三ノ沢岳

中央アルプスの「付属品」と侮るなかれ。いや、ちょっとそんな風に思ってしまっていたのは何を隠そう私自身なんですが。主脈縦走路から離れたところにあって、百高山のスタンプラリーのために「仕方なく」登りに来る山、と。それは甘い考えだった。

金曜、急いで仕事を切り上げて、中央線と飯田線に揺られ、駒ヶ根に着いたのは深夜のこと。ロープウェイチケット付きのプランのあるビジネスホテルに入って、翌朝比較的ゆっくり出発した。薄明から快晴の予感が強い。

無事に始発のバスとロープウェイの便にすべり込んで、千畳敷に運ばれた。カール内に早くもぽつぽつと八丁坂を上がる人の姿が見えるのは、千畳敷ホテルに泊まった組だろうか。ひとしきりカールを眺めるも、今日の目的はこちらではない。

反対側、極楽平の方向にガシガシと登っていく。割と早い段階で先頭に立ってしまい、しかもトレースらしいトレースは残っていなかったので、雰囲気でコース取りしていくことになった。帰りに見たら行きの自分のトレースは後続に全然採用されていなかったようで、安心半分、申し訳なさ半分という感じがした。

何はともあれ稜線に着いて、三ノ沢岳がどんと姿を見せる。稜線は少し風が吹いて、斜面を登るときにゲイターの上の箇所に付いた雪が溶けて濡れていた部分が一瞬で凍るのが恐ろしかった。手袋も少し気を抜くとぱりぱりと凍りがちで、気楽に来ることができてしまうものの3,000m級の山脈なんだよなと気が引き締まる。

空木岳方面への主脈縦走路を横目に、三ノ沢岳への取り付きに向けて標高を落としていく。夏道のルートはあってないようなものなのでこのあたりのコース取りも引き続き雰囲気で決めていく。

改めて、厳めしい見た目をしている三ノ沢岳。中央アルプスの縦走は昔、空木岳から木曽駒まで歩いたことがあったが、当時は百名山ばかり頭にあって三ノ沢岳のことはミリも考えていなかった気がする。写真もまともに撮らなかったのではないか。

こうして見るとやはり縦走路からぽつんと離れて立っているのを実感する。白馬の旭岳になんとなく立ち位置が似ている。


引き続きトレースはなく(三ノ沢岳の取り付きからほんの少しの区間だけ、うっすらと名残のような跡があったが、すぐに無くなってしまった)、後続も来ておらず、孤独に進み続ける。基本的に稜線に沿って進むものの雪が全然締まっていないため踏み抜きが凄まじく、全身を使って雪と格闘しながらノロノロと距離を稼いだ。


一気に写真の地点が飛ぶがそれも致し方なし、というくらいに雪との格闘に消耗した。早いところでスノーシューに変えればもっと時間は巻けただろうに、何の拘りかスタートで付けたアイゼンのまま登り続けていた。木曽駒を振り返るがあまりあちらは混んでいそうだとか宝剣がどうとか、そういったことには意識が及ばず、とりあえず息を整えるついでにカメラを向けるという有り様。

踏み抜きでバランスを崩したタイミングで、カメラを雪面に落とし、その弾みでまたレンズキャップを落としてきてしまった。目の届く範囲ならば取りに下りただろうが、キャップはくるくると回りながら器用に斜面を転がっていき、奈落の底に落ちていったので、諦めた。


そして、山頂。写真の枚数が少ないことが、逆にそれどころではない登りだったのだということを裏付けている。とりあえず山頂らしいものを、と思って三角点のようなものをカメラに収めた。岩の多い頂上だった。千畳敷から約3時間。3時間半くらいがタイムリミットだと思っていたし、同時にタイムリミットを意識することになるだろうとは毛頭思っていなかった。それがこんなにギリギリになってしまうとは。


中央アルプスのメイン稜線、その向こうに南アルプス、そしてその向こうに富士山。広範囲に渡って快晴の一日だった。


反対側、御嶽山と、御嶽山に隠れる白山。御嶽山は、冬の登り方を調べていた最中だったので、先日の火山レベル引き上げの話には面食らった。

道中の写真を撮る余力がようやく生まれて、下りでは枚数が増える。頂上でスノーシューに履き替えたのも大きい。登りにアイゼン、下りにスノーシューとは、間違いなくセオリーの逆であるが、スノーシューの浮力を借りると歩きやすさは見違えるほどで、行きに下半身を埋めてああもう、などとやっていたのは一体何だったのかと馬鹿らしくなってくる。


木曽駒ヶ岳、中岳、宝剣岳の並び。この面々をこんな風に眺め得ること自体が、三ノ沢岳の一歩引いた感じを表していて、厳しい格闘を経て踏破したあとではその孤高さを好ましく思えてくる。「仕方なく」ではなく敢えて目指されるピークなのだ、と。


距離だけ見れば千畳敷から往復6kmである。ふだんの朝のランニングと大して変わらない。それに、取り付きからずっと頂上は比較的近いところに見えていて、あっさりと届きそうなのに。こんなに雪の中を泳ぐようにして歩くことになるとは、こんなに全身全霊をかけて取り組むことになるとは。


ナイフリッジのような箇所もある。行きでは踏み抜くか踏み抜かないかしか頭になく、リッジ状で綺麗だから写真を撮ろう、などとは全く考え及んでいなかった。


取り付きまで戻ってきて、最後に三ノ沢岳を一瞥。終日快晴で、天候面のコンディションはとても良かった。ただ雪質はほとんど締まっておらず、スノーシュー必携。前日までのトレースは無しで、この日も結局頂上までたどり着いたのは自分だけだったようだ。(何名かおそらくロープウェイの時間の問題で引き返していた)
往復6km、標高差600mそこら、という数字だけでは図れない満足感、なにかを成し遂げたのだという気持ちとともに帰路につく。


後続の方々が付けてくれた明瞭なトレースを踏みしめて、極楽平から千畳敷に帰っていく。午後までこんなに青空が続くとはありがたい限り。翌日も好天の予報だったが、ロープウェイが点検休業となるということで、乗り遅れは許されない。またしばらく入山者が途絶えるので、今日のトレースもすぐに掻き消えてしまうのだろう。

千畳敷カールを最後に見納めて、15時前のロープウェイに乗った。臨時便は出ていないようで、最終のひとつ前の便ということだった。最大で見積もって6時間半程度の活動時間しかない中で、トレース無しであることを考えると、千畳敷からの三ノ沢岳往復はそれなりの仕事と言えるだろうか。もう少し雪が締まってくれば宝剣岳に足を延ばしたり、といったことも視野に入ってくるだろう。この日は、そのまま帰宅もできる時間だったが、駒ヶ根の温泉宿に投宿し身体を休めた。

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