天才とはね教授、歴史上のほんの一瞬、大勢の人間がこぞって間違った道へ入り込んでいる時、天がこれを救済できそうな一人の道化に与える、気まぐれの別名なのです(「眩暈」島田荘司)
私も昔は無茶してキツイ山登ってさー よく失敗したりしてボロボロになって 二度と行くか! なんてよく思ったんだけど でもやっぱりまた行きたくなるのよ それはきっと 自分で決めて 自分で挑んで 自分で手にしたことだからだと思う あおいちゃん知ってる? 思い出ってねステキなことだけ残っていくの つらい思い出は時が経てば無くなって ステキなことだけ残っていく そして ステキなことってがんばらないと手に入らないのよ その勢いは多分 大切にした方がいいと思うな(「ヤマノススメ 3」しろ)
無論、彼らが無能だとは言わない。中城は牽引車として、羽場は野党として、沢木口は道化としてそれぞれ得難い技能を持っている。(「愚者のエンドロール」米澤穂信)
言わなかったっけ、僕は福部里志に才能がないことを知っているって。例えば僕はホームジストに憧れる。でも、僕はそれにはなれないんだ。僕には、深遠なる知識の迷宮にとことん分け入っていこうという気概が決定的に欠けている。もし摩耶花がホームズに興味を傾ければ、保証してもいい、三ヶ月で僕は抜かれるね。いろんなジャンルの玄関先をちょっと覗いて、パンフレットにスタンプを押してまわる。それが僕にできるせいぜいのことさ。第一人者にはなれないよ(「愚者のエンドロール」米澤穂信)
今までの説明を聞いてもらったら分かると思うが、実力を伸ばすにはきちんと基礎を固めていかないといけない。自分の身体から逃げない、自分の記録から逃げない。そういう毎日の繰り返しが、いつか鶴見さんにもっと上の世界を見せてくれる(「君と漕ぐ 3」武田綾乃)
捻くれた自分のような人間は、どうにも毒を見せない相手を軽視しがちな傾向にある。(「君と漕ぐ 4」武田綾乃)
それは…臆病じゃない… 勇気と蛮勇は…違うから… 冷静に考えられるのは大事な事だよ…(「ヤマノススメ 5」しろ)
しかし時代の風はミサ子の家の高い土べいをもわすれずに乗りこえて、かの女の夫をもさらっていったまま、まだかえらぬ兵隊のひとりにくわえていた。だが目のまえに見るミサ子は、くったくのないむすめのように、おおらかに、むかしながらの人のよい顔つきでにこにこしていた。(「二十四の瞳」壺井栄)
女と仲良くしたいと願う男は、執念深くなく言葉を求めない女を探すといいだろう。しかし残念ながら、執念深くなく言葉を求めない女は、存在しないのである。(「ビロウな話で恐縮です日記」三浦しをん)
「私、けっこう本読むんだー。『冷静と情熱のあいだ』はすっごくよかったよ」なんて言う、おまえらなんてみんな死ね。合コン中の男女を横目に、居酒屋で一人、苦々しい思いでビールを飲んだことが何度あっただろう。私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎこんで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の真剣一本勝負」なんだよ!(「三四郎はそれから門を出た」三浦しをん)
「具体的にこういう書物を読んでるんですよ」と目に見える形でひとに提示するなど、腹をかっさばいて胃の腑を開き、夕に食べた献立を説明するようなものだ。(「三四郎はそれから門を出た」三浦しをん)
僕は希望について考えたとき、突然恐ろしくなった。ルントウが香炉と燭台を望んだとき、僕が秘かに苦笑さえしたのは、彼はいつも偶像を崇拝していて、それを片時も忘れないと思ったからだ。いま僕の考えている希望も、僕の手製の偶像なのではあるまいか。ただ彼の願いは身近で、僕の願いは遥か遠いのだ。ぼんやりとしている僕の目の前では、一面に海辺の深緑の砂地が広がり、頭上の深い藍色の大空には金色の満月がかかっている。僕は考えた──希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。(「故郷」魯迅)
小佐内さんのテーブルには、空になったサンデーのグラスが置かれている。いつの間にか食べ終えていたようだ。訊いてみる。「おいしかった?」 小佐内さんは、真摯に答えた。「侮っていたつもりはないの。でも、侮りがたいなって」(「冬期限定ボンボンショコラ事件」米澤穂信)
「またしてもチキンを焦がしてしまって申し訳ございませんでした。さめないようにオーヴンに入れて、それきり忘れてしまいましたのです」「チキンのことはもう言うなったら。おれはいつだってばかな鳥だと思ってたよ、鶏ってやつは。ふいに車の前へとびだしてきたり、うろうろ道ばたで餌を漁ったりしてな。朝になったら死骸を埋めて、盛大な葬式でもしてやるがいい」(「親指のうずき」アガサ・クリスティ)
「それはわかってるわ。こう見えてもわたし、田舎の牧師館で育っているんですからね。田舎の人は、日付を暦年で記憶しようとせずに、出来事で記憶しようとするの。『あれは1930年のことだ』とか、『1925年にあったことだ』とか言う代わりに、『あれは古い水車小屋の焼けたつぎの年だ』とか、『樫の大木に雷が落ちて、百姓のジェイムズが感電死したすぐあとのことだ』とか、『あれは小児麻痺の流行した年だった』とか、そんなふうに言うのよ。だから当然彼らの記憶には、はっきりとした時間的なつながりがないってわけ。おかげですべてがひどくややこしくなってくる。ただそこここで、ちょこちょこと真実らしき断片が頭をもたげているだけなの。もちろん最大の問題はね」と、タペンスはたったいまふいに重大な発見をした人といったていで、「問題はね、わたし自身がもう年をとったってことよ」(「親指のうずき」アガサ・クリスティ)
友だち。なんて便利な言葉。この世に存在するどんな感情よりも深い思いをこめることもできれば、なんの思い入れもない知り合いを遠回しに表現することもできる。私は友達のふりをするのがとても得意なの。(「ののはな通信」三浦しをん)
運命の相手と出会うことを「死」にたとえれば、その唐突さと残酷さ、若い時期に遭遇してもなんら不思議はないということを、わからんちんたちにも少しはイメージしてもらえるだろうか。あなたは私にとっての「死」だった。(「ののはな通信」三浦しをん)
生まれてくるまえ、私たちがまだだれとも会っていなかったように、死んだひととも、まだ会っていないだけのような気がするのです。(「ののはな通信」三浦しをん)
もしかすると、どの国でも、その国に棲まう人も犬も、同じ目つきをしているのかも知れない。それがその風土が生み育てたものなのであろう。人も犬もみな同じ目つきをして、対等に心細く巷を渡ってゆく。(「村田エフェンディ滞土録」梨木香歩)
こんな事は何でもないことだ。「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」。(「村田エフェンディ滞土録」梨木香歩)
ディスケ・ガウデーレ──楽しむことを学べ。(「村田エフェンディ滞土録」梨木香歩)
つまりですね、頑張れば何とかなる保証はありませんが、頑張らなければ何ともならないことは、保証できます!(「氷菓(アニメ版)」)
いいか。相手に「自分に頼る他にこいつには方法がない」と思わせることだ。自分は唯一無二の期待をかけられている、と感じた人間は、実に簡単に尽くしてくれる。自己犠牲さえ厭わないことも、珍しくない。相手に期待するんだ。ふりだけでいい。(「クドリャフカの順番」米澤穂信)
加えて、一つ注意することがある。問題をあまり大きく見せてはいけない。「自分が助けると、こいつは絶体絶命のピンチを脱出する」と思わせては駄目だ。自分のちょっとした手助けで他人が莫大な利益を得たり致命的な不利益を回避したりすることを快く思う人間は、多くはない。自分には些細なことだが相手にはそこそこ大事なことらしいな、というラインで攻めるのが重要だ。優越感をくすぐれる。(「クドリャフカの順番」米澤穂信)
絶望的な差から期待が生まれるというのが妥当とするなら、俺はどんな方面でも差に気づいてさえいないようだ。身を震わせるほどの切実な期待というものを、俺は知らない。憧れを知らない。眼下に星を持たない。(「クドリャフカの順番」米澤穂信)
いいところでも、悪いところでもない。そうするのが普通だと思ってるだけだ。誰にも、何にも思われたくない。(「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」辻村深月)
この世はうざい。信じられないほどうざい。しかし、とあたしは思った。キレる男は馬鹿だ。あたしら女子高生がキレて、バスジャックしたって、刃物振り回したって、ことを為す前に取り押さえられるのがオチだ。だから、女はうざいことをされないようにあらかじめ武装する。男はきっと、この武装がうまくないのだ。(「リアルワールド」桐野夏生)
どう言ったらいいんだろう。死んでしまったら生き返るのは不可能だから、確かに取り返しが付かないことではあるけれども、私の考えでは、取り返しが付くことでもあるのだ。だって、死は誰もがいずれ経験するんだから、むしろわかりやすい結末を選んだっていう意味で敗北に近い。相手を殺すのは、自分の憤怒や屈辱や欲望に落とし前を付けただけで、それで問題が終了した訳じゃないのだから、取り返しが付かないことじゃない。本物の「取り返しの付かないこと」というのは、永久に終わらなくてずっと心の中に滞って、そのうち心が食べ尽くされてしまう怖ろしいことだ。「取り返しの付かないこと」を抱えた人間は、いつか破滅する。(「リアルワールド」桐野夏生)
むしろ、どうでもという観点から考えると良い人ではなかろうか。(「遠回りする雛」米澤穂信)
それでもきちんと読んで、感想を言って返した方がいいよ。自分が貸した本を気に入ってもらえないのって、結構ショックだから(「名前探しの放課後(上)」辻村深月)
何か面白いことはないかなあとキョロキョロしていれば、それにふさわしい突飛で残酷な事件が、いくらでも現実にうまれてくる、いまはそんな時代だが、その中で自分さえ安全地帯にいて、見物の側に廻ることが出来たら、どんな痛ましい光景でも喜んで眺めようという、それがお化けの正体なんだ。おれには、何という凄まじい虚無だろうとしか思えない。(「虚無への供物(下)」中井英夫)
〈人生〉とは〈記憶〉である。人は、たとえ時間的に百年ほど生きても、そのうち六十年の記憶しか当人になければ、その〈人生〉は、六十年であり、そのうち二十年の記憶しか当人になければ、その〈人生〉は、二十年である。(「深淵」大西巨人)
「質さん、このこと話しておくわ」質が真剣な顔で遮った。「何も言わなくていい。きみの過去なんか、俺の日記帳と同じだ。読めばそうかと思う奴がいるだけだ」(「玉蘭」桐野夏生)
回避は好きだし省略は大好きだ。しかし先延ばしは好きではない。厄介事を見て見ぬふりをしても、いずれやらねばならない処理がより厄介になるだけだ……。(「ふたりの距離の概算」米澤穂信)
俺は大日向が何に喜び何に傷ついてきたのか、ほとんど興味を持ってこなかった。それは人を軽視したということだ。(「ふたりの距離の概算」米澤穂信)
「かもしれませんが、違法です」「ばれないだろう」「折木さんって真夜中の赤信号は無視するタイプですか」「真夜中には出歩かないタイプだ」会話が非生産的すぎて、惨めな気分にすらなってくる。「お前は守りそうだな」「わたしは、真夜中に出歩く範囲内に信号がないタイプです」(「ふたりの距離の概算」米澤穂信)
考えてみれば僕はオフシーズンにばかりこの島を訪れている。まるで化粧を落とした時間を選んで、女性に会いに行くみたいに……。(「ラオスにいったい何があるというんですか?」村上春樹)
「怪物って?」「人間じゃない人たちよ」「天才ってこと?」わたしは言葉を呑み込みました。天才だけでは済まないのです。怪物とは、何かを歪ませて成長し続けて、その歪んだものが大きくなり過ぎた人のことなのです。(「グロテスク(上)」桐野夏生)
体を売る女を、男は実は憎んでいるのよ。そして、体を売る女も買う男を憎んでいるの。だから、お互いに憎しみが沸騰した時に殺し合いになるのよ。あたしはその日が来るのを待っているから、その時は抵抗せずに殺されるわ(「グロテスク(下)」桐野夏生)
あたしはユリコの異様な落ち着きがやっと理解できた気がした。ユリコは少女の頃から、自分の肉体を使って、世界を手に入れていたのだ。ありとあらゆる男の欲望を処理することは、男の数だけの世界を得ることだ、たとえそれが一瞬だとしても。(「グロテスク(下)」桐野夏生)
こんな小手先でわたしを誤魔化せると思われたことが心外だ。不本意ながら長い付き合いで折木の手の内はわかっている。こいつが頭を下げて手早く話を終わらせようとしていることぐらい、お見通しなのだ。(「いまさら翼といわれても」米澤穂信)
「わたし、折木くんはヒーローにしていたいの」「……」「会って話したら、嫌いになるでしょ?」(「いまさら翼といわれても」米澤穂信)
実際はああいうことがあったのに、小木がヘリ好きだったなあなんて、気楽には言えない。それは無神経ってことだ。(「いまさら翼といわれても」米澤穂信)
言わなければいけないことを黙っているのも、嘘をついているのと同じなのにね(「夢を与える」綿矢りさ)
すがりつくことは緩慢な死だ。(「夢を与える」綿矢りさ)
昼ご飯の時間が済んですぐの教室は、誰かのお弁当の具だった酢豚の匂いと春の暖かい陽気がこもっていてまるで人間の胃の中のようである。(「インストール」綿矢りさ)
マンションのいいところ。それは、この建物には幾百の別々のドアがあり、そのそれぞれのドアの奥にはまた別々の人間が住んでいるのにもかかわらず、こんなふうにマンション全体で今のように賑やかになったり、光ったりやわらいだりと潮の満ち引きをするところだと思う。(「インストール」綿矢りさ)
むなしいわけじゃないけど、毎日沢山の人達と流れるようにチャットして、どんどん無感覚になってきて、それで突然こういうふうに流れを止める人に会うと、ああ、僕って人間を相手にしてたって気づいてしまいますよね。それに戸惑ってしまうんですよね。うーん、僕は心が病んでるかな?(「インストール」綿矢りさ)
何かあるような気がしたんだ、いや俺とヘロインの間にさあ、何かがあってもいいような気がしたんだ。本当はもうガタガタ震えて気が狂う程ヘロインを打ちたいんだけど、俺とヘロインだけじゃあ何か足りないような気がしたな。打ってしまえばもう何も考えないけどな。それでその足りないものって言うのはさあ、よくわかんないけど、レイ子とかおふくろじゃないんだな、あの時のフルートだって思ったんだ。それでいつかお前に話そうと思ってたんだ。リュウはどういう気持ちで吹いたのか知らないけど俺はすごくいい気分になっただろう? あの時のリュウみたいなのがいつも欲しいと思うんだよ。注射器の中にヘロインを吸い込むたびに思うよ、俺はもうだめさ、からだが腐ってるからなあ。見ろよ、頭の肉がこんなにブヨブヨになって、もうすぐきっと死ぬよ。いつ死んでも平気さ、どうってことないよ、何も後悔なんか何もしてないしな。ただ、あの時のフルート聞いたあの気分がどういうものかもっとよく知りたいな。それだけは感じるよ、あれ何だったのか知りたいよ。(「限りなく透明に近いブルー」村上龍)
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。(「山月記」中島敦)
自己だと? 世界だと? 自己を外にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、甚だしい謬見じゃ。世界が消えても、正体の判らぬ・この不思議な自己という奴こそ、依然として続くじゃろうよ。(「悟浄出世」中島敦)
宮元が赤いペンで下線を引いたところに"ぼくはもう二度と遅刻をします。"と書いてあって私は甘いめまいでくらくらした。先生、イチのその文はあなたに向けての茶目っけじゃないんです、彼は私の言った一言を一年経ったいまでも覚えていてくれてるんです、だから自分の手がらにしないで。その変な文章は私とイチが精神的につながっていることの証なんです。(「勝手にふるえてろ」綿矢りさ)
処女とは私にとって、新品だった傘についたまま、手垢がついてぼろぼろに破れかけてきたのにまだついてる持ち手のビニールの覆いみたいなもので、引っ剥がしたくてしょうがないけど、なんか必要な気がしてまだつけたままにしてある。(「勝手にふるえてろ」綿矢りさ)
だれかが私の側を通り過ぎてゆくとき、私はいつも、それが見知らぬ人であっても、相手の手をつかんで立ち止まらせたくなる。さびしがりのせいだと思っていたけれど、恋をして初めて気づいた。私はいままで水を混ぜて、味が分からなくなるくらい恋を薄めて、方々にふりまいていたんだ。(「ひらいて」綿矢りさ)
およそ、忍耐力など持ち合わせていない人が、たとえ打算があったとしても、私の前でおそろしく辛抱強くふるまい続けるのであれば、私は愛さずにはいられません。(「ひらいて」綿矢りさ)
昔あたしを手術した医者がピンセットとメスを体の中に入れて取り出すのを忘れてしまって、それが子宮の壁に貼り付いて溶けてあたしの器官に変化してこの娘が腹にいる時、自然で静かで完璧な整形手術をしたんじゃないかしら。(「コインロッカー・ベイビーズ」村上龍)
自分の欲しいものが何かわかってない奴は石になればいいんだ、あのあけびの女王は偉いよ、だって欲しいものが何かわかってないやつは、欲しいものを手に入れることできないだろう? 石と同じだ、あのバカな娘はずっと石のままだったらよかったんだ(「コインロッカー・ベイビーズ」村上龍)
あの時ふいにこの若い男はあたしの知らない地獄を通過してきたのではないかと思った。地獄の記憶を柔らげようとする波が常に起こっていてそれが他人にも及ぶのだろうと思ったのだ。今はそう思わない。ハシは地獄を見たり通過してきた人間ではない。自分の中に一個の内臓として地獄を飼っている人間だ。声帯の震えで自らの地獄を照らしだし吐き出して何とか均衡を保ってきたのだ。(「コインロッカー・ベイビーズ」村上龍)
マウンティングに負けて、人間性で勝つ。つまり、そういうことだ。(「私をくいとめて」綿矢りさ)
ただ一つ切ないのが、自分にとって非常に身近な人たちが、私の書いた本を参考にして、私の性格や過去を分析するときだ。目の前の現実の私より、書いてきた小説を「正直に心情を吐露した告白小説」として信用されると、仕事に喰われるような恐怖を感じる。(「こたつのUFO(意識のリボン)」綿矢りさ)
「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしました」とやがて彼は言った。「僕はそのときのことを思い出すたびにこの文章を思い出すんだ、条件反射みたいに。僕は思うんだけど、深い哀しみにはいつもいささかの滑稽さが含まれている」(「我らの時代のフォークロア - 高度資本主義前史(TVピープル) 」村上春樹)
「私が備えている要素の1つ、いくつかある悪い要素ではなく良い要素のことだが(笑)、その1つには、自分が去った後のクラブの様子と、自分が来る前のクラブの様子については意見しないという姿勢がある。だから、その対象がジョンであれ誰であれ、ベニテスの判断については、一言たりとも口にするつもりはない。(中略)ベニテスの判断はベニテスの判断として尊重する」(「勝ち続ける男モウリーニョ スペシャル・ワン、成功の理由」山中忍)
――監督としての弱点は? 「弱点に関しては、改善に取り組んでいるとしか言いようがない。敵に自ら弱みを教えることなどあり得ない。私の敵は明日の朝刊に目を通すだろうし、この会見のテレビ中継を観ているかもしれない。それに、チームとしての強みは弱点を明かさないことにある。どのチームにも、どの監督にも、どの選手にも弱点はある。だから、悟られないようにしなければならない。スポーツの世界に完全な敵は存在しないが、凌ぎを削る相手という敬意を込めて、敢えて敵と言わせてもらう。その敵に弱みは明かさない。自分で認識はしている。大きな弱点ではないし、それほど多くもない(笑)。悟られないようにしながら、改善を期すだけだ」(「勝ち続ける男モウリーニョ スペシャル・ワン、成功の理由」山中忍)
アンチコメントしてくる地獄のウゾウムゾウも結局は地獄の仲間みたいなもんなんだよ。後ろ振り向いて“お前らは来るな!„って言ったとたんに上へ昇ってくためのか細い蜘蛛の糸なんかすぐに切れちゃうんだよ。だからおれは決して後ろを振り向かず、天を見上げて高みを目指すのだ!(「神田タ(嫌いなら呼ぶなよ)」綿矢りさ)
2008年12月、人生で大事なことは何かと「シュテルン」誌に尋ねられたクロップは、「自分が昔いた場所に少し貢献すること。全力を見せること。愛情を注ぐこと。愛情を受けること。そして自分を過大評価しないこと」と答えた。(「ユルゲン・クロップ Echte Liebe」エルマー・ネーヴェリング)
「いつかどんな格好でも受け入れられる時代が来ればいいですね」「それも困るんだよなぁ。私は一方で、流行も好きだから。みんなが似たような格好をしてないとダサいって馬鹿にされる、そういう窮屈な縛りも好きなの。どれだけ個性を消して流行りに全身浸かろうとしてもうっかりちょろっと出てしまったその人の個性を摑んで真似するのが私は好きなんだ」(「オーラの発表会」綿矢りさ)
人間が壊れている、というとき、それはその人のコミュニケーションが壊れているのだ。(「イン・ザ・ミソスープ」村上龍)
あいつらは、生きようという意志を放棄しているわけではない、他の人間とのコミュニケーションを放棄しているんだ、貧しい国には、難民はいるが、ホームレスはいない、実はホームレスはもっとも楽に生きている、社会生活を拒否するのだったらどこか他の場所に行くべきだ、何らかのリスクを負うべきだ、少なくともぼくはそうしてきた、彼らは罪さえ犯せない、退化している、ぼくは、ああいう退化している人間達を殺してきたんだ(「イン・ザ・ミソスープ」村上龍)
以前は自著の読者の方々から共感が欲しいと思ってたけど、今は、共鳴したいと思う。自分の中に潜んでいる物語を探し当てるのに必死になっていたけど、最近は書き手より、むしろ読み手に脈打つ何かが潜んでいて、文章で読者の敏感な神経に触れたら、共鳴が返ってくるのではと感じている。洞窟に向かって何か語りかけ、ある特定の言葉を発したときだけ奥の暗がりから反応する声が返ってくるのを、耳を澄まして聴いているような心境だ。どの言葉なら反応があるかを常に探している。(「あのころなにしてた?」あとがき 綿矢りさ )
でも もし"付き合った"として 香坂さんのそういう自由を束縛することを許されるだけの価値 オレにあるのか?(「瓜を破る 4」板倉梓)
でも結局 付き合うことになったら 休日はほぼ必ず会うことになって そうしてるうちに家に入り浸って その先の同棲だの結婚だのって話になるかもしれない それはつまり 今の快適な自分だけの空間や生活のペースが侵食されてくってこと さみしい夜と そのめんどくささを天秤にかけた時に 今の私はもう めんどくささが断然勝つ(「瓜を破る 5」板倉梓)
だがこのての人間が恐いのだ。ものごとを信じやすい。朝鮮や中国で虐殺や拷問や強姦をしたのはこのての人間だ。このての人間は落書きで泣くが、中学同級生の女の子が卒業と同時に黒人のちんちんをしゃぶることには心が動かない。(「69」村上龍)
現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて完全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。(「無趣味のすすめ」村上龍)
奈世がまっすぐ僕の顔をあおぎ見て微笑んでいた姿はまだもちろん僕の頭に残っていていつでも思い出せたのだけれど、それはもう消滅してしまった星の光が、何億年もかけていま地球に届いているのと同じ、タイムラグの起こした錯覚だった。(「しょうがの味は熱い」綿矢りさ)
おれは何もしていないのにターゲットにされた被害者じゃない。おれは、しすぎるほどしていて、そしてこれからもしていくつもりなのだ。そう、発信を。受け取る人がどうとるかまでは分からないものを、ずっと世間にばらまき続ける。(「いなか、の、すとーかー(ウォーク・イン・クローゼット)」綿矢りさ)
あのですね、理想的な詐欺はですね、相手が騙されたことに気づかない詐欺なんですよ。それが完璧な詐欺なんです。でも、それと同じことがマジックにも言えるかというと、これが違う。まったく反対なのです。マジックでは、相手が騙されたことを自覚できなければ意味がないのですよ(「カラスの親指」道尾秀介)
這い上がる意思のない人間に何本ロープを垂らしてやろうが無駄なのだ。意思ある人間はロープなどなくても必ず這い上がってくる。(「クライマーズ・ハイ」横山秀夫)
だが、とカスミは思う。あなたが私の村で生まれたら、あなたも私みたいになる。(「柔らかな頬(上)」桐野夏生)
「あの人はきっと、若くして死んでいくことに耐えられないのよ。承知している顔しているけど、心の中では不公平だと思っているし、怖がっている。だから、テレビを見て私に連絡してきたの。最初は捜査とか言ってたけど、違うんだと思った。あの人は私が現実と折り合えずに戸惑っている様を見たかったのよ。だから、私もあの人が死ぬところを見るの」「競争しているみたいだ」(「柔らかな頬(上)」桐野夏生)
自分の人生は、なんだかモグラに似ている、と思っていた。さしたる夢もなく野望もなく、とにかく目の前の土を掻きわけて、なんとか息のできるスペースをつくっていく、それの繰り返し。もっと大きな、なんというのか「ビジョン」というのか、人生の目標みたいなものが、自分にはない、と、珊瑚はふとした折に思うことがあった。ちゃんとした人生というものが自分の知らないどこかにあって、自分にはそのスタート地点すら見えていないのだという気が漠然としていた。(「雪と珊瑚と」梨木香歩)
「ええーっ! そんなに本格的にやってたのに、今は?」「春に、やめたんです」亜紗が咄嗟に思ってしまったのは、「もったいない」ということだった。だけど、それを口に出すほど、亜紗は無神経でもぶしつけでもない。(「この夏の星を見る」辻村深月)
どんなこともそうだけど、始めたはいいけど、やめる時って、本当に自分で決めるしかないんだなーって。プロだけがそれを仕事にできるんだとしたら、〝何のためにそれをするのか問題〟って、絶対誰にでもあると思うんです。なんか、コロナのあれこれが始まってからは、特にそういう圧を感じる気がする(「この夏の星を見る」辻村深月)
今ようやく分かった。セックスとは、殺人の寓意にすぎない。犯される性はすなわち殺される性であった。男は愛するがゆえに女の身体を愛撫し、舐め、嚙み、時には乱暴に痛めつけ、そして内臓深くおのれの槍を突き立てる──。男はすべて、女を殺し、貪るために生まれてきたのだ。(「殺戮にいたる病」我孫子武丸)
純佳の通知表には、いつだって褒め言葉ばかりが並んでいた。ルールを守り、弱者に優しい。学級委員という役職を難なく務める純佳のことを、皆がいい子だと持て囃した。その言葉を聞く度に、純佳は内心でひっそりとこう思うのだ。私がいい子じゃなくなったら、世界は一体どうなってしまうのだろう。(「その日、朱音は空を飛んだ」武田綾乃)
自分に罰を与えるために死ぬ人は少ない。彼は、あなたに罰を与えるために死んだのでしょう?(「顔に降りかかる雨」桐野夏生)
私はただの調査屋以上の仕事をしてきた。それは、そういう荒唐無稽と思うことも、調べてきたからだ。大事なのは変だと感じる感性と、何故だと考える想像力だ(「顔に降りかかる雨」桐野夏生)
「無理中毒には気をつけなよ」「なにその中毒」「無理してる自分に酔っちゃうって時ない? 忙しいとさぁ、頭使わなくていい方に流されることあるじゃん。ちょっとでも自分の頭を使うくらいなら、もういいか、みたいな。忙しいの気持ちイイし、みたいな」(「愛されなくても別に」武田綾乃)
もしも私が男だったら、こんな女は好きにならない。今、私は女だけれども、やっぱりこんな女は好きになれない。だけどこれが別の誰かの身体だったとしたら、綺麗だと思える気がする。中身が自分というだけで、器すらも醜く見える。(「愛されなくても別に」武田綾乃)
「宮田はさ、いつ死んでもいいですみたいな顔してるよね」「どんな顔よソレ」「生きてるのは自分のせいじゃありませんから! みたいな顔」(「愛されなくても別に」武田綾乃)
アタシは、他人に愛されなくても幸せに生きることを許されたい。いいじゃん、愛されなくても別に。他人から愛されなければいけないなんて、そんなのは呪いみたいなもんだよ。宇宙様、アンタは間違ってる(「愛されなくても別に」武田綾乃)
私は缶を持ち直し、息を吐いた。自分の中にある思考を慎重に削りだしていく。「結婚したり、子供産んだり、大切な人を作ったり……守りたい人が出来てしまったら、その人は自分で死を選ぶ自由を失うんだろうなって思うんだよね。なんというか、コイツを置いて死ねない! と思うことが増えて、他人の為に生きていこうと思うんじゃないかって思うの」(「愛されなくても別に」武田綾乃)
「許すかどうかの選択は、宮田がしていいんだよ。空気とか社会とかが宮田に謝れって言ったって、宮田はそれを無視していい。怒り続けてもいいし、悲しみ続けてもいい。何を選ぶかは、宮田の持ってる権利だから」滔々と語られた言葉に、私は目を瞠った。「良いこと言うじゃん」「アタシが言われたかった言葉だからね」(「愛されなくても別に」武田綾乃)
恨みがあったとか、愛情が憎しみに変わったとか、金が目当てだったとか、そういう理由があるならば、被害者の側だって、なんとか割り切りようがある。自分を慰めたり、犯人を憎んだり、社会を恨んだりするには、根拠が必要だからね。犯人がその根拠を与えてくれれば、対処のしようがある。だけど最初から根拠も理由もなかったら、ただ呆然とされるがままになっているだけだ。それこそが本物の「悪」なのさ(「模倣犯(三)」宮部みゆき)
いいか、よく覚えとけ。人間が事実と真正面から向き合うことなんて、そもそもあり得ないんだ。絶対に無いんだよ。もちろん事実はひとつだけだ。存在としてはな。だが、事実に対する解釈は、関わる人間の数だけある。だから、事実には正面も無いし裏側も無い。みんな自分が見ている側が正面だと思っているだけだ。所詮、人間は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないんだよ(「模倣犯(四)」宮部みゆき)
同じ後悔をするにしても、積極的後悔をすべきだった、という消極的後悔を俺は延々繰り返した。(「鴨川ホルモー」万城目学)
他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?(「すべてがFになる」森博嗣)
尭の虻は見つけた。山茶花を、その花片のこぼれるあたりに遊んでいる童子たちを。──それはたとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断りをいって急いで自家へ取りに帰って来る、学校は授業中の、なにか珍らしい午前の路であった。そんなときでもなければ垣間見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。そう思って見て尭は微笑んだ。(「冬の日」梶井基次郎)
彼らは私の静かな生活の余徳を自分らの生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐んでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷ける空想だった。(「冬の蠅」梶井基次郎)
私さえ目しいになりましたらお師匠様の御災難はなかったのも同然、折角の悪企みも水の泡になり定めし其奴は案に相違していることでござりましょうほんに私は不仕合わせどころかこの上もなく仕合わせでござり升卑怯な奴の裏を掻き鼻をあかしてやったかと思えば胸がすくようでござり升(「春琴抄」谷崎潤一郎)
かつててる女に語っていうのに、誰しも眼が潰れることは不仕合わせだと思うであろうが自分は盲目になってからそういう感情を味わったことがないむしろ反対にこの世が極楽浄土にでもなったように思われお師匠様と唯二人生きながら蓮の台の上に住んでいるような心地がした、それというのが眼が潰れると眼あきの時に見えなかったいろいろのものが見えてくるお師匠様のお顔なぞもその美しさが沁々と見えてきたのは目しいになってからであるその外手足の柔かさ肌のつやつやしさお声の綺麗さもほんとうによく分るようになり眼あきの時分にこんなにまでと感じなかったのがどうしてだろうかと不思議に思われた(「春琴抄」谷崎潤一郎)
「自分にないものがきちんとわかってるね、月子は」「うん。私は優しくないし、どっか嫌味があるから。上品さも欠片もないし」「直せば?」 狐塚の提案に、彼女はあっさりと首を振った。「自分にないものは、他人が持っているからこそよく見えるの。自分がそれを持った途端、みるみる価値が失せていく。そういうもの」(「子どもたちは夜と遊ぶ(上)」辻村深月)
人はよく、『好き/嫌い』と『良い/悪い』を混同して評価してしまうが、俺はきちんと区別するよ。(「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午)
クイズに答えているとき、自分という金網を使って、世界をすくいあげているような気分になることがある。僕たちが生きるということは、金網を大きく、目を細かくしていくことだ。今まで気づかなかった世界の豊かさに気がつくようになり、僕たちは戦慄する。(「君のクイズ」小川哲)
僕の耳元で「ピンポン」という音がずっと鳴っていた。家に帰ってからも、ベッドに潜ってからも、ずっと鳴っていた。(「君のクイズ」小川哲)
作家は自己弁護を目的に創作をするべきではない。むしろ、話を面白くするためなら、どれだけ自分の弱点を曝けだしても構わないという覚悟の方が必要だ。(「偽物(君が手にするはずだった黄金について)」小川哲)
僕はこの小説が好きだった。短編だったが、この作品は僕が小説に求めるすべての要素を含んでいた──つまり、どこかから逃げる話であり、どこかへ向かう話であり、懐かしさと愛と、手に入れることのできなかった過去の話だった。(「受賞エッセイ(君が手にするはずだった黄金について )」小川哲)
でも自分らはそんな長くはここに住まないだろうし、工事の人たちもずっとこのマンションを担当してるわけでも無かろうし、歪みが最高潮に達して崩れてくるとき今のこのメンバーは誰もいないだろうと楽観的に考えれば、トイレの戸が閉まって良かったなとしか思わない。トイレの戸がちゃんと閉まった運の良い奴もいれば、トイレの戸を閉めた途端天井が落っこちてくる運の悪い奴もいる、そんなロシアンルーレットに毎日晒されて自然に運試しする運命にあるのが北京人としてあるべき生活なのかもしれない。知るか。(「パッキパキ北京」綿矢りさ)
一ノ瀬がひょっこり入ってきた時は本当にビックリしたが、俺は同じくらいおまえにも驚いたんだよ。倍マンつもったら、裏ドラが四枚ついてたみたいによ。(「一瞬の風になれ 第一部」佐藤多佳子)
あのくらいがどのくらいなのか、俺はあえて尋ねなかった。幻のタイムはけっこうどうでもよかった。身体が感じたものが嬉しかった。俺と連で、高梨と仙波に向かっていった感覚みたいなの。(「一瞬の風になれ 第一部」佐藤多佳子)
「可能性?」って俺は言った。ぽっと言葉が頭に浮かんだから。「自分の能力みたいなのに幅があるじゃん。最低から最高までさ。その一番上が見えないのがいい。夢とかさ、なんか、そういうことなんだけど、ワクワクできるのがいい。やれるかもしれないって自分で思えるのがいい」(「一瞬の風になれ 第二部」佐藤多佳子)
あんな大きな才能のある人に届こうとしてる。いつも前を向いて、上を見て、一生懸命やってる。あきらめたりしない。可能性……って言ってくれたよね、私に。長距離の練習がどんなにきつくても、神谷くんのその言葉を思い出して頑張れるんだよ(「一瞬の風になれ 第二部」佐藤多佳子)
手にはバトンがある。根岸から連、連から桃内、桃内から俺へとつなげたバトンがある。これを持ってゴールに行くだけ。なんだろう……不思議な幸福感。身体が軽かった。どこまででも、いつまででも走れそうな気がしていた。仙波は前にいた。抜きたいとは思わなかった。ただ、近づきたいと思った。もっと、近づきたい。もっと、もっと、もっと……。(「一瞬の風になれ 第三部」佐藤多佳子)
でも、敢えて、身を引いて鍵山を推し、俺らの誰もが口にできないようなデカい夢を描いている。根岸の口から出た、その夢は強烈で美しかった。根岸が言うからこそ特別に美しかった。俺らは雷に打たれたように感電した。共鳴した。やるか、と連が言った。やろう、と俺が言った。桃内がうなずいた。あとは、鍵山だけだ。(「一瞬の風になれ 第三部」佐藤多佳子)
ねえ、真帆。謝るってことは、相手に判断を委ねることなの。許すのか、許さないのか。悩むのは相手だけで、自分はもうただ答えを待てばいいだけの状態になる。それは結局、自分が楽になりたいだけってことでしょう? 真帆が本当に加奈のお父さんに悪いことをしたと思ってるなら、謝ったりなんてするべきじゃない(「罪の余白」芦沢央)
もう今日は終わっちゃったのよ──そもそも今日は永遠に終わらない。何かが終わったのであれば、それは必ず昨日だ。それくらい小学生でも知っている。それはつまり、果てることなく水平に伸びていく時間軸の中で、うっかり昨日になり損ねた今日が、今さっきリサの中で終わってしまったということだ。リサの気持ちはよくわかる。オリビエが死んでから、リサは永遠の今日を生きてきたのだ。(「ユートロニカのこちら側」小川哲)
人間は、不自由からの解放という形でしか自由を認識できない。不自由がなくなれば自由もなくなる。完全に欲求が満たされれたば欲求は存在しなくなる。意識がなくなれば、無意識もなくなる。(「ユートロニカのこちら側」小川哲)
そうか。ただの旅人ではないのだ。脇役に追いやられた自分たちのことを嘆いているのではないのだ。三上にも覚えがある。初めての勤務地は特別だ。親の庇護を離れて自活する。仕事を覚え、道を覚え、店を覚え、住み、食べ、眠り、悩み、己の両足で大地を踏みしめる。本当の自分が生まれた場所なのだ。故郷以上に故郷なのだ。その地が蹂躙された。それが悔しくて悲しくてならないのだ。(「64(下)」横山秀夫)
最初は何にも変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、それの繰り返しです(「西の魔女が死んだ」梨木香歩)
このゲームは、目の前の数で決めてしまいたいという欲望と、この先にどんな数が待っているのか知りたいという好奇心のせめぎ合いで成り立っている。これが自分の運命なのだと受け入れるのも戦略のうちだし、結果的に後悔してもいいから次の数が知りたいと抵抗を続けるのも戦略だ。どちらが正しいのかはわからない。(「ゲームの王国(下)」小川哲)
「もし答えが知りたければ、十九枚すべての紙をめくるまで、抵抗し続けなければいけない。そして、いざ答えを知ってしまえば、すでにその答えが自分の手の届かないところにあるのだと知り、真理という光とともに、深い絶望の中に沈まなければならない」「私のことです。捨ててしまった九十一について、今でも後悔しています。でも、すべての数字を見なければ、その後悔すら存在しませんでした」「そういうことだ。もしそれが嫌ならば、答えかどうかわからない何かを手にしたまま、真理のない暗闇の中で、答えを知ることを諦めなければならない──」(「ゲームの王国(下)」小川哲)
ムイタックはその自伝に何か真理を見た気がした。人生は、わずかに残った印象的な断片と、その断片を補完する現在の自分と、直近の一年間で成立している。記憶はアナログメディアで、再生するたびに劣化し、その劣化を補うために現在の自分が入り込んでくる。(「ゲームの王国(下)」小川哲)
だけど、今は違うじゃない。夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。だから、夢がかなったような気分になる。そういう気分にひたる。ね? そのための方法が、今はいろいろあるのよ。彰子の場合は、それがたまたま買物とか旅行とか、お金を使う方向へいっただけ。そこへ、見境なく気軽に貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話(「火車」宮部みゆき)
無条件に優しさを差し出す行為は、時として他者から軽んじられる理由になる。善意を注がれ続けた人間は無意識の内に傲慢さが肥大し、やがて歯止めが利かなくなる。──木下みたいに。もしもこの先同じような事件が起こっても、岡井は相手を責めることをせず、苦笑するだけで許してしまうのだろう。そうやって彼は新たに加害者を生み出し続ける。無自覚に加害者を生み出す人間と、無自覚に被害者を生み出す人間。その二つの相性は、残念なことに凄く良い。(「呪縛(可哀想な蝿)」武田綾乃)
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