栂海新道

ミラーレス一眼を持っていくか否か、最後の最後まで迷った。おそらくパックできる余裕は、ぎりぎりだがあった。しかし軽量化を優先すべきだと最後に結論付けて、Z6IIは棚に置いたまま出発した。これだけで重量に1.5kgの差が出る。前泊地のビジネスホテルでは、その日着てきた下着を捨ててきた。軽く、とにかく軽く。当然、防寒着も雨具も持たない。

長かった。実に。栂海新道と下ノ廊下はいつか歩かねばならないという漠然とした強迫観念じみたものを感じていたから、いまようやくそれが半分程度に収まっている。1日目夕から2日目朝はよく晴れ渡り、Z6IIがあれば、と思うシーンもあった。でも、泣く泣くZ6IIを切り捨てたからこそ、怪我も熱中症もなく、それなりに満足できるコースタイムで日本海までたどり着けたのだと思えば、納得はする。しかしPixelは、カメラ機能に売りがあると言うが、やはりフルサイズには勝てない。まあ、カメラのことはそんなによくわかんないんですけどねー。

したがって、以下は、粗めの写真とともに。

の、前にその前週は針ノ木サーキットと毛勝山に行ってきたのでそのハイライト。


針ノ木サーキットって、"サーキット"って言い方がなんかちょっとミーハーっぽくて、あまり言いたくない。別の呼び方を探したい。針ノ木周回路? うーん。

黒部に泊まり、翌日は毛勝山。距離の割にコースタイムの長い、苦しいルートで、真夏の日中は歩くべきではない。未明、まだ涼しいうちになんとか標高を上げて、雲に覆われる前の稜線の景色を拝めた。そして、帰路、開けた尾根道の、下りにも拘らず暑くてたまらないこと。

さて、気を取り直して、栂海新道ツアー。前泊地は松本。金夜に豪雨と地震をくぐり抜けてなんとか到着し、土曜の早朝に臨時の特急アルプスに乗る。新宿から乗り通す乗車券はプラチナチケット化していたものの、松本からならちらほらと空席も出る。登山客半分、熱心な鉄道ファン半分くらい。

稜線までは猿倉から鑓温泉ルート。大雪渓の通行止めに伴い猿倉はやや閑散としていた。白馬駅からのバスもガラガラだった。

ひと息に標高を上げて、白馬鑓ヶ岳。登山道上ではやはりそこそこの人数がいた。すれ違う人からはときどき温泉の匂い(あまり良い匂いではない)が漂ってくる。

未踏の百高山のなかではこれまで最も高かった旭岳。このピークを踏んだことで、最上位が蝙蝠岳に移った。来年に仙塩尾根から蝙蝠尾根を歩くというのをしてみたい。

栂池の方からもたくさん上がってくるのでやはり人は途切れない白馬岳頂上。ガスが優勢なので長居せずに山荘に戻った。

大雪渓かき氷。フルーツ缶の具が申し訳程度に散らばっている。冷たいことが重要なのだ。

たまたま白馬山荘の予約サイトを見ていたタイミングで二畳個室に空きを見つけ、この日は個室泊。夕食後に窓を開けて周りを見たらガスが晴れていた。靴を履き直して、白馬岳頂上に再アタック。

雲海の果てに太陽が落ちていく。麓からは山体が丸ごとガスに隠れているように見えていたのだろうか。稜線の高いところだけがにょっきと雲の上に顔を出す壮大な眺めだった。翌日のことを考えて、早めに眠りにつく。

翌日。勝負の日。長い長い一日。白馬山荘から親不知まで、距離は40km前後となる。未明から歩き始めた。荷物を減らす一環で眼鏡も持参しなかったから、日の出前はせっかく三日月で好条件の星空なのに、天の川も何となくぼんやりと見えるのみ。雪倉岳の先頃からようやく空が明るくなり、ヘッドライトを消した。

涼しいうちに距離を稼ぐ。朝日岳までラストスパート。沙参がそよそよと揺れて愛らしい。今年はついにハクサンイチゲを見ないまま夏山のシーズンが終わってしまいそうだ。


朝日岳。ここまで約10km。まだまだ先は長い。気温が上がる前に歩いておきたくて、朝食の予定を先延ばしにする。

ニッコウキスゲが目立つ黒岩平の池塘エリア。Z6IIがないので自然と写真もこだわりがなくなり、適当に数枚を収めてまたすぐに歩行を再開する。

黒岩山から先は生き物ピークがたくさん。すなわち、「サワガニ」山。「犬」ヶ岳。下「駒」ヶ岳。「白鳥」山。すでに標高は2,000mを遠く下回り、尾根道の登り返しは暑くてたまらない。

北又の水場は、ちょろちょろと漏れ出るような水。何分もかけて2本のボトルに汲んだ。きんきんに冷えているという程ではないにせよ、涸れていないことがまず何より助かる。ここ以外の水場は立ち寄らなかったので、どのくらいの出方なのかは分からない。

苦しい登り返しを何度か経て、犬ヶ岳。ざっくり中間点くらいの感覚がようやく出てくる。

犬ヶ岳直下の栂海山荘にて少し遅い朝食。白馬山荘でもらっていたお弁当の包みを開けた。シウマイと餃子に、甘いさつまいもも良いアクセント。しかし何より梅干しが疲れた身体に染みること。意外だった。

菊石山、下駒ヶ岳、白鳥山と1,200m台のピークを踏み渡っていく。時間も深くなることから酷暑の核心部になるかと思いきや、ちょうどよくガスの中に入り、救われた。それが行き過ぎて、白鳥小屋の先では少し強い雨脚に打たれさえしたものの、幸いに雨雲は15分ほどで交わした。

さすがに足ががくがくとし始めるが、尻高山に入道山と最後の最後まで登り返しが尽きないせいで気を抜けない。白鳥山のあたりまでガスにすっぽり覆われていたので、海の気配はこんなに最後になって急に立ち現れた。木々の向こう、やけに青い色がちらちらと覗く。

見えた。ついに。海だ。青い。そして、晴れている。
惰性のように下り続けてきた足も、この景色を前にさすがに止まる。

国道8号線を渡って、天険コミュニティ広場に到着。とりあえず自動販売機に小銭を突っ込んで、ジュースを夢中で貪り飲む。3本ノンストップ。一息ついて、さて、標高0メートルまでラストスパート。

絵になる海辺までの一本道。たまたま時化気味で轟々と波が打ち寄せるのがまたドラマチックな終着の演出に一役買っていた。

白馬山荘から累積登り約2,000m、下り約5,000m。距離約40km。まかり間違っても逆ルートを歩くことはないだろうが、同方向でももうそうそう歩くことはないだろう。そんなことを考えて波打ち際の石に乗っていたら、一際巨大な波がぶつかって、せっかく乾いたまま歩いてきた靴が海水に濡れてしまった。

地味に苦しい国道歩き(特に洞門内はほとんど白線の外側のスペースがないので恐ろしい)を4km程こなして、交流センター「まるたん坊」の日帰り湯に浸かった。ゾッとするほど汗臭い一式を脱ぎ捨て、さっぱりとし、綺麗な服に着替えたと思いきや、湯上がりに外に出ればまた灼熱の日差しがすぐに汗を染み出させる。
運良くすぐに到着した、旧型色の列車に乗って糸魚川に向かった。予定の一つ前の新幹線が取れた。こんなに頑張った日は、グランクラスに乗って帰っても全く後ろめたさを感じない。

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