日本百名山の踏破記録をぽちぽちとスマホのメモ帳内に下書きという形で書き始めましたけれども、これは一体何年かかるのでしょう。利尻山で既に足踏みしてしまっている不甲斐ない状況です。今日は東京でも珍しく雪が降る南岸低気圧の一日でした。在宅勤務にすれば良かったものを、何を考えたのか本社ビルに来てしまい、帰路の新宿で立ち往生しています。その暇にこれを纏めてしまいたい。
さて、週末ごとに今週はどこに行こうか来週はどこに行こうかととりわけ目まぐるしい冬の時期ですが、冬型の気圧配置が顕著ならば雪山は避けて筑波山方面に行こう、裏筑波の縦走路を繋いで(加波山などを途中で踏むルート)水戸線の岩瀬駅までたどり着くミドル・トレイルをやろう、とそんなことを考え、実際に水戸のドーミーインの予約まで済ませたのですけれども、1月27日は思ったより冬型が緩みそうということをその前の木曜に察知して、せっかくならば雪面を踏もうということで急いで計画を変えたのでした。木曜のうちの意思決定であれば、ドーミーインはまだキャンセル料金がかからない。新たな行き先は宝永山。緩むといえどベースが冬型の気圧配置ならばまず晴天が堅い。水戸と三島の場所の違いはあれど、下山後は結局ドーミーインに泊まることにして、なんとなくキャンセル分の埋め合わせをした気分になります。
須山口から歩き始めました。水ヶ塚まで乗用車で入るパターンではなく、イエティまでの路線バスを活用するとあって出発時間は少し遅めです。黙々と歩いて、悪くないペースで第二火口縁まで来ましたが、朝の快晴はどこへやら、いつしかガスが流れては火口に滞留する、嫌なカンジとなっています。ライブカメラで麓からの見え方を確かめると、雲がべっとりと山体に纏わりついているのが見えました。
アイゼンを付けて、宝永山頂に向けてのトラバースに入ります。そこまで急斜面という印象はないですが、滑ったらかなり長い距離を流されそうだと、一欠片でもそんなことを考えると足運びは慎重になります。夏山のときはすぐに下ってきてしまった記憶があるものの、予想していたよりアイスバーンっぽく育った路面がまたアイゼンの刃を念入りに食い込ませようと思わせます。
ガスが流れた隙を狙ってカメラをあちこちに向けます。スマートフォンを操作するためにグローブを一時的に外すと、やはり寒さ故、すぐに突き刺すような痛みを感じます。でも一週前の大雪山の頂上のほうがもう少し過酷だったでしょうか。ガスに覆われている間は薄ら寒いですが、日に当たると太陽の近さも相まってぽかぽかとしてきます。
しばらくカメラを触った後、満足したので帰ります。宝永山の馬ノ背まで歩いたので、何とか2,700m地点を越えたことになりました。それでもまだ剣ヶ峰より1,000m以上低い。復路は往路をそのまま引き返すことを考えていましたが、せっかくどこを歩いても良いような時期なのだから、とルートを変えて御殿場口方向に出ることにしました。下から見上げると、火口の窪みに溜まって、溢れてきたガスが髭のようにその先端を伸ばしています。二ッ塚に続いていく長大な下りは、暖かい日の光を受けて緩んだ雪面を部分的に隠して、時折ずぼりと足を絡め取ります。
そのまま真っ直ぐにイエティに帰ろうとしましたが、ほんの少しの寄道で済みそうだったので、二ッ塚のうちの上塚には登ることにしました。しかし、上塚の天辺から富士山頂上方向を仰ぎ見ても、もう顕著になったガスの勢いに遮られて、満足のいく眺めではありませんでした。そのまま歩いて、それでもまだ路線バスの時刻にはまだ少々早い時間に帰ってきてしまったので、水ヶ塚公園の東屋でしばらく本を読んで時間を潰しました。北欧のミステリーを最近よく読んでおり、レイフ・GW・ペーション「許されざる者」を楽しみました。
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「明日だ」ヨハンソンは言った。明るい日と書いて明日なのだ。
翌日、三島のドーミーインのサウナでじっくり汗を流し、そのままのこざっぱりした心身で相模原に帰宅しても良かったのですが、せっかくこの時期ということで新松田に寄道し、寄ロウバイ園で黄色をたっぷり吸い込んできました。午前中はやや残念な曇天だったもののよく賑わっており、約1時間散策したあとで帰路につきました。
この週に取り止めることにした裏筑波縦走は、翌週(2/3)に無事に実施して、予想よりも速いタイムで30kmを踏破できたことに満足したのでした。
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「だが忘れていないことが三つだけある」ヤーネブリングのコメントなどこれっぽちも気に留めない様子で、ヨハンソンは続けた。「これを忘れたらお終いだからな」「それは?」「状況を受け入れろ。無駄にややこしくするな。偶然を信じるな」
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