8月の終わりは台風10号に翻弄され、割と直前までフェリーは出てくれるのか?と心配でならなかった。謎に台風が紀伊半島付近で停滞してくれたおかげで、結果的には何の支障もなく新潟発小樽行きのフェリーは出発した。8/31のこと。台風は足踏みをしているのに、なぜか雨雲は長く関東の方に広がっていて、それでも相模原から新潟までほとんど雨に降られずに済み、奇跡的ですらあった。越後川口のSAで給油をしたら、SSのおじさんに「さては北海道行きだな?」と当てられ、よく分かりますね!とテンションが上がる。もっと快晴だったら小千谷から海側に抜けて、越後七浦を横目にしつつ新潟港まで向かったのに、と残念になる。でもそれは去年やったからまあいいか。
去年も乗った新日本海フェリーのらべんだあ号。部屋も、2年連続でシャワーブース付きのステートA。ただ今年は少し高い、窓側のアウトサイド個室にした。独身だからってやりたい放題? でも2人分あるベッドの、使わない方はキレイに保つように細心の注意を払う。それで掃除の手間が減るのかはわからないけど。ランチとディナーは船内のレストランで済ませた。ランチはホワイトカレーとザンギ。ディナーはビーフシチュー。うちの会社の社員食堂に少し毛が生えたくらいのクオリティだけど、まあいいかと妙に財布の紐が緩くなってしまう。Kindle Unlimitedの何度目かの無料期間がそろそろ終わりそうなので、落としていた芦沢央の小説を2冊読んだ。活字に飽きたら、北海道で運転中に聴くためのプレイリストを作るのに勤しむ。8月の終わりに、そうだ懐メロだ!と急に思いついて、買ったばかりのPixel9に、中学高校の頃によく聴いていたアルバムのmp3データを大量に放り込んだ。「北海道・旧」なるプレイリストは250曲程で埋められた。
小樽の到着は早朝の4時半。9/1。真夏ならば明るいが、9月ともなれば暗さにやや不安を覚える。真冬でもこのダイヤなんだからすごい。極寒の小樽で4時半に放り出されたら、途方に暮れちまうだろうな。いままだ台風に左右される本州民へ向ける北から目線、この日の北海道は快晴予報だった。初めのうちは余市岳に向かうことを考えていたが、笹藪が濃いと聞いてニセコアンヌプリに進路変更。ちゃっちゃっと登って下りて、晴天の昼下がりに積丹半島をクルージングといこう。
五色温泉からのニセコアンヌプリは、往復でわずか5km程。さすがにこの距離では登山の実感も、羆の気配も大して感じることはなく、あれよあれよという間にバイクに戻ってきてしまっていた。晴れの予報のはずが、頂上はガスが流れていて、お隣の羊蹄山のシルエットも見えず。諦めてBOLTに跨ってニセコパノラマラインを岩内まで下りて、そこから改めて山々を見渡すと、いつの間にか雲を振り払っていた。いつもいつもこんな風に間が悪い、と思ってしまうのはナントカの定理。岩内のセイコーマートでこの夏最初のフライドチキンととうきびモナカを食べる。居合わせた地元のライダーに、日曜日はとりわけ給油を小まめにせよ、と有難い助言を賜る。幸い、新潟の出発直前に満タンにしたので、積丹半島をぐるっと周って、小樽に舞い戻るくらいの余力は残っていそうだ。
青い海と、時折引っかかる遅い前走車の印象が強い積丹半島のシーサイドロード。岩内、神恵内、と響きが良い地名を越えていく。陽射しが暖かいがトンネルの中はひやりと冷たい。神威岬と積丹岬という、沿線の一大観光地にも儀礼的にバイクを停めることはした。しかし快晴の日曜とあってたいへんに混雑しており、神威岬は灯台の遥か手前でリターン。積丹岬も10秒ほどで戻ってきてしまった。良いのだ、これらは昔に訪れたことがある。無理にガヤガヤしている今日の体験で、過去の記憶を上書きすることはない。余市、小樽、石狩とオホーツク海沿いに国道を進んでいって、気がつけば広義のオロロンラインに突入している。最北の地、稚内にまで至る海沿いの道。石狩市は縦に細長く、浜益や雄冬岬までが石狩市に含まれる。最近読んだ桐野夏生「柔らかな頬」の主人公がこのあたりの集落の出身という設定だったはず。『あなたが私の村で生まれたら、あなたも私みたいになる』。冬のうら寂しい日には、息の詰まる景色になるのだろうか?
増毛のセコマで買い出しを行い、宿泊地の暑寒荘へ。市街地からさほど遠くなく、いかにもな開放小屋という雰囲気で佇んでいる。北側から暑寒別岳に詰めるルートの入口に建つ山小屋だ。本当は、暑寒別岳は雨竜沼を経由して歩くルートを辿りたかったが、自治体からそのルートはダメと案内が出ているのであれば致し方ない。渡道した初日はこの山荘で夜を明かし、翌早朝から暑寒別岳をハントするという計画である。明るいうちに山荘前の木机で夕飯をとった。メニューは、セコマのホットシェフのおにぎりと、ゆでとうきび。このゆでとうきびもまた、無性に北海道ならではという感じがして、ついついレジ前で手に取って買ってしまう商品だ。日曜の夕方、山荘で夜を明かそうという民は自分の他にいない。まあ明日、世の中は平日ですから。行きのフェリーから「街とその不確かな壁」を読み始めたが、なかなかページが進まない。19時過ぎには目を閉じた。
9/2。なにかにじっと見つめられているような未明の山荘周辺。シュラフやらマットやらを駐車場のバイクに戻しに行ったら、キツネがいた。駐車場をうろうろとして、時折長い舌でペロッと地面付近を舐めるのは、虫でも捕まえているのだろうか? 警戒心MAXということはなく、平然とバイクの周りを巡回して、しばらくすると去っていった。キツネならまだいいけど、羆はやめてくれー。そう思いながら暑寒別岳登山スタート。ヘッデンを付けている内は、なんとなく不安な気持ちを吹き飛ばしたくて、例のmp3ファイルたちを大音量再生させる。次第に東の空が燃えるような赤色になった。日の出直後は明るい光の射す、期待できそうな空だったが、次第に高曇りとなった。登山道からの景色が開ける8合目付近からは、頂上方面を見渡せはするものの、薄灰色が敷き詰められた空の色が物悲しく、やはり夏の北海道の山は晴れないのか、と気が沈む。そんな折、登山道をちょろちょろと横切るシマリスの愛らしい姿。慰めの材料。
暑寒別岳の頂上からは、オホーツク海方面、雨竜沼方面などなど、遮るもののない雄大な景色を拝めた。しかし高曇りの様相はどんどん強まって、遠く大雪山系の方は青空が広がっているっぽいのに、どうしてこうも自分の訪れている場所はアタってくれないんだろう、と恨み言のようなものが出てくる。明太マヨのおにぎりを咀嚼しながら悶々とする。まあでも、風はないし、雨もないわけだから今回はこれでいいか。いつか雨竜沼から縦走することがあるかもしれない、そのときに晴れてくれればヨシとしよう。
増毛側から登る暑寒別岳は、標高差がそこまでない割には歩行距離が長く、とくに麓側の前半部分の勾配がとても緩やかなのが特徴だった。登山口から5合目までで、標柱によると6km超。そこから頂上までは、ぐっと距離が縮んで3.8km程とのこと。区間を問わず、総じて歩きやすい道だった。平日だから最後まで誰にも遭わないかもと思っていたが、下山中に1人とだけすれ違った。バイクに戻り、とりあえずまた増毛のセコマに立ち寄る。フライドチキンととうきびモナカを飽きもせず頬張って、この後の予定を思案する。快晴ならオホーツク海沿いを少し流しても良い、あるいは北竜のひまわり畑に行くのもアリだ、なんて思っていたが、この曇り空とあってはあまり気持ちも弾まない。仕事の状況が少し気になるので、旭川にとっていたホテルにアーリーチェックインしようと決める。交通量のそこまで大きくない道道を繋ぎ、増毛から北竜、石狩沼田と経由して旭川へ。環状線で迷って無駄にぐるぐるとした後、13時過ぎになんとかドーミーインにたどり着いた。
アーリーチェックインをしても、風呂とサウナは15時まで入れないので、仕事のPCを立ち上げていくつか雑務を片付けた。その後、洗濯と入浴。夜は、「街とその不確かな壁」があまりに進まないので、「子どもたちは夜と遊ぶ」に切り替えた。でもこちらも、辻村深月の本の中ではあまりハマらなかった印象がある。翌日の予定も検討する。翌日は今日の鬱憤を晴らすように快晴の報。晴れならば大雪山系に踏み込むか、と考えて、当初の予定を少し入れ替え。朝に距離を稼がないといけないが、思い切って石狩岳まで行こうと決めた。となると明日は朝が早い。慌ててベッドに潜り込んだ。
(続く)
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