二匹の蛇がね、相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。どんどんどんどん、同じだけ食べていって、最後、頭と頭だけのボールみたいになって、そのあと、どっちも食べられてきれいにいなくなるんです。分かります? なんか結婚って、私の中でああいうイメージなのかもしれない。今の自分も、相手も、気付いた時にはいなくなってるっていうか。(「異類婚姻譚」本谷有希子)
私はなぜ、五十川さんからの連絡をあんなに切望して待ったのか、好かれるために服装まで気遣ったのか、それは恋ではなく、企みでもなく、とにかく、まみまぬんでらという言葉でしか説明できないのだった。(「変容(丸の内魔法少女ミラクリーナ)」村田沙耶香)
「あくまで個人の印象として申し上げます。『A』は、『A』を観る必要のない人たちのための作品になっていると感じます」「なんやと?」「『A』を選んで観る人は、その時点で『A』を観なくてもいい人だと思うんです」「意味がわからん。からかっとんのか」「『A』を観て生じる価値の反転や転換に、潜在的に気づいてる者しか『A』を観ない、ということです」(「道徳の時間」呉勝浩)
宮本や梶村の下劣さを正木に負わせるつもりはありませんが、わたしは彼の教育に吐き気を覚えます。道徳はある、という思想に。だってそんなものがなければ、わたしはもう少し楽に生きられた。そう思いませんか?(「道徳の時間」呉勝浩)
「わたしの経験から言えるのは」ミスター・トレーヴは言った。「恋愛沙汰となると、女性はまったく、あるいはほとんどプライドを問題にしないものです。プライドという言葉をしばしば口にしますが、彼女たちの行動にはほとんど影響をおよぼしません」(「ゼロ時間へ」アガサ・クリスティ)
殺人事件のニュースを読んだり、あるいは殺人を扱った小説を読むとき、読者はふつう殺人事件が起きたところから出発します。ですが、それはまちがいです。殺人は事件が起こるはるか以前から始まっているのです! 殺人事件は数多くのさまざまな条件が重なり合い、すべてがある点に集中したところで起こるものです。人々が地球上のさまざまの場所から一ヵ所に集まってくるが、まだその理由はわからない。そちらのミスター・ロイドはマレーから来た。ミスター・マクワーターがここに来たのは、自分が自殺をはかった場所をもう一度見たかったからだ。殺人事件自体は物語の結末なのです。つまりゼロ時間(「ゼロ時間へ」アガサ・クリスティ)
根本的な誤解があるんだな──と、涼子は気づいた。柏木卓也の死の大きさについて。ねえお母さん、あたしだけじゃなくてたぶんまり子も、彼が死んだことで、そんなにショックなんか受けてないと思うよ。(「ソロモンの偽証 第I部(上)」宮部みゆき)
幼さは、若さは、すべて同じ弱点を持っている。待てないという弱点を。事を起こせば、すぐに結果を見たがる。人生とは要するに待つことの連続なのだという教訓は、平均寿命の半分以上を生きてみなければ体感できないものなのだ。(「ソロモンの偽証 第I部(上)」宮部みゆき)
あなたに生きていてほしかったよ、柏木君。礼子は無言で、柏木卓也に呼びかけた。同じ歳で、同じ環境に置かれていたあなたの、ともすれば自分の内面ばかりを追求してしまう瞳で、大出俊次というしょうもない問題児の心の芯にあるものを見て取って、あたしにそれを教えてほしかったよ。あなたにはきっと、見えていたはずだから。あなたのような少年には、上手に大人になっていって、そういうまなざしを磨いてほしかったのに。残念だよ、柏木君。あたしは残念でたまらないよ。(「ソロモンの偽証 第I部(下)」宮部みゆき)
そういう好きになり方をした作品は、何が起こってもその枠を他に明け渡さない。私の心の引き出しの中にはそうした特別な作品がいくつかあり、いくら新しいコンテンツに触れようと特別枠で存在感を放っている。何年経っても、作品に触れた瞬間に感じた強烈な「好き」が色褪せることはない。(「なんやかんや日記」武田綾乃)
でも『星の王子さま』に出てくる特別は私の思っていた特別とは違った。自分にとって特別なものというのは最初から存在しているわけではなくて、時間や手間暇をかけることで作り上げていくものだった。一緒に過ごした時間が、ありふれたものを特別なものにしてくれる。キラキラ光る貴重な宝石は皆にとって特別だけれど、河原で拾った石だって大切にしていれば自分にとって特別だ。特別とはそういうことなのだ。世の中にはたくさんの種類の特別があるのに、私がそれに気付いていないだけだった。皆にとっての特別なんて求めてもしんどいだけだから、自分にとっての特別を大切にしようとその時に決めた。特別な家族。特別な友達。特別な恋人。特別な時間。特別な物。たくさんの特別を増やしていくうちに、私自身も相手にとっての特別になった。(「なんやかんや日記」武田綾乃)
「ええと、なんだっけ。『昨日の世界』?」表紙を見返しながら答えると、セイラは瞳を輝かせる。「ツヴァイクの? 面白いよね、それ」僕が仲間たちといて孤独を感じるのはこういうときだ。ドヨンも、セイラも、レオも。翔ですらよく本を読んでいる。こんな会話に憧れて僕だって本を開いているが、到底太刀打ちすることはできない。(「95」早見和真)
それが一番ダサいからね。あの頃の俺は輝いてたとか、あの頃は毎日楽しかったとか、そんなこと言ってる大人が一番ダサい。ウソでもいいから今が一番幸せだって笑ってられる人間になってようぜ。俺たち、将来も遊んでられたらいいよね。絶対に昔話なんかしないでさ(「95」早見和真)
何かに対してだけは決してどうでもよくならないこと、ぼんやりしないこと。それを才能と呼ぶんじゃないだろうか。(「よろこびの歌」宮下奈都)
私の歌がすごいんじゃない。私の歌で誰かのどこかを揺さぶる、つまり誰かのどこかに揺さぶられるものがある、ということに希望を感じる。胸が震える。うれしいとか、楽しいとか、悲しいとか、さびしいとか、いろんな気持ちをみんなが抱えている。歌によって共有することができる。(「よろこびの歌」宮下奈都)
私もまた人生の半分近くでポケモンをプレイしてきたわけだが、それにより受けた影響は計り知れない。中でも一番大きいのは、「子どもの最先端の文化に触れている」という自負を常に持ち続けることができたということだ。子どもの現在進行形の楽しみとつながることで、自分の中にある子ども時代の感性を失うことなく今日までいられた。作家である私にとっては、かけがえのない財産だ。そして、それは、文化を生み出す一方で、ポケモンが商品であることを忘れず、常に飽きられることのないものとしてプロデュースしてきた"大人"の目線あってこそだったのだと思い知る。変化を恐れず展開し、かつ受け手にもその変化が歓迎されるあり方は、"変わらない"ことで愛され続ける他の名作漫画などと大きく異なる。(「ネオカル日和」辻村深月)
私は、会ったこともない中山さんのお母さんに、これはちょっとないと思いますと言いたいと思った。これを使いもしないまま持っていて、処分することを言い争いの末拒むお母さんと、<なんで怒ってるかわかる?>とたずねてくる竹内さんは、何かそれぞれに遠くて関わりはないように見えるけれども、同じ地面に立っている人たちのように思えた。私には。(「第三の悪癖(うそコンシェルジュ)」津村記久子)
私は深く息をついて、とりあえず育生の好きな炭酸飲料とピザ味のポテトチップスを買って帰ろうと思った。そして「自分のために買ったけど、それ食べていいよ」と言おうと思った。(「通り過ぎる場所に座って(うそコンシェルジュ)」津村記久子)
「人と違うと思われたいし、人からどう思われるか気にしない人だと思われたい」「思っていましたけど」「でも、わたしは偽物なんだよ。変わった人だと思われたいから変わったことをするのって、すごく普通だよね。きっと本当に変わった人って、松尾みたいに面倒くさいからっていう理由でみんなと同じ色を選べるんだよ。それでも、ちゃんと浮いてる」(「バック・ステージ」芦沢央)
「おれ、忘れてくんだろうなあと思うよ。頭も悪いし」「方程式とか英単語とか?」「ううん。こうしてお前といたこととか、相談して悪さしたこととか、ここで寝たこととか、そういうこと。いつか全部忘れちゃって、お前の顔も名前も忘れちゃって、だけどある日、お前のへその形にすごくよく似たもん見つけてさ、ほらコップの底にはりついた牛乳のしみとかそんなもん見て、何か思い出しそうな気持ちになって、なんだっけなんだっけって思うんだけど、まあいいやとか思うんだろうな。そういうのって結局、忘れないってことなのかな。それとも思い出せないから忘れちゃうのかな。あーでも忘れないってことなんだろうな」(「ゆうべの神様(ロック母)」角田光代)
いや、私よりも子どものほうが先かもしれない、これから産まれてくる子どももきっとウォークマンで両耳をふさぎ、凪いだ海に浮かぶ小島をねめつけながら自転車を漕ぐのだ。出ていってやる、出ていってやる、出ていってやると憎々しげにつぶやきながら。そうして私たちは親子三代でどこにもない空を思い描く、どこにもないビルとどこにもいない自分を思い描く。(「ロック母(ロック母)」角田光代)
チハヤは365日中364日はホントに本気で「ミオに勝つんだ!」って走ってたよ 絶対そう! 心のどっかに不安があっても走った距離は減ったりしないっしょ 1%のウソで99%のホントを塗りつぶせるわけないじゃん! だからさシンプルに『ガチ度』だと思うんだよ ミオたった2週間で相当絞ってきてたよ それくらいしないとチハヤには勝てないって思ってたんだ チハヤもすげーがんばってたけどさ コーラとかフツーに飲んでたじゃん? その辺のガチ度の差 本当に微妙な差だったんじゃないかなって(「チハヤリスタート 3」たけうちホロウ)
なんだ、そがんことか。別に、よかよ。昨日のこと、何ともおもっとらんけん。あと、それから、しっとった? 僕、長谷川さんのこと好きとよ(「くちびるに歌を」中田永一)
「少し、むかついたな。あたし、杜崎くんはあたしのこと、好きなんだろうってちゃんと思ってたから。でも、ヘンなところばっかり見られてるから、いやだった。いやだったけど、ほかの美人と仲よくしてるのって、おもしろくないわよね」「……なんか、めちゃくちゃなこといってるな」「熱のせいよ」(「海がきこえる」氷室冴子)
ぼくはしばらくの間、そこに立っていた。津村知沙がふいに戻ってきて、角から、ひょいと現れるような気がして。ぼくにはなにもできないけれど──つまり、彼女を好きとかそういう感情はないけれど、もし彼女が気が弱くなって戻ってきたとき、ぼくが立っていたら、すこしは慰められるんじゃないかと思ったのだった。ばかげた考えだ。けれど、ぼくはけっこう長いこと、そこに佇っていた。里伽子以外の女の子にできる最高のことが、こんなことくらいなのを申しわけなく思いながら。(「海がきこえる」氷室冴子)
つぐみだ。離れてみるとつぐみのことがよくわかる。よくわかられてしまわないために、手をつくして汚くふるまうつぐみが見える(もちろん地も絶対あるだろうが)。そして、その気になれば誰にでも会えて、地球上のどこへでも行けるはずの私が、ちっぽけな町から動けないはずのつぐみに忘れさられてしまうような気がする。つぐみは過去を振り向かないからだ。つぐみにはいつも「今日」しかないからだ。(「TUGUMI」吉本ばなな)
それでも、「おーい、ただめし食いのブスが着いたぞ」と開け放した正面玄関にむかってつぐみが叫んだとたん、色が戻ってきた。裏でポチがわんわんほえ、奥からは、なんてこと言うのつぐみ、と笑いながら政子おばさんが歩いてきた。陽子ちゃんも顔を出して、まりあちゃん、お久しぶり。とにこにこ笑う。いっぺんに取り戻して、なんだかわくわくした。(「TUGUMI」吉本ばなな)
「たとえばさあ、地球にききんが来るとするだろ?」「ききん?……あまりにも突飛すぎてぴんとこないわ」「うるせえ、黙ってきいてろ。それで、食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、みんなのためにありがとう、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたり、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。ま、それ、あくまでたとえだけどな」(「TUGUMI」吉本ばなな)
だけど、今度は参加してるって感じがしてる。犬のせいかもしれないし、自分が引っ越しちまうせいかもしれない。でも、恭一はちがうんだ。何べん会ってもあきないし、顔を見てると手に持ってるソフトクリームとかをぐりぐりってなすりつけてやりたくなるくらい、好きなんだ(「TUGUMI」吉本ばなな)
ここのところ、ずいぶんおまえに手紙を書いた。書いては破き、また書き始めていた。どうしておまえなんだろう? しかしなぜか私の周りでおまえだけが、私の言葉を正確に判断し、理解することができるように思えてなりません。どうも本格的に死にのぞんでいるらしい今、おまえに手紙を遺すという考えだけが、私の心の中で希望となっています。他の誰もが、いたずらに多く泣いたり、本当は私という人間はこうだった、と自分なりに善く解釈したりする様を思い浮かべると、虫唾が走ります。恭一はちょっと見どころがありますが、恋愛はバトルですから、最後まで弱みを見せてはなりません。おまえは本当に、どうしてそんなにマヌケなのに、きちんとした大きさでものごとを測れるのでしょう。不思議でなりません。(「TUGUMI」吉本ばなな)
手をつなぎ屋上から飛び降りた二人の女子高生が、なぜそれきり会わなかったのか小夜子はふいに理解する。連絡しなかったのではない、子どもだからすぐに忘れてしまったのではない。葵ももうひとりの女の子も、こわかったのだ。同じものを見ていたはずの相手が、違う場所にいると知ることが。それぞれ高校を出、別の場所にいき、まったく異なるものを見て、かわってしまったであろう相手に連絡をとるのがこわかった──友達、まだできないの? と訊かれるのがこわかった──。(「対岸の彼女」角田光代)
「わたしは大きなことを百個言って、ひとつ叶えばいいと思っているんだ」街灯に照らされた成瀬氏の横顔からは確固たる意志が感じられて、私たちには到底届かない場所にいるように見える。「みんなは『極める』という到達点に注目するのだが、わたしはそこに至る道が重要だと思っている。ゴールにたどり着かなくても、歩いた経験は無駄じゃない」(「成瀬は都を駆け抜ける」宮島未奈)
「絶対に天国からおばあちゃんも見てくれてたわ」「だといいのだが」あかりの受け答えを見て、改めて成長を実感する。もっと前のあかりだったら「死んだらテレビは見られないだろう」と答えたはずだ。(「成瀬は都を駆け抜ける」宮島未奈)
私は「観察する私」になりきることで、いかにも教室を冷静に見つめているかのように、こっそりと、皆より少し高いところにいるような気分に浸っている。そして、実際には値段の低い自分のボロボロの自尊心を慰めている。(「しろいろの街の、その骨の体温の」村田沙耶香)
けれど確かに、ぼくは津村知沙みたいな美人に声をかけられたり誘われたりしたら、単純に喜んでしまうタイプではあるのだ。どうして、ぼくなんかが……と僻んだり疑ったりするより、よほどいいじゃないか。(「海がきこえるII」氷室冴子)
あいしてる、か。あたりまえだとぼくは心のなかでつぶやく。きみたちの出現はまったく予定外だったし、絵里子はキスすら拒むけれど、愛していなければここにいるわけがないじゃないか。大学を辞めて必死で職を捜して、少しでもいい仕事があればそれに飛びついて、恥をしのんで両親からの金を受け取り、浮気しても浮気で終わらせて朝方までには帰宅して、もうずいぶんくたびれてきたダンチの一室を守るなんて地味なこと、愛がなくていったいどうしてできるんだよ?(「チョロQ(空中庭園)」角田光代)
家族というのはまさにこういうものだとあたしはずっと思っていた。電車に乗り合わせるようなもの。こちらには選択権のない偶然でいっしょになって、よどんだ空気のなか、いらいらして、うんざりして、何が起きているのかまったくわからないまま、それでもある期間そこに居続けなければならないもの。信じるとか、疑うとか、善人とか、そんなこと、だからまったく関係ない。この車両に居合わせた人全員を信用することなんてできないのとおんなじだ。あと数分後に、あたしの正面に立つスケーター風の男がきれてナイフをふりまわす可能性と、中学三年のまじめな男子生徒が、パパの恋人とも知らず家庭教師をラブホテルに誘う可能性は、かぎりなくひとしい。(「鍵つきドア(空中庭園)」角田光代)
あたしは家族はつくらない。専門学校を出た二十歳のとき、どんな仕事をするかは決めていなかったけれど、それだけはつよく決意していた。二十三歳になり、二十五歳をすぎ、来月の二十七歳を待ち、家族をつくらないという決意はあいかわらずあるが、ならば何をするのか、何をして生きていくのか、つねにそう問われるようになった。周囲の人々からも、自分の内側からも。ならば何をするのか、何をして生きていくのか。家族を持つというのはたったひとつの選択なのに、家族を持たないと決めると無数の選択肢が生じはじめるのはなんでだろう。(「鍵つきドア(空中庭園)」角田光代)
誰かに必要とされたかった。澄香から、もっと長い時間話していたいと、ビデオ通話の回数を増やしたいと言われてみたかった。できるものなら若手社員と、社食のキャンペーンにだって参加してみたかった。だけどその望みはあまりに薄いから、自分から何か新しいことに身を投じたい、投じなければと焦っていた。そうでもしないと、あの部屋で独り、インスタントの味噌汁をただ啜るだけの日々を今後何十年と続けるのだという鉄より重い確信があった。(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
本質的でないものこそ、熱量の高い布教が必要になる。相手の視野を狭める必要があるから。相手の脳を溶かし、判断能力を鈍らせる必要があるから。(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
年齢を重ねれば重ねるほど、家族ですら運命共同体ではないことを実感させられる。今ではもう、誰と交流しているときでも、自分が最も強く見える面だけを提示しては、その状態が崩れてしまう前に独りの空間に戻るようにしている。日々そんなことの繰り返しだ。(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
何を信じるかによって、街の景色は変わる。景色そのものは同じでも、景色を形作っている一つ一つの要素が放つ情報が変わるからだ。そうなるともちろん、その情報が連なって生まれる物語も、大きく変貌する。(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
何が本当に対象のためになるのかとか、何が今最も本質的な行為なのかという問いは、〝視野を拡げて考えてみると〟という呪文を唱えさえすれば、その答えを永遠に反転させられる。つまり、どの角度から見ても間違いなく本質的に正しい答えなんて、どこにもない。どこかで、〝この視野で、ある程度の確率で、間違う〟と覚悟を決めるしかないのだ。その事実を受け入れず、可能な限り本質的でありたいあまり、そして誰からも攻撃されたくないあまり、さらに視野を拡げるべく視点をどんどん後ろへ引いていくと、いつの間にか誰の姿も見えないくらいに自分だけが全てから遠ざかっている。そうなるともう、何の行動にも出られなくなる。全ての角度からの審判を俯瞰できるまで視野を拡げることは、誰とも何とも連帯できないほどこの世界から遠く離れることと同義だからだ。本質的であろうとすればするほど、何の行動にも出なければどこからも裁かれないという考えに呑み込まれる。そんなことに何の意味があるんだとか、それが最適解じゃないのにとか、そんな冷笑だけが両手に溢れ、人生の砂時計をただ眺めているだけになる。(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
だからこそ、自分はこれを〝幸せ〟として生きるって決めたら、そこで自分を過剰に消費し尽くそうとする人が多いんだと思います。資金や時間や思考力も注ぎ込んで、沸いたり揉めたり喜んだり怒ったりしながら感情も使い果たして、没頭度を高めるどころか狂いの強度を周囲に喧伝までして。そうしているうちは、何かに対して自分を余す所なく使い切っているという本人以外が覆しようのない幸福感を得られるわけですから(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
何もかもが揺らぎやすい今、確固たる信仰対象があり、それに対して自分を使い切っている姿そのものに希少価値が生まれるんです。たとえその対象が社会通念的に無価値だったり、いっそ人類存続に不都合なものであっても、客観性を伴わない猪突猛進さこそ今の時代に機能し得る唯一の物差しなんです。こういうことを頑張っていて偉い、ではなく、よくわからないけどめちゃくちゃ本気で生きてて眩しい。そういう世界に私たちは生きているんです(「イン・ザ・メガチャーチ」朝井リョウ)
いい!? 香穂ちゃんは私よりかわいいし頭が良くて人気者! その香穂ちゃんが目の前で自虐したら、私はどれだけ惨めになると思う?! 香穂ちゃんがミジンコなら、私はゾウリムシかなあ!?(「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) アニメ16話」)
そういえば、昔、母が言っていた。「知りたい」と「好き」は同義語なのよ。たしかにそうだと思う。でも、母自身は何を知りたいと願っていたんだろう。私が靴を知りたいと思うみたいに母も何かを知りたかったはずだ。今の私の年頃には、母にはもう私がいた。もしかすると、母が知りたいと願って得たものは、私だったのかもしれない。そうして、今も知りたいと願い続けているのかもしれない。父のこと、娘たちのこと、断念してしまった活け花のことも。(「スコーレNo.4」宮下奈都)
「あのさ、昔から思ってたんだけど、朝目が覚めたときに聴きたい曲が決まってると、その日は一日いい日になる気がする」もうだめだ、と思った。どうしてこの人の言うことが、こんなふうにひとつひとつ胸に飛び込んでくるんだろう。祖母はいつも言っていた。朝目が覚めたときに飲みたいお茶が決まっているとその日はいい日になる。今朝、目が覚めたとき、私はお茶を飲みたいと思っただろうか。それとも、聴きたい歌が決まっていたんだったか。ちょうど今のように。「茅野さん、次の曲、リクエストしていいですか」「うん、もちろん」決まっていたような気がする。忘れていたけれど、今朝起きたときも、昨日の夜も、その前も、ずっとこの曲が聴きたかった。「じゃあ、レディ・マドンナを」(「スコーレNo.4」宮下奈都)
「植野さんのおねえさんは、そりゃ、成績もよかったけどね。植野さんだって、いいところがあるんだから、自身もっていいんですよ。植野さんは、国語の時間、はきはきした声で、きちんと朗読できるなと先生、感心してたの。だから、朝、読んでもらったんです。植野さんのおかあさんは、そういう授業のこと、知らないんです。おかあさんのいうことは、すこし間違ってると思いますよ。植野さん、あんた、自信もっていいのよ」角田センセーはあいかわらず低い声で、ぴしぴしと小枝を折るようにいい、そのいい方だけを聞けば、叱られているのではないかと誤解しそうなほどだったが、よくよく聞けば、なにやら褒めているようでもあり、それにしても、しきりと、(おかあさんが……)というところをみると、どうやら、あの家庭訪問のことをいっているらしい。あのとき、母の清子はすっかり逆上して、しきりと歌子が、とおねえちゃんのことを話題にしていたが、しかし、あれは母がアガッたのと、かつてセンセーが歌子の担任をしていて、共通の話題があると早とちりしたからであって、他意はないのは、さすがに長いつきあいの母娘だけに、チヅルにもぼんやり、わかっていた。しかし、センセーは、あれをなにか誤解したのだろうか。そこのあたりを、もう少し、確かめたいような気がしたが、「いいわね。先生のいうこと、わかりましたね。いいたかったのは、それだけ。はい、では、帰ってよろしい」と、やはり、!マークのついたような言い方でいわれてしまっては、なにをどう尋ねるきっかけもなく、チヅルはぺこっと頭をさげて、足をもつらかしながら職員室を出た。(「角田牛乳(いもうと物語)」氷室冴子)
きっと、おかあさんは、なにバカいってんのさと怒りだすに違いないと思って、チヅルはみぞおちのあたりを押さえた。また、ジクジク痛んできたのだ。それでも、「チヅル、今の学校、いやんなった。転校したら、勉強するよ。ちゃんと家の手伝いもするよ。だけど、今の学校はいやだよ」言葉がとまらなくて、せきこみながらいうと、清子はフンと鼻をならして、「いいよ、転校さしたげるよ」あっさりいった。チヅルはびっくりして、思わず顔をあげた。イヤミをいってるのかと思ったのだったが、清子はぜんぜんイヤミな顔をしていなくて、それどころか泣きそうな顔で、「学校で、なにかあるのかい? このごろ、調子悪いんだって? おねえちゃんも心配してるよ。チヅルはお調子者だけど、悪い子じゃないよ。お母さん、チヅルの味方さ。転校したいんなら、すぐにさしてやるよ」怒ったように、口をとがらせて早口にいうのだった。チヅルはぽかんとして、清子を見返してしまった。清子がそんなふうにいうとは思ってもみなかったのだった。「どこの学校、いきたいのさ。お母さん、あした出面さん休んで、手続きしてやるから」「いいよ、そんなの。転校しないよ。おかあさん、せっかちだからさァ」困ってしまって、へらへら笑いながらいううちに、ふと、今度は胸ではなく目のところが熱くなってきた。じわじわとくすぐったいほど、目が熱くなってくるのだった。(「カルピスとゲソ揚げ(いもうと物語)」氷室冴子)
でも、だいじょうぶです。特別な才能がなく生きるっていうのはけっこうむずかしくて、だからこそやりがいがあって、私はわりと気に入ってます(「あのひとの娘(つぼみ)」宮下奈都)
「私、まさか……まさか自分で気づかないうちに、前川のこと……殺したりしてないよね……?」自分でもはっきりとわかるくらい、声が震えていた。仁菜ちゃんはきょとんとした。そしてすぐにかぶりを振った。「ないです」「ほんとに……?」「はい。だって部屋の掃除もごみ出しもろくにできないくらい疲れきってるのに、人を殺して見つからない場所に隠すなんて超めんどくさいこと、できるわけないじゃないですか」言われてみれば、たしかにそうだ。殺人って、ものすごい重労働だ。前川がいた頃の私は、ラップの白米をおにぎりの形に握る気力さえなかったのだ。そんな人間に、計画殺人なんてできるはずがない。仁菜ちゃんの言葉を信じようと自分に何度も言い聞かせた。(「死んだら永遠に休めます」遠坂八重)
「俺はな、努力の効果を信じてるやつには、あんまり興味がない」と社長は言った。「そういうやつは、思う存分がんばればいいと思うよ。止めやしない。だけど、努力してもかなわないことってあるなと身をもって知ることから、はじめて本当にスタートできるんじゃないのか。どうしてうまくいかなかったんだろうとか、じゃあほかになにができるだろうとか、考えることではじめて、さ」(「純白のライン(シティ・マラソンズ)」三浦しをん)
アンナはしばらく考え込んでいた。やがて口を開く。「たぶん芸術というもの自体が、犠牲を必要としているのよ」いきなり投げかけられた観念的なことばに戸惑う。彼女はもう一度言い直した。「バレエというものが、あなたみたいな人を必要としているの。あなたのように振り分けられた人がいるから、一握りの才能が見つけ出せた。あなたのことばを借りれば、砂を拾い集めなければ砂金は見つからないの。カブキのシステムは違うけど、そのシステムではカブキは作れても、バレエは作れないわ」それは理屈ではわかっている。でも心が納得しないのだ。そう言いかけたとき、アンナは続けてこう言った。「だから、あなたもバレエという芸術の一部なのよ」(「金色の風(シティ・マラソンズ)」近藤史恵)
学生時代の友達が一生物とは言わない。大人になってからの方が気の合う友達もできた。でも醍醐みたいな……なんていうか……お互いを10代の頃から知っている人間がいてくれることは、ときどき凄く必要だった、私には。代えが利かない……っていうと聞こえが悪いか。まあ、なんだ、こんなやつは他にいない、とかね。(「違国日記 アニメ第3話」)
いつも「もし」を思いつくのはゆりえで、それらは決してやってこない未来のように英之には感じられた。浮気ですら、核戦争ほどにあり得ないことに思えた。だから、ゆりえの口にする協定は、みな可能性と対処の話ではなく、愛の言葉に近いように思えた。今、私は、おれは、そのくらいあなたをだいじに思っているのだという、ちいさな告白のように。(「アイドル(くまちゃん)」角田光代)
たのしかったなあと、まったく意識せずそんな言葉が湧き上がってくる。ひでちゃんとの日々はたのしかった。ゆりえは心の内でくり返し、そしてびっくりする。大好きだった、あこがれだったマキトとの暮らしよりたのしかったのかと、自問自答する。ゆりえは答える。そうだ、たのしかった。ひでちゃんがマキトではなかっただけの話だ、と。(「勝負恋愛(くまちゃん)」角田光代)
けれど槇仁は知っていた。希麻子のいう成功がどんなものかはよくわからないが、しかし、何かをやりたいと願い、それが実現するときというのは、不思議なくらい他人が気にならない。意識のなかから他人という概念がそっくりそのまま抜け落ちて、あとはもう、自分しかいない。自分が何をやりたいかしかない。だれが馬鹿だとか、だれが実力不足だとか、だれがコネでのしあがったとか、だれが理解しないとか、だれが自分より上でだれが下かとか、本当にいっさい、頭のなかから消え失せる。それはなんだか、隅々まで陽にさらされた広大な野っぱらにいるような、すがすがしくも心細い、小便を漏らしてしまいそうな心持ちなのだ。(「こうもり(くまちゃん)」角田光代)
久信の見ていた世界、彼が閉じこもっていた仕事場、そうしたものを希麻子は成功と呼ぶのだと思っていたが、もしかしたらそこは、成功という言葉の持つ華々しさとはかけ離れた、ぞっとするくらい孤独でさみしい場所なのかもしれない。私はそこに入ろうとして拒絶されたのだと希麻子は思う。当たり前だ、鶴の機織りは決して見てはいけないのだし、ましてや共有なんてできないのだから。(「浮き草(くまちゃん)」角田光代)
「私の『いい人いないかなぁ』は『そろそろ風呂に入るかなぁ』と同じぐらいの意味合いしかもたないんだってば。『うんうん、そろそろ風呂に入ったほうがいいかもね』と思いながら聞き流しておいてくれればいいからさ」「聞き流していたら、あんたはホントにいつまでも風呂に入んないじゃないの」(「夢のような幸福」三浦しをん)
「ブタさんさあ、頼むからその結婚相談所に登録してくれよ。おまえがどんな男を連れてくるのか、俺はすごく見たいよ。究極の怖いもの見たさっていうの?」それでもまだ、私が男を連れてくることができると思ってるところが、弟の夢見がちな部分というか、世間知らずな部分というか、なんともかわいいやつである。(「夢のような幸福」三浦しをん)
もしかして、私たちの生、生というものが大げさだとするなら生活、そういうものは、私の想像がかろうじて手をのばせるほどの偏狭さで成り立っているのではないか。ここはたしかに、自分の想像を超えた場所である。こんなところがあるなんて思いもしなかった、今目にしている光景だって現実味がまるでない。それに、たとえば夜に落ち合う久里子に私はきっとこの光景を説明できない、なぜならこの場所が自分の言葉を超えているから。でも、それならここに何がある。学校があり、煮物のにおいがあり、歯医者があり、テレビがあり、コンドームがあり、麻薬があり、水道があり、ベッドがある。私の知らないものなどひとつもないではないか。よくよく見知ったもので成り立っている。けれどそれを無数に積み上げていけば、この、緻密で猥雑で巨大な、人が作り上げたとはとても思えない異様な城になる。(「私のなかの彼女」角田光代)
編集者がきて近所の喫茶店で打ち合わせている時間も惜しく、弁当を買いに外出し、エレベーターがなかなかやってこないことにも苛立った。早く書きたい、言葉を紡ぎたいという気持ちとは微妙に異なった。近づくこともできなかった猛獣が、右へと合図すればうつくしい弧を描いて右に走り、左へと合図すれば目を見張る俊敏さで左に走る、上へと合図すれば驚くほど高く舞い上がっていく、そんな奇妙な万能感があり、それが持続しているうちに好き放題に合図を送り尽くしてしまいたいのだった。コンピュータの前から長い時間離れてしまうと、その力も失われてしまうように思えた。書く高揚にもいろいろあるのだと、和歌ははじめて恋をしたときのような気持ちで思った。(「私のなかの彼女」角田光代)
「幸せだよ、蓮司は」「妹に無下にされる兄のどこが幸せなんだ」「そういうのが幸せなんだよ」(「ドールハウスの惨劇」遠坂八重)
「ソナタ第15番ハ長調」ルーちゃんが時代小説から目を離さずにつぶやいた。「初心者のための小さなソナタ」お父さんに聞いてきたのか、調べてきたのか。こういう時のルーちゃんって、ちょっとヤだ。「ウチは一楽章が好きだな」自分の感想を言いたくなった。何かを知ってることより、それをどう思うかが大事なんだ。(「第二音楽室(第二音楽室)」佐藤多佳子)
もし、中原が少しでも私に興味があるなら、アンサンブルをやめないと思った。中原が、私を何とも思ってないのはわかってる。でも、そのことを逃げようがないくらい、はっきり突きつけられた気がした。チョコなんてあげなくてよかったと思った。次の瞬間、チョコくらいあげておけばよかったと思った。なんてはっきりしないんだと自己嫌悪。そして、中原健太は、私と正反対で、自分の気持ちのままに軽々と跳ねていってしまうコだから、やりたいことがあった時に、女子なんかに左右されてやめたりしないと考えた。そういうヤツだから好きになったんだって。切なくて、その夜は、たくさん泣いた。(「FOUR(第二音楽室)」佐藤多佳子)
「過去の潔白だとか、初めてだとか……過去に何もない方がピュアみたいなの、変だよね?!」「どした? なんかスイッチ入った?」「たとえ私が、過去に百人抱いた女だとしても!!」「抱い…?!」「いまこれから、目の前の人と真摯に向き合おうって思ったなら、それはもうピュアじゃんね!?」(「正反対な君と僕」アニメ第6話)
クソじじいめ。俺も、あんなじいさんになってやる。家に帰ってから、クソじじいの曲を作った。足の悪い老人が、鈍い杖の音を響かせて、這うように歩道橋の階段を上っていく──そんな音。なんて陰惨な音階。グロテスクなリズム。違う。もっと、勇猛であるべきだ。もっと、悲壮なのだ。もっと、滑稽でもある。どんな音符を並べれば、そんな曲になるんだ。(「聖夜」佐藤多佳子)
解放者でも破壊者でもない──そんなイデオロギーの奴隷ではなく、彼は自由な音楽家なのだ。騎士でも悪魔でもなく、鍵盤の技術者、卓越した人間だ。初めてキース・エマーソンをテレビで見て以来、ずっと俺のどこかに刺さっていたナイフを、笹本さんの話が引き抜いて捨ててくれたみたいだ。さっぱりした。感動した。キースは、音楽家なのだ。笹本さんも、音楽家だ。いいな、そういうの。有名とか無名とか、そういうことじゃない。深井も俺も、笹本さんの中にある、その音楽家の部分にあこがれる。こんなふうに近くにいることで、胸がうずく。(「聖夜」佐藤多佳子)
結論から言うと不安は対処すべきではない 人生は常に失う可能性に満ちている そこに命の醍醐味がある 恐怖は不快ではない 安全は愉快ではない 不安とは君自身が君を試す時の感情だ 栄光(もくてき)を前に対価を差し出さなきゃならない時 ちっぽけな細胞の寄せ集めの1人 人生なんてくれてやれ(「ひゃくえむ」魚豊)
顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの、もしくはもっとかんたに気が合うでもいい、プラスの部分を好ましいと思いだれかを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子供じみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをしてて、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。(「愛がなんだ」角田光代)
ねえ、恋人ができたときにさあ、その恋人を身内と考えるか、一番したしい他人と考えるかって、二通りあるでしょ? 身内派は、恋人に絶対気をつかったりしない。みんなで飲んでるときも、ビールついだりお皿まわすのは恋人が最後、他人派はさ、したしき仲にも礼儀あり。ちゃんと友達より優先してくれる。わかる? 田中は絶対、身内と考えるほうだと思うんだ。ああいう子って絶対、彼女にたいしてわがままにふるまうよ。母親がわりみたいにさ(「愛がなんだ」角田光代)
「でも そしたらミメイ君にも勝っちゃうな」「俺が水尾さんにもえびのおすしにも勝てばいいよ」「『フルーツトマト フルーツの甘さを超えず』だよ」「聞いたことないことわざだ」(「さむわんへるつ 2」ヤマノエイ)
実際、しばらく以前から、わけ知れぬ不安が休みなく彼を責めつづけるのだった、それはなんだか間に合わぬような気持ち、なにか大事なことが起こって、不意打ちを食らいそうな、そんな予感だった。下の町での将軍との面談で、ジョヴァンニは転任や輝かしい出世は望み薄だと気づかされていたのだが、また一生砦の城壁の中にとどまってもいられないという自覚もあった。遅かれ早かれ、なんらかの決心をしなければならなかった。だが、そのうちに習慣がふたたびいつものリズムの中にドローゴを引きもどしてしまい、彼はほかの連中のことは、いい潮時に逃げ出して行った仲間たちや、財を蓄え名もあげた古くからの友人たちのことはもう考えもせず、流刑地同様のこの砦で、彼とおなじように暮らしている将校たちを見て、彼らが弱者や敗者とは思わず、見習うべき最後の手本だと考え、みずからを慰めるのだった。日一日と、ドローゴは決心を延ばしていった、それに自分はまだ若い、二十五歳になったばかりだ、とそう思っていた。だが、あのかすかな不安は絶えず彼につきまとっていた、それに今では北の砂漠のあの明かりの件もあった、シメオーニのあの話も本当かもしれなかった。(「タタール人の砂漠」ブッツァーティ)
ふつうに過ぎていく毎日のなか、スーパーの見切り品や夏の休暇や、小説の感想やあるいは一生会うこともない映画スターの話題で、一番身近にいる他人を許せないほど憎み、けれど明くる朝には相手のことを考えその存在に感謝し、母はきっと、そのくりかえしが永遠に続いていくと思っていたのだろう。それなのに、憎しみだけを宙ぶらりんに残したまま、くりかえしは途絶えてしまった。父がいなくなってみれば、なんの役にもたたない、なんと馬鹿馬鹿しい憎しみ。母は、自分の生へ向けてでも父の死へ向けてでもなく、ただ、理由をなくしたその憎しみに向かって食事を作り続けたのではないか──母のうしろ姿からあわてて目をそらしていた幼い自分を思い出し、翠はそんなことを思った。(「スイート・チリソース(おやすみ、こわい夢を見ないように)」角田光代)
ぼくの青春が、いま終わりましたよ。いろんな男の人が亜美さんを通り過ぎていきました。でも亜美さんは少しも変わらなかった。そこが重要なんです。亜美さんが誰と付き合おうが、ぼくは平気です(「亜美ちゃんは美人(かわいそうだね?)」綿矢りさ)
さかきさんは常にぼくが亜美さんの容姿にだけ惑わされてきたと言いますが、実際はそうではないんです。亜美さんよりきれいな人はいくらでもいる。でもぼくたちには亜美さんなんだ。そうですよね? 亜美さんがあの稀有な特殊な精神のまま生きていくとしたら、外見はひとつの条件になる。ぼくは彼女が彼女の特殊な外見ゆえ築いてきた、築かざるを得なかった内面が好きだったんです。彼女の変わらないなにかは、変わってしまったぼくに懐かしさを呼び起こしてくれたんです。でもいま、消えた。それが切ないんです(「亜美ちゃんは美人(かわいそうだね?)」綿矢りさ)
彼はどうも、頑張ることに逃げているらしいと気付いた。どうも昔からそうだった気がしてきた。努力のぬるま湯に、手を動かしていることのぬるま湯に首まで浸かっていれば、湯気で先の不安が見えなくて済む。彼は昔からそうして逃げているらしかった。彼は真面目なわけではなく、人生に対してひどく不真面目で、その不都合な事実から目を逸らすために、子供がお母さんに怒られているときに手遊びをするように、努力に逃げているらしかった。(「真面目な真也くんの話(この部屋から東京タワーは永遠に見えない)」麻布競馬場)
コメント
コメントを投稿