アンソロ(2023年10月~2024年3月)

一度も誰かを愛したことがないやつに、告白をけしかけられる。中学生みたいだ。中学生だったらよかった。三十年以上生きて、自分はだれかを愛するに値しない人間だと思い知らされるのはむなしい。(「まほろ駅前番外地」三浦しをん)

経済的に自立し、一人で生きられることは、べつに大人の証ではない。本当の意味で一人で生きられる人間などいないのだし、お金なんて所詮は天下のまわりもの。あくまでも労働の報酬としてだれかからもらうものであって、雪乃自身の価値を表すものではない。譲りあったりぶつかりあったりしながら、それでもだれかとともに生きていける能力の保持者こそを、大人というのかもしれない。(「あの家に暮らす四人の女」三浦しをん)

彼は襖側に佇んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤児を洗うのを見下していた。赤児は石鹸の目にしみる度にいじらしい顰め顔を繰り返した。のみならず高い声に啼きつづけた。彼は何か鼠の仔に近い赤児の匂いを感じながら、しみじみこう思わずにはいられなかった。---「何のためにこいつも生まれて来たのだろう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。---何のためにまたこいつも己のようなものを父にする運命を荷ったのだろう?」 しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。(「或阿呆の一生」芥川龍之介)
 
ある物質主義者の信条「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている」(「侏儒の言葉」芥川龍之介)

私は新宿のビル群が好きだ。あの無機質なようでいて繊細さを兼ね備えたビルたちが、毅然と、しかし身を寄せ合って夕闇の中に浮かび上がり、真珠のような窓の明かりを纏っているのを電車から眺めるとき、私はとても寂しい気分になる。だがそれは、私を昂揚させる寂しさなのだ。友達と別れて渋谷のスクランブル交差点を渡るときの気分とも似ている。どんなに人がたくさんいても、さよならを言い合えるのはほんの少しの人とだけなのだなあと実感するときだ。(「格闘するものに◯」三浦しをん)

それよりはむしろぼくという存在以外の存在について、少しでも多くの客観的事実を知りたいと思った。そしてそのような個別的な事柄や人物が、自分の中にどのような位置を占めるかという分布なり、あるいはそれらを含んだ自己のバランスの取り方なりを通して、自分という人間存在をできるだけ客観的に把握していきたいと思った。(「スプートニクの恋人」村上春樹)

そこまで薫に、いや、自分以外の人間に求めるのは異常だ。私は異常だ。自分のクローンと恋をするしかない人間だ。(「秘密の花園」三浦しをん)

なゆちゃんは、たとえば私と中谷さんの葬式が同じ日にあったとして、絶対に私の葬式には来ないだろう。(「秘密の花園」三浦しをん)

ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。(「道ありき」三浦綾子)

神様、きょうのわたくしも、死に価する一日でした。みめぐみにより、かく祈り得ることを感謝します。冷酷、嫉妬、忘恩の一日です。どうぞイエス様の故に、わたくしを御憐れみください。(「道ありき」三浦綾子)

僕は彼女にとっては、適当に相づちをうってくれる、多少は人間味のある壁みたいなものにすぎなかった(「アフターダーク」村上春樹)

やがて、憐憫も憤怒も、彼女の胸から消えて、代わって勝利の歓びが波のようにあふれてきた。古生物学者が、発掘された顎骨と二、三の歯の化石から、絶滅した動物の骨格を組み立てるのに成功したときの、あの喜びに似た感情であった――(「ポケットにライ麦を」アガサ・クリスティ)

死んだ人間が行くのは死後の世界なんかじゃなく、親しいひとの記憶のなかじゃないか(「政と源」三浦しをん)

この広い世界には、子供と両親が終始良好な関係を保っている美しく幸福な家庭だって―だいたいサッカーのハットトリックくらいの頻度で―存在する。(「独立器官(女のいない男たち)」村上春樹)

きみたちは十二分に練習を積んでいる。あとはプレッシャーをやすりに変えて、心身を研磨すればいいだけだ。予選会でうつくしい刃になって走る自分をイメージして、薄く鋭く研ぎ澄ませ(「風が強く吹いている」三浦しをん)

タイムや順位など、試合ごとにめまぐるしく入れ替わるんだ。世界で一番だと、だれが決める。そんなものではなく、変わらない理想や目標が自分の中にあるからこそ、俺たちは走りつづけるんじゃないのか(「風が強く吹いている」三浦しをん)

俺が、俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所。(「風が強く吹いている」三浦しをん)

私の中には今でも、彼女のためだけの特別な場所があります。とても具体的な場所です。神殿と呼んでもいいかもしれません(「騎士団長殺し 第1部(上)」村上春樹)

そうです。私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと思いますか?(「騎士団長殺し 第1部(下)」村上春樹)

「だけどね、自分で、あの人が好きと思っても、その人がいい人だとは、きまっていないんだよ。その反対に、きらいだと思っても、その人が悪いというわけでないこともあるんだよ。」「フーン、どうして?」「きらいだと思う自分の方が、わるいことだってあるんだよ」(「氷点(上)」三浦綾子)

結局人間は死ぬものなのだ。正木次郎をどうしても必要だといってくれる世界はどこにもないのに、うろうろ生きていくのは恥辱だ(「氷点(下)」三浦綾子)

どうしてだろう。私には、どうしてこんなものしか、こんな男しか寄ってこないのだろう。朋絵に、釣りに行ってもいいと思わせるぐらいだったレベルの男が、確かにあの場にいたはずなのに、何故、私はそういう相手と巡り会えなかったのだろう。これからどうすれば出会えるのか、想像もつかなくて途方に暮れる。ああ、恥だ。ついていない。ため息が出た。(「石蕗南地区の放火(鍵のない夢を見る)」辻村深月)

たまに多田は、自分がどうして正気でいられるのかわからなくなる。同時に、痛みが、記憶が、どんどん自身のなかへ埋没していくのも感じる。時間という土をかぶせられ、かつてたしかに聞いたはずの悲鳴も泣き声も、だんだんかすかに、間遠にしか届かないようになった。けれど、それは芽を出すことのない硬い種に似て、いまもたしかに多田のなかひそんでいる。忘れ去られることも消え去ることもなく。(「まほろ駅前狂騒曲」三浦しをん)

無理して私に話す必要はないです。行天さんは、多田さんの話を聞いたうえで、多田さんと友だちのままでいる。私の判断の材料としては、それだけで充分です(「まほろ駅前狂騒曲」三浦しをん)

「大事なのはさ、正気でいるってことだ。おかしいと思ったら引きずられず、期待しすぎず、常に自分の正気を疑うってことだ」「自分の正気を?」「そう。正しいと感じることをする。でも、正しいと感じる自分が本当に正しいのか疑う」(「まほろ駅前狂騒曲」三浦しをん)

「そうです。ときどきそうやって原点に立ち戻る必要があります。今ある私を作った場所に。人というのは楽な環境にすぐに馴染んでしまうものですから」特異な人物だ、と私はあらためて感心した。普通の人は何か過酷な目にあった経験があれば、それを少しでも早く忘れてしまいたいと望むものではないのだろうか?(「騎士団長殺し 第2部(上)」村上春樹)

知ってのとおり、人間界は時間と空間と蓋然性という三つの要素で規定されておる。イデアたるものは、その三つの要素のどれからも自立したものでなくてはならない。(「騎士団長殺し 第2部(上)」村上春樹)

私の考える頭の良さというものは、多分その人の今までの読書量と比例する。頭の良さは様々だし、勿論この側面からだけで簡単に測れるものではないが、それでも私の場合はそこが大事。私が普段遊んでいるこの子たちはほとんど本を読まないし、そのせいか、全ての場面で言葉が足りない。考え続けることに対する耐性がないのだ。ぱっと湧いた感情に飛びついて、それに正直に生きるだけ。(「凍りのくじら」辻村深月)

だったら勉強してよ! 勉強して必死にならないと試験には受からない。それに、若尾の夢は夢じゃない。若尾は弁護士になりたいんじゃない、人を馬鹿にしたいだけだ。自分が頭がいいっていう、その証拠が欲しいだけなんだよ(「凍りのくじら」辻村深月)

唐突に死んで、周囲に迷惑をかけまくるよりも……ここが引き際、というときにきちんと準備をして、身辺整理をして、残った人たちのことを十分考えた上で、後は誰にも見つからないように、そっとこの世を去る。どう?このほうが全然正しいと思わない?(「風天孔参り(異神千夜)」恒川光太郎)

「植物には、脳も神経もありません。つまり、思考も感情もない。人間が言うところの、『愛』という概念がないのです。それでも旺盛に繁殖し、多様な形態を持ち、環境に適応して、地球のあちこちで生きている。不思議だと思いませんか?」本村があまりにも淡々と述べたので、むしろ藤丸は、植物ではなく人間のほうが不思議なんじゃないか、という思いにとらわれた。愛などというあやふやなものを振りかざさなければ繁殖できない人間のほうが、奇妙で気味の悪い生き物なんじゃないか、と。(「愛なき世界(上)」三浦しをん)

大きな発見をしたら、称賛されたり地位や名誉が降ってきたりするかもなどと、見返りを期待して研究しているひとはいないだろう。そんな動機で、地味な実験の日々を長年送れるはずはない。ただ植物が好きで、植物をもっと知りたいから、研究する。愛、という言葉が浮かんだ。(「愛なき世界(下)」三浦しをん)

「直感をバカにしすぎてはいけないということです」松田は椅子から立ち、鞄を手にした。「私の言う『直感』は、『神からの突然の啓示』といった類のものではありません。日々、愚直に観察をつづけているからこそ得られる直感なのです。本村さんは、もっと自信を持っていいと思いますよ」(「愛なき世界(下)」三浦しをん)

携帯を閉じ、机の上のハガキを見る。この場所は私の行くところではないのだろう。決定的にわかった。最早、自分はその場所に不在であることに意味がある。語られるだけの、実体を持たない幽霊でよいのだ。(「太陽の坐る場所」辻村深月)

「私には? 今度も私には別れを言ってくれないまま行っちゃうんだ」「この一週間、いや、八日間か。ずっと心のなかで言ってたよ。聞こえなかった?」「聞こえてた気がする」(「木暮荘物語」三浦しをん)

特に珍しくもないことのように、私たちと同じ年の子が自殺したり、事件に巻きこまれたり、或いは殺人事件を起こしたりしてる。そのたび、私はその子たちに遅れてるんじゃないかと、少し焦る。(「オーダーメイド殺人クラブ」辻村深月)

だけど、本当にわかってくれる大人は私の頭の中味を全部見透かして、私が人と違うことを見抜いてくれてもいいはずだ。これから、何かを(それが何かはまだわからないけど)成し遂げる私。人と違う、私。だけど、そんな大人が現れない以上、特別になるためには命でも投下するしかないのだ。それが空っぽな、まだ何も成していない私たちにできる今の時点の精一杯。千葉県のマンションから飛び降りた彼女たちが特別だったとは思わない。むしろ、普通の子がすごく頑張った結果なのだろう。(「オーダーメイド殺人クラブ」辻村深月)

嫌なことがあったり、自分を不幸だと感じるときほど、世界が美しく見えるのは、何故だろうか。私はこれが、嫌いじゃない。嫌なことは嫌だけど、一人きりの世界にこうやって入ってしまえるのは、その中に立つ自分を想像できるのは、大好きだ。(「オーダーメイド殺人クラブ」辻村深月)

はっとして、付け加える。「殺すのは、絶対に私一人だけにしてよ! 連続殺人とか、何人か巻きこむとか絶対止めて。私が他の子に埋没しちゃうのは絶対に嫌」「あー、はいはい。お前って本当、性格悪いよな」徳川がうるさそうに顔の前で手を払ってみせる。私は「そういう約束でしょ」とヤツを睨みつけた。「考えてよ。私の命をせっかく使っていいって言ってるんだから、最高のものにして」(「オーダーメイド殺人クラブ」辻村深月)

「たとえば俺は、一人で山へ行く。さびしいけど、楽しい。それがいいんだ。なにかを好きだと思ったり、なにかをせずにはいられないと思ったりするのって、ひとの心の一番大事な部分だろ」幸代はうなずいた。さびしくて楽しい、ひとの心の大切な場所には、求められぬかぎり触れずにおく。べつの部分で、いくらでも通じあうことはできるのだから。洋平はきっと、そういうことを言いたいのだろうと思った。(「星間商事株式会社社史編纂室」三浦しをん)

「みっこが真剣なのがわかるからこそ」と矢田は言った。「とりあえずでつきあいたくない。それでもし、とうとう恋愛感情を抱けなかったら? それなのに、休みの日にどっか出かけたり、クリスマスにプレゼント買ったり、定期的にセックスしたりしなきゃならないとしたら? お互いに不幸だし、面倒くさいだろ」あ、これはだめだ。と幸代は思った。(「星間商事株式会社社史編纂室」三浦しをん)

「あなたいくつ?」と彼女が訊いた。「三十五」と私は言った。間違えようのない簡潔な事実というのはこの世で最も好ましいことのひとつだ。「ずっと前に離婚して今は独り。子供なし。恋人なし」(「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)」村上春樹)

しかしもう一度私が私の人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれが―その失い続ける人生が―私自身だからだ。(「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)」村上春樹)

君を失うのはとてもつらい。しかし僕は君を愛しているし、大事なのはその気持のありようなんだ。それを不自然なものに変形させてまでして、君を手に入れたいとは思わない。それくらいならこの心を抱いたまま君を失う方がまだ耐えることができる(「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)」村上春樹)

なあ、ジム。罪を犯した人間は、だまっているより弁護士や友人に真実を話したほうがずっと楽になるものだよ。そして、罪を犯していないなら、黙っていること自体が犯罪だと言っていい。それは自分自身に対する犯罪なんだ(「災厄の町」エラリイ・クイーン)

「真実とは」エラリイは真顔で言った。「不快なものだからね」(「災厄の町」エラリイ・クイーン)

奥さん、人間はね、いろいろな墓を胸の中に建てているものですよ。ぼくの胸には、咲子の墓も、由香子の墓も建っています。過去にあった女や男、いろいろな人間の墓が建っていますよ(「続 氷点(上)」三浦綾子)

わたしね、おにいさん。川原で死のうと思ったあの時までは、自分が美しいと思っていたわ。罪深いと気づいたはずなのに、わたしはわたしを肯定していたわ。肯定していたから死のうと思ったのね(「続 氷点(上)」三浦綾子)

由香ちゃん、過去をふり切るためには、過去の人に会うのが、一番手早いのかもしれないのよ。思い出は再び訪ねるなという諺があるでしょう。それは、美しい思い出も、結局は幻滅を感ずるってことなのね。つまり、逆手を取って、思い出を訪ねるのよ(「続 氷点(上)」三浦綾子)

「ごめんなさい、心配かけて。でもね、わたし自殺しようとしたからいえると思うけれど、真実に生きることよりは、死ぬことのほうが、やさしいわ」「なるほど、そういう考え方って大切だね」「そしてね、考えたの。生れて来て悪かった人間なら、生れて来てよかったとみんなにいわれる人間になりたいって」(「続 氷点(下)」三浦綾子)

やはり、感情だけが自分とは思われなかった。知性も意志もまた自分なのだ。知情意の総合された人格が自分なら、北原を愛することは、もはや偽りとはいえなかった。北原が、陽子のために足を失ったことを思うと、どんなに愛しても、充分とはいえないような気がした。(「続 氷点(下)」三浦綾子)

「それでもいいよ。とにかく、洋子さんが言ったことが、俺にとっては本当のことだ」「寺島くん、教えてあげようか。そういうのは恋じゃなくて宗教っていうんだよ?」(「永遠に完成しない二通の手紙(きみはポラリス)」三浦しをん)

なにかを、なにものにも替え難い大切なものだと思うのは、ひさしく忘れていた感情だった。小学生のころ、親にねだって買ってもらった自転車や、林に作った秘密基地みたいに、だれにも触らせたくない特別なもの。恵理花と勇人が自転車や秘密基地とちがうのは、二人が思い出のなかの宝ではない、ということだ。俺が一方的に大切だと感じるだけではなく、俺のことを大切だと感じていてほしいと、願ってもかまわない存在だということだ。(「裏切らないこと(きみはポラリス)」三浦しをん)

「僕が言いたいのは」と僕は言った。「そういうのって慢性化するってことなんだ。日常に飲み込まれて、どれが傷なのかわからなくなっちゃうんだ。でもそれはそこにある。傷というのはそういうものなんだ。これといって取り出して見せることのできるものじゃないし、見せることのできるものは、そんなの大した傷じゃない」(「ダンス・ダンス・ダンス(上)」村上春樹)

人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。(「ダンス・ダンス・ダンス(下)」村上春樹)

「さっき……暴力の訓練を受けた、と言ったね」「違います。過剰な暴力の訓練です」「どういう意味だ?」「その中で育ったってことですよ」(「熊と踊れ(上)」アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ)

こうして私たち二人が登って来た山は白毛門という。にぎりめしを二つとも食べて水をごくごく飲み、煙草を吸って谷川岳だの、笠ヶ岳だの、もっと遠い山も見ながら、断片的な話をした。山の上での断片的な話というのは、想い出そうと思っても駄目な代りに、また何処か別の山へひとりで登ったりした時に、突如として甦えることがある。(「残雪の頃(山のパンセ)」串田孫一)

その心細く見える山の姿は、もう以前のようには私の心へ映って来なかった。昔はこんな色合いの山々を前にして、自分の未来を、恐らくそうはなり得ないように想い描いてみて、何か無理に心細さを引きずり込もうとしたものだった。それは余りいいことだとも思わなかったが、惨めな自分を感じる前に、惨めな存在らしく創らなければならなかった。(「岩壁(山のパンセ)」串田孫一)

私は自分を故意にいじめようとは思いません。けれども故意に、殊更に自分を愛すること、それも真の愛を以てではなしに、自分の気儘をただとおさせることには絶えず戒めを与えて行きたいと思います。(「山での行為と思考(山のパンセ)」串田孫一)

ところが捨松は、私のそんな人生設計図を丸めて焚き火にくべるような男なのだ。(「森を歩く(きみはポラリス)」三浦しをん)

私は、それらの山々の木の葉や、この平原の緑が五月の終りに、全部萌黄色にかわる時、十月の半ば頃この緑が全部紅いの切迫した色彩に燃える時、冬、紅いが消えて木々が骨を露わし、尾根も平原も全部荒涼として鳥一つ鳴かない時の有様を心に描いて、南佐久の音楽の力強いうなりの音を想像した。そして南佐久へかけての複雑な地表の皺は、潤おいある豊富なる音楽のたたずまいであって、私はこう考えているこの瞬間にも偉大なる音楽は、変化ある鼓動を波打せつつあるのである。(「秩父の旅(山と渓谷)」田部重治)

強石まで早く早くと気がせかれてならないがまだまだ遠い。三峰山塊を迂回して強石に達すれば、もうこれからは馬車、それから汽車、かくして喜んで去った塵の都に、またしても喜んで帰る。(「秩父の旅(山と渓谷)」田部重治)

私は慥か(たしか)に孤立した強みを感じなければならない。一切の判断を私自身の欺かない純粋の自分から誘導して来なければならない。余儀なく強いられたる考えによって行為することまでも慈悲と思う軟弱を捨てなければならない。私にとって一切の問題の解決は、ただ今のところ、ただ孤独の強みに生きることにのみ存在する。(「数馬の一夜(山と渓谷)」田部重治)

しかし私たちが山を観ずる態度は、浪漫的な詩人あるいは象徴的な詩人が自然に対してするように、自己を歌わんがために自然を主観的な材料として用いるようなものでなくして、山を山として客観的に観じつつ、自己との一致を見出すことでなければならない。(「山を憶う(山と渓谷)」田部重治)

誠二は未だに、健の舞台を聞きにきたことがない。誠二のそんなところが、健は好きだった。健の義太夫を聞いて、あれこれ論評されたりしたら、友人であり大家と店子である関係は壊れてしまうだろう。(「仏果を得ず」三浦しをん)

「ねじまき鳥さん」と彼女は僕の顔をじっと睨むように見上げながら言った。「私はまだ十六だし、世の中のことをあまりよくは知らないけれど、でもこれだけは確信をもって断言できるわよ。もし私がペシミスティックだとしたら、ペシミスティックじゃない世の中の大人はみんな馬鹿よ」(「ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編」村上春樹)

私たちはそれについて何も語らないということによって、その体験を共有しておったのです。(「ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編」村上春樹)

ねえ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことは誰にもできないんじゃないかな。「さあこれから新しい世界を作ろう」とか「さあこれから新しい自分を作ろう」とかいうようなことはね。私はそう思うな。自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かあればそれが「こんにちは」って顔を出すのよ。あなたにはそれがわかっていないんじゃない。あなたはよそで作られたものなのよ。そして自分を作り替えようとするあなたのつもりだって、それもやはりどこかよそで作られたものなの。ねえ、ねじまき鳥さん、そんなことは私にだってわかるのよ。どうして大人のあなたにそれがわからないのかしら? それがわからないというのは、たしかに大きな問題だと思うな。だからきっとあなたは今、そのことで仕返しされているのよ。いろんなものから。たとえばあなたが捨てちゃおうとした世界から、たとえばあなたが捨てちゃおうと思ったあなた自身から。私の言ってることわかる?(「ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編」村上春樹)

古いロシアの小説では、手紙というものはだいたい冬の夜に暖炉の火で焼かれる。(「ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編」村上春樹)

でも白羽さん、ついさっきまで迎合しようとしてたじゃないですか。やっぱりいざとなると難しいですか? そうですよね、真っ向から世界と戦い、自由を獲得するために一生を捧げる方が、多分苦しみに対して誠実なのだと思います(「コンビニ人間」村田沙耶香)

私の遺伝子は、うっかりどこかに残さないように気を付けて寿命まで運んで、ちゃんと死ぬときに処分しよう。(「コンビニ人間」村田沙耶香)

ホテルやレストランで、その店の格が問われるのには、三つの料理があると言われる。コンソメスープ、スモークサーモン、アイスクリームがそれだ。(「東京會舘とわたし (上)旧館」辻村深月)

「明日だ」ヨハンソンは言った。明るい日と書いて明日なのだ。(「許されざる者」レイフ・GW・ペーション)

「だが忘れていないことが三つだけある」ヤーネブリングのコメントなどこれっぽちも気に留めない様子で、ヨハンソンは続けた。「これを忘れたらお終いだからな」「それは?」「状況を受け入れろ。無駄にややこしくするな。偶然を信じるな」(「許されざる者」レイフ・GW・ペーション)

それでもときおり孤独が心を激しく刺した。飲み込む水や吸い込む空気さえもが長く鋭い針を持ち、手にする本のページの隅が、まるで薄い剃刀の刃のように白く光って脅かした。午前四時の静かな時刻には、孤独の根がじりじりと伸びていく音を聞き取ることができた。(「ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編」村上春樹)

うちの家族はみんな決まって胃をやられるんです。DNAっていうやつです。うちは本当にろくでもないものしか遺伝しないんですよ。禿げとか虫歯とか胃弱とか近視とかね。これじゃまったく呪いの詰まった正月の福袋じゃありませんか。(「ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編」村上春樹)

世界の変化は止められないわ。いくら叫んでみたところで、「更正」されるのはあなたのほうよ。あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ(「殺人出産」村田沙耶香)

水に飢えた人がオアシスの幻を見るように、生に固執する人間は殺人という夢を見る。(「殺人出産」村田沙耶香)

たとえ100年後、この光景が狂気と見なされるとしても、私はこの一瞬の正常な世界の一部になりたい。(「殺人出産」村田沙耶香)

多分、狩野は今日私が話したことなんて、全部忘れるよ。唯一覚えてるのは、今の「狩野の漫画は優しすぎる」っていう、自分に都合のいい一言だけになる。その言葉なら余裕があって傷つかないし、何より耳触りがいい。優しすぎるっていう個性は、狩野が目指す理想の「狩野壮太像」にぴったりだもん。きっと今度は「僕は優しすぎるから」って、そこに陶酔しながら痛みに酔うんだ。勘違いしないで。私が今言った「優しすぎる」は、「作者に優しすぎる」っていう意味だから(「スロウハイツの神様(上)」辻村深月)

それならきちんと拒否するのが正しいのでしょうが、ノーと言うのが面倒な人間には、こうやってゆっくりとイエスを腐らせるしか方法がないのです。(「ひかりのあしおと(ギンイロノウタ)」村田沙耶香)

「本当の家」なんて、ほんとはどこにもないんじゃないだろうか? 家族になるというのは、皆で少しずつ、共有の嘘をつくっていうことなんじゃないだろうか。家族という幻想に騙されたふりして、みんなで少しずつ嘘をつく。それがドアの中の真実だったんじゃないだろうか。(「タダイマトビラ」村田沙耶香)

将来に繋がる恋。本当にそれが「本当の恋」なのだろうか。一時的な発情のほうがずっと純粋で、生活を共にする二人にとって、「恋」は只の麻酔なのではないだろうか。人生を手術するための麻酔。それにかかって足元がふわりとして痛みが麻痺している間に、手術は終わってしまう。そして麻酔が切れてから違和感に気付くのだ。けれど手術を終えてしまったらもう後戻りはできない。恋愛結婚とはそういうものだったんじゃないだろうか。(「タダイマトビラ」村田沙耶香)

妹の自殺のことを思うときわたしの頭になにが浮かぶか知ってる? 血で真っ赤になった浴槽じゃないのよ。その中に沈んでいる妹でもない。手首の傷でもない。店でカミソリの刃を買うコルブルンの姿なの。カミソリを買うために財布からお金を取り出している姿、お金を数えている姿なのよ(「湿地」アーナルデュル・インドリダソン)

僕は島本さんと会わなくなってしまってからも、彼女のことをいつも懐かしく思い出しつづけていた。思春期という混乱に満ちた切ない期間を通じて、僕は何度もその温かい記憶によって励まされ、癒やされることになった。そして僕は長いあいだ、彼女に対して僕の心の中の特別な部分をあけていたように思う。まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、そっと予約済の札を立てておくように、僕はその部分だけを彼女のために残しておいたのだ。島本さんと会うことはもう二度とあるまいと思っていたにもかかわらず。(「国境の南、太陽の西」村上春樹)

「君を見ていると、ときどき遠い星を見ているような気がすることがある」と僕は言った。「それはとても明るく見える。でもその光は何万年か前に送りだされた光なんだ。それはもう今では存在しない天体の光かもしれないんだ。でもそれはあるときには、どんなものよりリアルに見える」(「国境の南、太陽の西」村上春樹)

家の中にゴミ箱があると便利だ。私はたぶん、この家のゴミ箱なのだと思う。父も母も姉も、嫌な気持ちが膨らむと私に向かってそれを捨てる。(「地球星人」村田沙耶香)

ここは巣の羅列であり、人間を作る工場でもある。私はこの街で、二種類の意味で道具だ。一つは、お勉強を頑張って、働く道具になること。一つは、女の子を頑張って、この街のための生殖器になること。私は多分、どちらの意味でも落ちこぼれなのだと思う。(「地球星人」村田沙耶香)
 
「修辞疑問文というのは、答えが明白な問いのことです」クヌートソンが答えた。「ほら昔から言うやつですよ、ベックストレーム」トリエンも言う。「例えばあの、法王の話。法王はおかしな小さな帽子をかぶっているか?」「ああ、よくわかったよ」クノルとトットは大バカか? (「見習い警官殺し(上)」レイフ・GW・ペーション)

あいつらはホモに決まっている。それ以外の説明はない―――。眠りに落ちる前にベックストレームはそんなことを考えた。人類にテレビとビデオが与えられて以来、映画館に行くのはホモだけだ。ホモと、もちろん女も。若者でさえも今どき映画館には行かない。(「見習い警官殺し(上)」レイフ・GW・ペーション)

それに事実の提示のしかたに不安がいっぱい詰まっている。彼は自分自身の不安を鎮める手段として事実を扱っているんだと思うわ(「見習い警官殺し(下)」レイフ・GW・ペーション)

彼は、少なくとも世界を回る交通の利便を好きに使える資金を得てからは、旅行というものを、気が進まなくても時々はしなければならない衛生上の対策くらいに見なしていた。(「ヴェネツィアに死す」トーマス・マン)

相手を知り、言葉でも交わしたいと想いながら満たされず、不自然に抑圧されることから一種のヒステリー状態が生じる。そしてとくにまた相手の存在を重く見る一種の緊張関係が生まれる。なぜなら、人が人を愛し敬うのは、相手を評価できないでいる間だけなのだから。憧れは認識不足の産物である。(「ヴェネツィアに死す」トーマス・マン)

理解のないところに愛は生まれない。だが、たしかに愛があると思っていた場所に、後から理解の及ばない空白地帯が出現した場合は、どうすればいいのだ。空白に侵食されないよう、ますます愛を深めていくべきなのか?(「私が語りはじめた彼は」三浦しをん)

私、いま幸福よ。四方の壁から嘆きの声が聞えて来ても、私のいまの幸福感は、飽和点よ。くしゃみが出るくらい幸福だわ。(「斜陽」太宰治)

人間は、自由に生きる権利を持っていると同様に、いつでも勝手に死ねる権利も持っているのだけれども、しかし、「母」の生きているあいだは、その死の権利は留保されなければならないと僕は考えているんです。それは同時に、「母」をも殺してしまう事になるのですから。(「斜陽」太宰治)

それから、一つ、とてもてれくさいお願いがあります。ママのかたみの麻の着物。あれを姉さんが、直治が来年の夏に着るようにと縫い直して下さったでしょう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかったんです。(「斜陽」太宰治)

しかしな竜太、どんな時にも絶望しちゃいけない。四方に逃げ道がなくても、天に向かっての一方だけは、常にひらかれている。(「銃口(下)」三浦綾子)

北森上等兵、おれはね、恥ということは、捕虜になることなどではないと思う。人間として自分に不誠実なこと、人に不誠実なこと、自分を裏切ること、人を裏切ること、強欲であること、特に自分を何か偉い者のように思うこと、まあそんなことぐらいかな(「銃口(下)」三浦綾子)

けれども自分は、竹一の言葉によって、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でもないものを、主観によって美しく創造し、あるいは醜いものに嘔吐をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。(「人間失格」太宰治)

「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という、」と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ一さいは過ぎて行きます。(「人間失格」太宰治)

百年二百年あるいは三百年前の、いわばレッテルつきの文豪の仕事ならば、文句もなく三拝九拝し、大いに宣伝これ努めていても、君のすぐ隣にいる作家の作品を、イヒヒヒヒとしか解することが出来ないとは、せっかくの君の文学の勉強も、疑わしいと言うより他はない。(「如是我聞」太宰治)

もう一人の外国文学者が、私の「父」という短篇を評して、(まことに面白く読めたが、翌る朝になったら何も残らぬ)と言ったという。このひとの求めているものは、宿酔である。そのときに面白く読めたという、それが即ち幸福感である。その幸福感を、翌る朝まで持ちこたえなければたまらぬという貪婪、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人であった。(「如是我聞」太宰治)

本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。(「如是我聞」太宰治)

今まで飲み込んだあらゆる言葉たちで、わたしはもう溺れそうだ。( 「汝、星のごとく」凪良ゆう)

夕日が沈むのを見届けて、まにあってよかった、って。がんばって走ってきて、よかった。生きてきて、よかった。そんなふうに思って、嬉しくなるんです(「さいはての彼女」原田マハ)

「ほな、自分がそうされたらどないするん? ひとり旅して、末席に通されたら」 「その場で支配人呼んで聞いてやるわ。『なんで末席に通すんですか? その理由を聞かせてください』言うて」 ナガラは笑い出した。 「むちゃくちゃ迷惑な客やね」 「でも正しいやろ?」 「うん、正しい。あたしもきっと暴れる。『あたしひとりです、大事にしてほしいんです』言うて」(「旅をあきらめた友と、その母への手紙(さいはての彼女)」原田マハ)

約二百年後、死ぬ前に見る走馬灯にもこの景色が採用されるのではないかと思った。(「成瀬は天下を取りにいく」宮島未奈)

アドマイヤジャパンもディープインパクトと同じ年に生まれた運命を呪ったに違いない。(「成瀬は信じた道をいく」)

もうなにも元には戻らないなら、なにも取り戻せないんだったら、せめて間違えたってことぐらいは私に返して。(「応えろ生きてる星」竹宮ゆゆこ)

ギャンブルはまるで分割された自殺行為だ。(「サージウスの死神」佐藤究)

故郷がなくなるのはいいことよ。未来だけ向いて生きていけばいいんだから(「消滅世界」村田沙耶香)

洗脳されてない脳なんて、この世の中に存在するの? どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに(「消滅世界」村田沙耶香)

かくのごとく日本人は、初対面ではせいぜい遜り、親しくなるにつれてぞんざいになり、上位者には見せかけばかり遜り、内心は軽視し、下位者にはその地位の差に応じた空威張りでもって、日常の憂さと自身の欠落感を晴らす習性を得た。(「新・御手洗潔の志(御手洗潔の挨拶)」島田荘司)

今宵も東京は熱帯夜。ちょっとした小籠包なら多分勝手に蒸し上がる。(「知らない映画のサントラを聴く」竹宮ゆゆこ)

「たとえばこのオーディオセットだ。僕はこいつが一日中馬鹿でかい音で鳴っているのを聴いても愉快じゃない。こいつは日に二、三時間、本当に聴き手を感動させる音を出せればそれで満足なんです。そういう積み重ねが結局世界を変える力になる。一日中馬車馬みたいに働いて、テーブルの上に札束を積みあげたところで何になります? それで何かが変わりますか? 各人の世界はこの中にある」彼は人差し指で、自分のこめかみのあたりをぐいと押さえた。(「異邦の騎士」島田荘司)

誰かに何かをプレゼントされると、ほぼ間違いなく最後には哀しい気持ちになっちゃうんだよね。(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」サリンジャー) (原文: Almost every time somebody gives me a present, it ends up making me sad.)

「人生に何もなくても、書けてしまうんですよ。経験なんてないのに、僕の頭は人の痛みや心の動きを当て推量でばっさばっさと切り倒し、話の中に組み込んで、処理していきます」困ったように、公輝が苦笑した。ゆっくりと繰り返した。「書けてしまうんです。これ、僕のコンプレックスかもしれません」(「スロウハイツの神様(下)」辻村深月)

たとえば誰かが自殺して、その子の部屋にチヨダブランドがあったとする。だとしたら、僕はその事実を受けとめなければならない。僕の書いたものでは、その子をこの世界に留めるには足りなかったんだという、そのことを認めて責任を負わなければならない。その覚悟だけはいつだってしながら、小説を書いてきたんです(「スロウハイツの神様(下)」辻村深月)

そういうこと言う人はね、自分もやりたいのに、みっともないって殻で自分で自分を覆ってできないから僻んでるの。わたしだってみっともないと思われるのはいやよ。でもそれ以上に、その作家さんと仕事がしたい気持ちが勝つんだからしかたないの(「星を編む」凪良ゆう)

42キロより長い距離を走ることは、生まれて初めての体験である。つまりそこが僕にとってのジブラルタル海峡なのだ。(「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹)

終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくだけのことで、実際にはたいした意味はないんだという気がした。生きることと同じだ。終わりがあるから存在に意味があるのではない。存在というものの意味を便宜的に際だたせるために、あるいはまたその有限性の遠回しの比喩として、どこかの地点にとりあえずの終わりが設定されているだけなんだ、そういう気がした。(「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹)

誇りというほどたいしたものではないが、それなりの達成感のようなものが、このあたりでやっと思いついたみたいに胸にこみ上げてくる。それは「リスキーなものを進んで引き受け、それをなんとか乗り越えていくだけの力が、自分の中にもまだあったんだ」という個人的な喜びであり、安堵だった。(「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹)

父よりも、母の方を身近に感じる日が来るなんて思わなかった。この人の視野の狭さは、紛れもなく自分と同じだ。何も知らず、背のびして、馬鹿にされることがないよう、理解があるふりを装い、そしてそれが傍目には滑稽なほど、露呈して見える──。(「水底フェスタ」辻村深月)

たまにその鳥居の足下に犬の糞が落ちていて、それを見るとき、なぜかわからないが私はざまあみろと思う。(「授乳」村田沙耶香)

ケンのジーンズの裾は、道路と摩擦してすりきれている。あたしは雨の日でも泥に汚れない歩き方の上手な要二を思い、道路と反発して蹴り上げられるケンの踵の動きを目で追っていた。「まっとう」とはこういうことかと思い喉が詰まった。(「御伽の部屋(授乳)」村田沙耶香)

誰かの自慰に暇な人間が付き合うことを、セックスと呼ぶのだと思っていた。(「御伽の部屋(授乳)」村田沙耶香)

私が見るのは、今回、自分の持つ愛じゃなくて、作品それ自体への敬意です。作品の歴史を支えてきた左近寺先生やスタッフを私は尊敬しているし、作品と、そのファンの方を向いて、作ります。作品に敬意を持てば、自分の思い出や愛着がなくてもきちんと仕事はできるんだぞってことを証明したい(「レジェンドアニメ!」辻村深月)

着実に現実に根を下ろして自己像とともに成長を続ける存在は、私にとっては敵だ。私が変わっていないことを非難する権利は誰にもない。──私が勝手にこだわっているだけ。本当は誰も私のことなんて非難していないことも知っている。だけど、人生で生きていくためには敵が必要なのだ。私にも、彼女のような人にとっても。(「光待つ場所へ」辻村深月)

これから先も、ナベちゃんは自分の嫁と生きていく。家族になって、そしてもう二度と、私たちに会うことはないのかもしれない。そして、それで幸せなのだ。(「ナベちゃんのヨメ(噛みあわない会話と、ある過去について)」辻村深月)

いつまでも、あの頃の人間関係のままでいるんじゃない? あなたの中で、私はいつまでもあの頃の恥ずかしい、イタい子。あなたはクラスの人気者。──有名になって、大人になって、ようやく私と対等な関係になりましたねって、そういうつもりでようやくインタビューを依頼してきたのかと思ったわ(「早穂とゆかり(噛みあわない会話と、ある過去について)」辻村深月)

あの人は猫の群れにまぎれ込んだ象よ。だからみんなには、おかしな丸い柱にしか見えないのよ(「暗闇坂の人喰いの木」島田荘司)

あなたには才能があるのです。しかしその才能は、名もなく声もない多くの平凡な人々から、あなた一人が、税金のようにわずかずつ徴収したものなのです。才能とは負債なのですよ。あなたは生き延びて、大衆にこれを返済しなくてはならないのです(「暗闇坂の人喰いの木」島田荘司)

自分たちの知らない世界をひけらかすようにそうされると、それが羨ましいかどうかに関係なく、ただ嫌な気持ちが胸に広がるようだった。(「かがみの孤城」辻村深月)

私、思うんです。才能って、石ころみたいなものだって。皆、きっと何かしらの才能を持っているんですよ。でも、それを才能って気付かないまま捨ててしまう。自分が才能を持っていたことすら忘れてしまう。天才って呼ばれている人たちは、その石を持ち続けることを許された環境にいて、その上で必死に磨き続けてるんです。石がいつ輝きだすかは人それぞれだと思いますけど、捨てるばっかりじゃいつまで経っても何も得ることが出来ないような気がします(「君と漕ぐ 2」武田綾乃)

ただ僕の考えは、そんなふうに発想するのは最後の最後にしたいということなんだ。どうも結論が早々と固定されすぎているように思う。数学的にはね、たとえばタイプライターの上をネズミが歩いて、シェイクスピアの詩が打ち出される確率というものもきちんと存在するわけさ。推理領域のグラウンドはきわめて広いんだよ。冷静に真相にいたろうとするなら、この砂漠の上に、いくつもいくつも、チェックポイントは点々と並んでいるんだ(「水晶のピラミッド」島田荘司)

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