行ってきたぞー!! と、感嘆符を複数付けて振り返るほど苦労をしたのだろうか?という気持ちもしないではないが(と思うくらいに意外と入山者は多い)、「そう簡単には登れない二百名山」がいくつかあるなかでも指折りの山であったのは間違いなかろう。
笈ヶ岳は日帰り強行軍で歩く人の方が多そうだったが、関東発だと一里野温泉までのアクセスに時間を要すのと、公共交通機関のダイヤの兼ね合いもあって1泊2日が妥当だろうというところに落ち着いた。日曜の朝の予報が良かったこともある。テント装備を詰め込んだザックはぞっとするほど重たく、夜に食い込ませてでも軽荷で日帰り往復する方が正解なのではないか? という思いは過った。
最後に幕営登山をしたのは2021年10月だったらしい。塩見岳に行ったときに、三伏峠でテントを張った。秋から冬に季節が移り変わる頃で、根雪になりそうな雪が一面に広がっていた。寒さに震えながら夜を明かした。
3年半ぶりにテントを引っ張り出してきて、結局夜は底冷えに震えているのだから成長をしていない。むしろこのクラスの重さの荷物を担ぎ上げる山行が減っていることで、肩をはじめ上半身がバキバキに痛んでいるのを思うと、残念ながら退化しているのかもしれない。
金沢のドーミーインに前泊して、朝はゆっくり出発。金沢から鶴来へ列車を繋ぐのは一昨年の白山登山のときと同じ。時間的には土曜の朝イチに東京を出る新幹線でも間に合ったのだが、GW初日ということもあり席が空いていなかった。鶴来駅からは白峰温泉に向かうバスに乗る。車窓から見える北陸鉄道の廃線跡の風景が好きだ。ここを通るたびにWikipediaの金名線のページを見ている気がする。
瀬女(せな)の道の駅でバスを降りる。「せな」と打っても予測変換に出てくれないので入力する度に「せおんな」と入れないといけない。もう春霞はあまり感じず、すっきりとした初夏の好天という陽気だった。最初から半袖で歩き始める。
国道360号線を一里野方面へ、約7キロの車道歩き。白山スーパー林道がまだ開通していないこともあってさほど交通量は多くない。それでも、洞門の中をとぼとぼと歩いていると時折大きい音を響かせて車が通過していくのがなかなか怖い。一里野温泉の手前で、さっき歩いていた人だよね?どこまで行くの? と車から降りてきた地元のおばちゃんが声をかけてくれて、飴をいただいた。
車道を離れて笈ヶ岳の登山道に入っていく。最初の洗礼は、尾添川に掛かる水門。コツコツと音を立てながら降りて上る鉄梯子、轟音を立てて流れる川の音の迫力に少し気圧される水門の上、いずれもここを歩くのかという高揚感がある。
間髪を入れずに出てくる次の壁が、この土管脇の長い登り坂。階段状になっていて歩きやすいものの、先が見えないことで永遠にこの登りが続くように思えてくる。俯きながら歩いて、そろそろ終わりかと顔を上げて確認してみると、全然景色が変わっていない。肩に食い込むザックの重たさを急に思い出す。
無心で歩き続けて、写真は一気に山毛欅尾山(ブナオ山)まで飛ぶ。昼前後にもなるともう降りてくる人が目立ち、いまから登られるのですか? はい、テン泊で… という遣り取りがちらほら発生した。1,058メートルのピーク以降はアイゼンを付けても良いと思ったが、なんとなくザックを下ろすのが億劫で、ツボ足のまま歩き続けた。
木々の合間から見える大笠山と笈ヶ岳の並び。全然近くなったような気がしない。麓からあまりそれと分かることがないので、笈ヶ岳はこんな山容だったのかというのを今更のように感じる。時折強い風が吹き付けたが概ね天候は良く、基本的に半袖で歩き通した。
冬瓜山(カモウリ山)までは行かず、その手前で15時過ぎに足を止めた。冬瓜平という幕営適地が付近にあったようだが、冬瓜山の山頂ピークを通る縦走路に入ってしまったことでどうやらその平地を飛ばしてしまったらしい。1,500m過ぎに、最低限に平っぽくなっている場所を見つけ、ここにテントを設営した。久しぶりすぎて心配だったが、なんとか手順は覚えていた。少し下のところにも1つツェルトが立っていた。
火や水を使う食料は持ってきていなかったので、そのまま食べ物を腹に押し込んで、その後はシュラフの中で本とアニメに時間を割いた。
夜は冷え込んだ。水が凍ることはなかったが、さすがに雪の上では底冷えが酷く、うつらうつらしては寒さに目がぱっちりとし、またうつらうつらとして、というのを繰り返していた。
3時にアラームが鳴ったらもう諦めて動き出し、アタックザックに水分だけ詰めて歩行再開。未明、一面の星が瞬いている。冬瓜山のピークを見つけるのに難儀した。雪が安定して繋がっていれば良いのだが、木々や草が好き放題に張り出したヤブ道状のところを通過する必要があり、暗い中ではルートファインディングが難しかった。冬瓜山を過ぎれば一転、視界良好。ブルーアワーに北アルプスの山影が立つ。
ずっと遠くに見えてなかなか近付いた気がしなかった笈ヶ岳のピーク、さすがにここまで来ればあと少しと思えてくる。最後の最後まで小さいアップダウンが続くので、短い区間とはいえアタックザックのみで軽荷になっていることの有難みを噛みしめる。
稜線に着いてからは日の出との追いかけっこ。何とか間に合って、日の出直前に頂上の碑をカメラに収めた。山名が書いてあったと思われる木の標は中央部分が朽ち果てていて、やけに草木が目立つ一帯と相まってなかなか落ち着かない。頂上はこんもりとした台地状になっているが、ここを下りたほうが視界は開ける。
振り返ると、ちょうど太陽が出てくるところだった。
日の出前はシルエットがくっきりとしていた北アルプスは、太陽が出て明るくなるとむしろ輪郭が滲んで、中央アルプスや御嶽山もぼんやりとした見た目に変わる。いかにも4月の朝の、残雪の山というひと時。
展望の良い山だが、南方向、白山を眺める景色がもっとも目を引く。4月の白山は去年歩いたが、今年は去年以上に白さが際立っているのではなかろうか。白くて大きい白山。今年は3月から鍬崎山、白木峰、笈ヶ岳と北陸エリアの山に多く来ていて、偶然か、段々と白山に接近してきていた。
日曜朝の天気は良好。徐々に気温も上がって、 穏やかな残雪期の山歩きモード。シリタカ山、冬瓜山とまたアップダウンを繰り返して、下方に自分の立てたテントが見えてきた。
今年夜を明かした場所の中ではもっとも展望の良いところだっただろう。残していたおにぎりを朝飯代わりに腹に放り込んで、いそいそと撤収作業をする。アタックザックの軽さを覚えているからこそ、重いザックがまた肩に沈み込んでため息が出た。
帰りは中宮温泉に降りるルートも考えたが、結局は歩行者の多い一里野温泉ルートをピストンすることにした。山毛欅尾山までの登り返しが苦しい。汗をかきかき山毛欅尾山に着くと、この付近にもテントを設営している人がいた。大笠山と笈ヶ岳を最後に一瞥して、山毛欅尾山からようやく下り一辺倒となる。
朝から日帰りで歩きに来た人が想像以上に多い。二百名山の難関のはずではあるが、期間限定のルートということでこれだけの人を集めている。
朝から付けていたアイゼンは、標高1,000m付近で取り外した。1,058メートルのピークの手前(麓側)に長い雪渓があり、ここを境目にアイゼンを脱ぐのがちょうど良かった。雪のないところにはちらほらと花が咲き始めていて、イワウチワや、
もう少し下の標高帯はカタクリが咲き誇っていた。特にカタクリは道の両脇に色鮮やかに咲き乱れていて、心安らいだ。登りのときも当然同じ場所を通過しているわけだが、重い荷物を抱えて標高を上げているときにはない余裕が生まれている。
最後に人工的な設備が見えてきたら、土管脇ロードの始まり始まり。
吸い込まれそうな下り階段。一ステップの幅が狭いので、横着して歩いて滑り落ちでもしたら目も当てられない。野生の猿の群れが近くで大騒ぎしていて、気になる。このあとにまた水門の上を渡って、国道360号線に復帰した。色々な要素を満遍なく詰め込んで、なんか冒険みたいな登山だと急に感じる。
重いザックのせいで7キロの車道歩きが永遠に思えてくる。暑いし、洞門の中は車が追い越してくるとき怖いし、飴をくれるおばちゃんはいないし。4月の登山で長い距離を歩くのはもはや毎年の風物詩と化していて、最後の方は音楽を鳴らしながらのんびりと歩いた。それでも、往路より時間がかかっていたのは意外。2月に上越国境を歩いたとき以来、ひさびさに歩き終えた後にちゃんとした達成感の残る山行だった。
瀬女(←相変わらず「せおんな」と打たないといけない)の道の駅で加賀棒茶のソフトクリームを味わい、カロリーと冷たさを摂取する。30分ほどで上りのバスが到着した。行きと同じルートで帰宅。途中に寄った金沢駅前のアパスパがとても良かった。(瀬女にも比咩の湯という綺麗な入浴施設があるが、サウナがない)
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