波はルートを通じて問題なく入った。現実的には、終点までたどり着いてから自販機でなにか飲み物を買う、それを通じて得るカロリーが最速のエネルギー源だろうと冷静に考え、つまりは歩き続けるしかないのだ。

北側の熊野古道との交点が馬越峠なら、南側は八鬼山越え。熊野古道と重なる区間は石畳調で歩きやすく、そのまま伊勢路を通って市街地に下りていきたい衝動を抑えるのが容易ではない。伊勢路の最難所とされる八鬼山越えも、尾鷲トレイルに組み込んでしまえば、なんだか終盤に立て続けに出てくる有象無象のピークの1個に過ぎないなと、その昔にここを命懸けで越えたという参詣者に対して失礼極まりない考えが去来する。失礼ついでに、世界遺産なら茶屋の一つくらい出ていてくれていてもいいのに、と勝手なことを考えて、誤魔化しに水を口に含む。

九木峠で熊野古道に別れを告げ、あちらはおそらく歩きやすい石畳の道であろうに、こちらは何の罰なのか、海がすぐそこにあるのに未だにアップダウンを続けて、標高5~600m前後を彷徨っている。方六山とも塩受山とも書いてあるピークを過ぎると、青い海原が視界いっぱいに見える場所に出た。展望の丘と呼ぶらしい。どんな展望だ、なにが見えるだの、景色を鑑賞し評価するような余裕はとうに失われ、ただ義務的に写真を残して歩きを再開する。

トレイル最後のピーク、大曽根山。テレビだか無線だかの施設を交わして、こんな施設があるということは搬入用の道路もどこかにあるはずだろうに、愚直に山道を進んでいく。

海が近づいてきた、だろうか。海の近さ以上に、太陽の傾き具合に目がいく。11月の昼は短い。真っ暗な尾鷲市街を出たのはついさっきのことのような気がするのに、もう太陽は南を通り過ぎて、西に沈もうとしている。空がそういう色合いをしている。

残り1キロポスト。

37/37。なんだか思いがけないタイミングで出てきた。少し面食らってしまった。この37/37が出てくるのがトレイルの終点で、お疲れ様でした~的な、終点を示唆する表示とともに出迎えてくれるのかと思っていたが、最後のキロポストはあくまで淡々と37のゲージが満たされたことだけを伝えて、僅かながらその先にまだ道は続いていた。

行野浦神社の中を通って、ついに山道に別れを告げる。


車道を数分歩き、防波堤の先にある弁財天へ向かう。ここが本当の尾鷲トレイルのゴールである。とっくに太陽は山の向こうに消えているが、まだぎりぎり海の上にはある。気がつけばあの飢餓感は消えていて、心は軽く、脚だけは確かに重く、防波堤を一歩一歩進む。

ひっそりとした弁財天。歩ききった。歩ききったのだ。時刻は16時35分。ホテル出発から13時間半、トレイルの起点からは12時間48分が経過した。12時間を切れなかった。あの忌まわしい、矢ノ川峠でのルートミスがなかったとしても、12時間16分。ルートミスも含めて自分の実力というべきだろうし、どちらにせよ及ばなかったのだ。それはそれで残念で、到着直後に冷静に、うじうじとそんな計算をしてしまっているが、その一方で歩ききった達成感は大きい。栂海新道よりも。栂海新道の2日合計の距離には及ばないが、1日だけの数字ならばこちらに軍配があがる。2024年で一番長い日。これを超える距離、標高差のルートを探しても、そうそう見つかりさえしないだろう。

太陽はもう海の向こうに落ちたのか、これから落ちようとしているのか。空はどんどんと色を暗くしていって、ただそれに急かされるような気持ちはもう湧いてこず、海辺の自販機の前に座り込んで甘いジュースを2本飲んだ。カロリーを求めていた内臓が歓喜しているようだった。座り込んだ自販機の前に野良猫がいた。2匹。ちょっかいをかけたり写真を撮ったりする気は起きなかった。

尾鷲トレイルは終わったが、これで終わりではないのがこの一日。ホテルまでの距離をGoogleマップで調べると、6.1kmと出た。歩く。大曽根浦から尾鷲まで列車に乗るという選択肢もなくはないが、それでもここまで来たら歩く。意外に脚にはまだ余力があり、そういえば今日は脚が攣るようなことが一切なかったなと思い出すように実感する。

ホテルには18時前に着いた。すでに暗い。尾鷲の市街地は、結局暗いときにしか歩けていない。腕に付けていたFitbitによれば1日で7,000キロカロリー以上を消費したらしい。ホテルの前のコンビニで買い込み、静かな慰労会とした。

今回、一撃に持っていった飲料、食料はこちら。水は600mlを4本で2.4L。11月の気温であれば、このくらいで問題ないと思われるが、コース中に水場らしい水場はないため、飲む配分は気をつけるべき。食料は、普段の山行(アルプス縦走など)の1日分+αのカロリー量となるようにしたが、明らかに不足していた。おにぎり、inゼリーをもう1つずつくらいは用意したほうが良かったかもしれない。

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翌、11/4(月)、連休最終日も好天の予報で、脚の痛みもなく、普通に歩けそうだったので、熊野市から三木里まで伊勢路を歩いてきた。

尾鷲を出る最初の列車に乗って、熊野市まで。大学1回生の頃、すなわち9年前にもここに降り立っている。当時は折りたたみ自転車を担いで、輪行をしていた。世界遺産の獅子岩の直下で野営をしたのだ。なんと恐れ多い。


七里御浜。日の出はタッチの差で逃してしまった。もう少し冬至が近づけば始発列車からでも間に合うのかもしれない。

鬼ヶ城を回る。釣り人多し。松本峠は通らず、国道からそのまま伊勢路に入った。

大吹峠へ。峠の先の国道で地元の方に「猪は見なかったか?」と聞かれた。鹿はよく鳴いていたが、幸い猪には遭わなかった。

ついでに凪のあすからの舞台を巡っていく。熊野古道を歩きつつ、アニメの舞台を巡るという、現代の修験者の仕草。

波田須の海を見渡す。

新鹿に着いて、国道と古道の重複区間を行く。凪のあすからの舞台は新鹿周辺がもっとも多いようで、これはサヤマートのモデルとなった商店。

話は伊勢路に戻り、名物らしい猪垣。二木島や賀田の前後の区間で見られる。


賀田の駅の手前、国道との重複区間は賀田湾の穏やかな眺めは、宝箱の中身、あるいは物語の世界のようで、足を止めないわけにはいかない。物語の世界、これは妙に耳覚えがあるなと思ったら、4年前にバイクでこの周辺を通ったときに同じことを書いていた。景色も、自分の感覚も、変わっていなかった。


熊野古道から三木里駅に分岐するところでソフトクリームの絵がはためいており、思わず買ってしまった。美味い。


三木里駅で今回の伊勢路は終了。八鬼山越えは、前日にトレイルで済ませたようなものなので今回は省略ということで構わない。列車で大曽根浦に移動し、夢古道の湯で汗を流した。きちんとサウナ付きでありがたい。


夢古道の湯の隣にある熊野古道センター。大きくて、お洒落な外観をしている。


ここで尾鷲トレイルの公式マップを購入した。夢古道の湯では在庫切れで、市街地の観光協会まで行けば在庫がありそうということだったが、3km程歩くことになるので、隣の熊野古道センターで買えたのはラッキーだった。市内巡回バスが来るまで、マップを眺める。


市街地で巡回バスを降り、コンビニで帰路用の買い出しをする。あとは列車を乗り継いで相模原に戻るだけ。しかし位置が位置、アクセスがアクセスなので、帰る頃には日付が変わる一歩手前になってしまう。最後の最後に暗くない尾鷲の市街地をようやく見られた。土曜夜から2泊したビジネスホテル「フェニックス」は、フェニックスの木が植わっているからその名前だったのかと、今更のように気がつく。帰りの特急南紀は混んでいた。自由席は立ち客が出ていた。指定席を取っていて正解だった。

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