さて、今年の運試しの結果は。大吉を与えられる程ではない、かといって小吉や末吉では低すぎる。朝の晴れ間は見事だったが、想像よりも早くに高曇りになってしまったのは無念だった。吉か中吉くらいが妥当だろう。
昨年も滞在した、旭岳温泉のホテル・ベアモンテの扉を開くと、快晴の予感は確信に変わる。自然と足取りは軽く、8時半に受付を始めるロープウェイ建物の二番目に並んだ。凍てつくようなロープウェイの箱の中には、話に聞くように外国人の姿が多い。日本語の方が少数言語に思えてくるくらいに。
姿見の駅に降り立つと、青と白の世界が目に飛び込んできた。ここに来るのは気がつけばもう三度目。しかし、こんなに心を揺さぶられるような場所だったとは。旭岳の頂上は近そうで遠くて、それでも手を伸ばしたら届きそうなくらいに近くに感じられる。晴れ間が広がるのは午前中だけと知っているから、自然と足が早まった。
ここ数日の旭岳の気候条件はそう悪くなかった。金曜日は晴れ、前日の土曜も山頂はガスに覆われたようだったが冬期にしては比較的風が弱かった。入山者の多い日が続いていた。トレースは、シュプールのみならず登山者のものと見られるものも多く目につき、それらをフォローしていくと雪を踏み抜くようなことはなかった。必要になると思っていた大型のワカンは最後まで使うことがなく、姿見の池の先でアイゼンだけを着けた。
大寒の翌日、氷点下十度を大きく下回る気候だったが、歩いていれば体は暖まった。むしろ必須とも思っていた上着のダウンジャケットを鬱陶しく感じるくらいで、実際にアイゼンを着けるために止まった折に脱いだ。しかしそうは言っても外気温それ自体は容赦のないもので、たとえば何らかスマホを触るなどでグローブを外すものなら、数分の間であっても突き刺すような痛みを伴った。マイナス20度に到達する世界ということで、数年前の冬に甲斐駒ヶ岳に登ったときの気候を漠然とイメージしていたが、今回のほうが幾分厳しいように感じられた。
姿見の池。水面は見えず、そこに池があったと思われる窪地の上には何本かのシュプールが走っていた。
十勝連峰へと続いていく白銀を見遣る。南方から高曇りの圧が近づいてきているのが分かる。歩く速度を上げたいが、上がらない。近くて遠くて、近く見えていた頂上は、歩いてみるとやはり遠い。ロープウェイの姿見駅から700メートルの標高を上げるということが、今更のように思い起こされる。一日かけて歩くのだとしたら大した数字ではないが、急いで歩き切るには絶妙に苦しい標高差である。
なんとか空に青色が優勢なうちにここまで登って来られた。
頂上に立つと北方から風が強く当たり、そこにもともとの外気温の低さも相まって、これは凄いと思わず賞賛したくなるくらいに強烈な寒さとなった。慌ててダウンジャケットを取り出す。まだ青空を残す北東方向に優先的にカメラを向ける。夏ならば大縦走を思わずに居られない眺めだが、いまは寒さが脳内を占有して、山座同定すらも降りてからで良いという思考になる。
スキー板やスノーボードの板を背負って、続々と人が登ってくる。外国人たちは姿見の周辺を滑りまわるのが目的なのかと思っていたが、意外に登攀の長い列を成している集団もある。大柄な西洋人の男性にこんにちはと威勢よく声をかけられ、やや気圧されるようなこともあった。ロープウェイの中、あるいはベアモンテのレストランで、英語のほかによく聞こえてきたのはドイツ語だった。「山のパンセ」での、“フランツ君„のくだりを思い出した。
外国人たちは噴気孔にもおそれずに近寄っていき(それが良きことなのかはさておき)、写真なのか動画なのかを撮り合っている。昨冬に十勝岳で、おそらく自分とニアミスしながら亡くなっていったであろう登山者を無性に想う。かくいう自分も、今日は噴気孔から上がるガスの下を潜るようにして歩いた箇所がある。ロープウェイ駅を手前にして振り返ると、いよいよ高曇りとなった空、旭岳の山体、そして噴気孔から立ち上るガスと、視界は何種類かの白に塗りつぶされていた。
下山後はベアモンテの日帰り湯に入ろうと思っていたが、温泉トラブルで日帰り入浴を受け付けていないということで、約1キロ下の湧駒荘まで歩いた。厳寒期でも入れる露天風呂というのは面白かった。湯は良かったが、湯船にたどり着くまでの床面が凍結していて、足を軽く滑らせた。
ここからは前日譚。行きの飛行機は、エアドゥのサイトを時折チェックしていたら何度目かで窓側に空きが出たのを見つけて、そこを選択した。関東周辺は雲に覆われていたが、東北は晴れていて、岩手山の雄姿が分かりやすかった。進行方向右側の窓なら、着陸前には大雪山系の白銀を見られるかもしれないとも期待していたが、曇り空によってそれは叶わなかった。
旭川空港に着いたあとは、一旦旭川の市街地に出て、三浦綾子記念文学館を訪れた。まだ「氷点」「続・氷点」「塩狩峠」「道ありき」しか読んでいなかったが、充分に魅入らせられる場所だった。それにしてもこんなに著作が多かったのかという初歩的な驚きがあった。(橋本図書館の文庫エリアの陳列は乏しい) 文学館に続いて、その裏手にある外国樹種見本林も散策した。氷点の舞台となった見本林である。
路面が雪に覆われていたので、川原まで近寄ることは避けた。こんな風にところどころに氷点の一節を用いた案内板のようなものが付けられている。この、見本林の先にある美瑛川の川原にかんする記述で、私の中でもっとも印象深いのは陽子のこの言葉である。
「わたしね、おにいさん。川原で死のうと思ったあの時までは、自分が美しいと思っていたわ。罪深いと気づいたはずなのに、わたしはわたしを肯定していたわ。肯定していたから死のうと思ったのね」
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