藤野15名山

相模原に住んでいるうちに済ませないといけないと思っていた山行は二つあり、一つは宮ヶ瀬湖から山中湖への縦走。もう一つがこの藤野15名山の踏破だった。だが、藤野15名山が選定されたという2004年にはまだ藤野町と相模原市は別々の自治体だったので、相模原市民だからこそ歩くのだという意気込みは冷静になって考えてみると少し白々しい気もする。まあ、今になっては同じ緑区で息をしている人と山、親しみを感じても別にいいだろう。
来年のどこかのタイミングで相模原から引っ越そうと思っている。いつか、いつかと思っているうちに歩かずじまいになるのは避けたい。そういう心理からこの5月、6月の連戦でまずは藤野15名山を片付けてしまった。

1. 2022年12月(小仏バス停~景信山~明王峠~陣馬山~和田峠~茅丸~生藤山~和田バス停)
前中後編の三部立ての前編だけ、やけに時間を遡ることになる。空気の澄んだ冬のこと。否、丹沢や高尾や多摩の周辺はこういう季節にこそ歩くべきという気もする。そもそも、15名山のいくつかのピークを踏もうと思って歩き始めたわけではなかった。たとえば下山後にこの温泉に浸かりたい、みたいな目的があるわけでもなかった。そういえばまだ陣馬山に行ったことがなかったな、というぼんやりした考えがあっただけだった。冬の冷気のおかげで汗もほとんどかかず、和田からバスと列車を乗り継いで、下山そのままに立川に映画を見に行った記憶がある。15名山のうち4ピークを踏んでいたこと、ちょうどそれらの標柱を、まるでアリバイを示すかのようにカメラに収めていたことには帰ってから思い至った。


2. 2024年5月(相模湖駅~矢ノ音~奈良本峠~鷹取山~小渕山~岩戸山~藤野駅~日連金剛山~京塚山~名倉金剛山~秋山温泉)
中編の距離がもっとも長い。中央線の北側に残る4峰をまずは消化し、秋山温泉に繋がるように南側のいくつかのピークを踏むようなコースを組んだ。5月は蜘蛛の巣をかき分けること無数。ちょうどトレイルランのイベントでもあったのか、どたどた心底から鬱陶しいランナーの姿が多い。ピークとピークの間に車道歩きが挟まることがままあり、27キロという距離ほどに歩いた気持ちはしない。相模湖は濁って、きれいな色とは全然言い難かった。天気もぱっとしなかった。この山行の記憶の最大の呼び水は、矢ノ音から奈良本峠に下りる途中で、弱ったようなカモシカに遭遇したことか、予想以上に高かった秋山温泉の入浴料か、はたまた上下線で改札機の別れたユニークな上野原駅の構造か。


カモシカは全然逃げてくれる気配がなかった。そろそろと半身になって交わそうとすると、弱々しく鼻を鳴らし、なんとか立ち上がった。が、登山道から去る気配はなく、すれ違いきったあとも怯えたように後ろを窺っていた。


3. 2024年6月(石老山入口バス停~石老山~鉢岡山~石砂山~峰山~藤野やまなみ温泉)
またしてもぱっとしない天気。こんな日には地元の山林を歩くに限る、と先月に中編を歩いたばかりなのにもう15名山を締めにかかる。そういえばこの15名山を一日で歩き切る猛者も中にはいるようで、そういう無謀なことを試したがる気持ちが今回はあまり現れなかったなと少し意外に思う。だが、別に、一筆書きをしやすい配置ではないのだ。分割したおかげで秋山温泉とやまなみ温泉の両方に入れたわけでもある。

先月の中編から大した時間が経っていないのに、明確に変わったことが一つ。ヒルの活動。鉢岡山を回って、あまり人の痕跡のない道だったなと思いながら車道を歩いていると、足首に違和感を覚えた。小枝でも刺さったかのよう。しばらくそのまま歩き、車道の膨らんだスペースで靴の中の木屑を落とそうと屈んで……ぎょっとした。靴下の上に大量のヒルがへばりついている。あわてて表面のヒルを振り落とし、靴下をまくると、そこにもいた。一匹ではなく、縦に横に、足首の内側に外側に……両足で計7箇所、喰われていた。あまり推奨はされないようだが、他にどうしようもないので、ぺりぺりとそのまま手で剥がして、咬み口から血が滴り落ちるのを眺めた。気持ちの悪いこと。一匹一匹、妙にしっかりした模様を体表に描いているのもまた律儀で、無性に気に障る。その後も、どれだけ気を配りながら歩いても、気が付けば足のどこかしらには醜いゴムのようなヒルがへばりついて、苛立った。もっとも、最後の方は靴下に滲んだ血を吸って満足しているのか、繊維をかき分けて表皮に咬み付いてこようとする気概のあるものは現れなかった。


こんな風にじめじめとした季節に、丹沢や多摩、房総といったエリアをこれまで歩いてこなかったことに逆算的に気づく。北東北に行けばヒルは分布していないらしいが、来年以降そうまでして忌避するかと言われると、どうだろう。山そのものや山を歩くことに対して爽やかな記号性だけを抱くのではなく、切実で、暗くぬめりとした部分をも持っている、そういう自分の捉え方と、血なまぐさい印象によって締められた山行は妙にベクトルが合っていやしまいか。思わず北叟笑んでしまう。

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