歳納め、京都

最近のバイクの思い出が山に行って凍えてるものばかりだったので、せっかくの長休みには比較的暖かそうな西の方角へ行くことにした。年始になると初日の出やら初詣やらで各地混雑しそうと読み、年末4日間を使うことにした。

飲まないと決めていたのに前日の忘年会でそこそこ酒を煽ってしまい、28日朝は軽い吐き気と頭痛が残っていた。頑張って6時頃に出発したが既に出遅れ感があり、東名は伊勢原の先まで渋滞していた。弁天島と遠州大砂丘に立ち寄り、伊良湖岬まで行った。日出の石門で写真をシコシコ撮ったり立馬崎灯台を訪れたりした。就活の只中に気晴らしに走りに来たのを思い出して少し懐かしくなった。

▼遠州大砂丘の浜名湖以西はこんなにいい天気なのにガランとしていた。左の高架は国道1号線浜名バイパス

▼日出の石門上の展望岩に立つ。打ち寄せる波が印象的

伊勢湾フェリーの夕刻の便に乗ろうとしたが、乗船便の指定はできないとのことだった。マスツーリング集団が来たら希望便の空きが無くなってしまうかもしれない、前便が出帆したら早めに待機位置に来るのがいい、と聞いたので前便がまだ停泊している内から最前列で待機していたが、結局バイクの乗船は自分含め2台だけだった(全部で10台程度余裕がある模様)。

▼1時間半前から一人寂しく並んでいたが夕方の便はガラガラだった

▼船上で薄明を迎える。デッキは船後部にあるので西の空が進路と被り景色が塞がれがちだった


フェリーで日没を見届け、薄明過ぎに鳥羽着。伊勢市まで遡上して初日を終えた。

29日朝、引き続いて天気が良さそうだったので日の出を見に行くことにした。伊勢志摩周辺はお誂向きの場所が多数あるが地味そうな菅崎を選んだ。途中パールロードから東の朝焼けと西の残り星がよく見えてとても綺麗だった。菅崎には自分以外に2人、日の出を見に来た。

▼日の出

賢島、長島、尾鷲と沿岸を繋いでいく道は暖かく穏やかで、まさに自分が求めていたものだった。尾鷲から熊野へは42号線を離れ、311号線を選んだ。入り組んだ湾に沿って道が時に細く、続いていく。過ぎる集落はどれも小さく、ひなびた印象の強い一帯だが、建設のし易さの問題かJR紀勢本線が通っており、線路が景色に入ってくるのが何ともミスマッチだ(そこが良い)。娯楽用か漁船か、小さい船が幾重に浮かんでいるのも妙に非現実っぽさがあって、物語の世界に来てしまったような感覚を得る(「凪のあすから」の陸の世界にこの辺りをモデルにしたカットが多数登場する)。

▼リアス式の海岸と小舟の風景に目を奪われる。写真を撮っていたら地元の学生が挨拶してくれた

▼「凪のあすから」2ndクールのOP冒頭のカット(あちらは「人魚座」)とよく重なる。道路が国道311号線

南下を続けていくと新宮を過ぎた辺りから雲行きが怪しくなり、潮岬での日没鑑賞も叶わなかった。そのまま串本で休止した。

30日は生憎の雨天。凍えながら串本から京都まで一気に北上した(そうは言ってもさすがに関東より暖かく、本降りの雨の中でも8-10℃程あった)。学生の4年間を京都で暮らしたので、多少は感傷的になるかと思ったが、かなり機械的に足が動いた。離れてまだ1年と経っていないのでそんなものかもしれない。学生時代の友人に久しぶりに会い、酒を飲んだ。

31日一日かけて東京へ帰った。新名神の3月開通区間(亀山西-新四日市)を初めて走ったが相変わらずこの路線は無骨で、滑走路のようで良かった。豊田から稲武、飯田、諏訪を経由する山越えの変則ルートをとったが、雪は杖突峠の北側で路肩に少し重ねられている程度だった。

▼伊那谷を眺める。南アルプスの雪も少な目の印象

前半2日は暖かい太平洋を感じられたが、後半2日は芯まで冷えるいつもの寒いツーリングだった。とはいえ今年は例年に比べると結構な暖冬らしい。4日目に走った三州街道では、ほとんど雪がないのに頑張ってコース上に集めたか或いは人工雪か、明らかに無理をして営業しているスキー場をいくつか見た。

この4日間でおよそ1,800キロを走行。2019年はCRF以降でおよそ12,000キロ走り(第1四半期のVT750S分を合わせて15,000キロ程)、国内積算で大台の100,000キロが近づいてきた。しばらく山は冬季規制で、行く先が固定化されがちになるのがもどかしいが、伊豆大島や三宅島に関心があるので、近いうちに好天を狙って久々の離島巡りをしようと考えている。

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