将棊頭山・木曽駒ヶ岳

天気図がオレ達をアルプスに誘っている。…といっても新雪の時期、自分の技量で日帰りで歩けるような場所を浮かべると、選択肢は五本の指で収まるくらいにしかないわけだけど。

久々に引っ張り出す冬用の山道具の慣らし運転も兼ねて、中央アルプスに行くことにした。千畳敷からの木曽駒往復は、行動日を土曜にしたいことを考えると駒ヶ根駅のバス第1便の発車時刻に間に合わないのがビミョーだし、何より歩く距離が短くて味気ない。この週末に限って言えば、平日期間にロープウェイが動いていなかったので、トレースが薄くてそれなりに歩き応えがあったかもしれないけど。

ルートは、将棊頭山から稜線を歩く木曽駒登山のクラシックコースを採った。伊那市駅からタクシーを少し使うことになるのと、タクシー利用でも冬季閉鎖区間があることで歩行距離がやや伸びるのは難点だったが、将棊頭山は百高山に名を連ねているようだし、冬にメジャー過ぎるルートということでもないようなので、総合的に見たら悪くない。

アイゼンは、ほとんど稜線の上、茶臼山との分岐地点まで付けなかった。本当は途中の小屋の前で一息つくついでに装備したかったのだけど、ちょうど他の登山者が荷を置いていたので、つんと前を向いて素通りした。こちとら休む気なんてさらさらないですよ、と表情で語るように。ピッケルは、まだいいかな、と思ってザックに付けたままにする。今日のザックは、ミレーのプトレイ・インテグラーレを持ってきた。マムートの先代ザックから切り替えて約半年、ショルダーストラップが歩いている内に撓んでくるのがイマイチ。

この時期は麓の小黒川渓谷キャンプ場が冬期ゲート兼駐車場のようになっていて、そういえばそこそこの台数が停まっていた。大半の登山者は将棊頭山のピークハントのようで、稜線を進むにつれ追い越しやすれ違いが増えてきた。稜線は風が強い。自然や気象を舐めているわけでは全くないが、冬季は、それ以外の季節に比べて天気を読みやすいように思っている。晴れかそうでないかは、基本的には間違えない。それでも風の強弱は、高層天気図を読み込むことをしないせいで、想像から大きくブレることが少なくない。この日も時折びゅんと吹く風は烈しく、さらさらとした新雪がその度に周囲で白く舞った。



将棊頭山のピークから木曽駒のピークに至る稜線部分は、夏道がどこを通っているのかいま一つ判然としない。途中までは先行者のトレースがあり、慎重にそれを追っていく。ハイマツの上を踏む箇所は問題ないが、新雪の上をトレースが渡るようになると、どうやら2人目の荷重までは支える想定になっていないのか、踏み抜きの回数が増える。将棊頭山までは標準コースタイムの半分以下で来ていたのが、ここに来て大ブレーキ。簡単に歩け過ぎてもつまらないから、と受け容れる心持ちでいたのは束の間、あまりにもペースが出なさ過ぎる、という危機感にすぐに変わった。危機感がペースを上げてくれることはなく、その間も間抜けに左足を新雪の中に突っ込んでいるわけだけど。


御嶽山の存在感、その向こうに横幅広く映る北アルプスのもっと大きい存在感、その背後にちらと見えるような見えないような白山。稜線からの展望は言うまでもない。南アルプスの方も雲一つなく、連嶺の指差し呼称に支障はない。甲斐駒があまり白くないのは意外。八ヶ岳も、まだほとんど黒々とした山体として目に入る。稜線上のトレースは途中から消え、探り探り、埋まり埋まりで道を作った。木曽駒のピークはこれで三度目だったが、今までで一番の好天と言って良かった。さすがにここまで来れば人の数は増す。トレースも多数残っていて、雪山らしい冒険感には最早欠ける。東南アジア系の観光客(得てしてアイゼンを付けておらず、見ていて不安になるほど軽装)が多いのは一昨シーズンから変わりなし。

八丁坂の下りは、新雪感が強ければ滑って怖いかもしれないと予想していたが、ピッケルをザックから剥がさずになんとかなってしまうくらいのコンディションだった。そして、もう14時を回る頃合いなのに、この時間に乗越浄土を目指して登ってくる対向者が多い。なんとなく、苦言のひとつでも呈したくなるが、装備だけは充実していそうな見た目をしているパーティが少なくなく、ふうんと流し目で見て、まあどうでもいいかと思い直す。


結局、歩き始めから将棊頭山までは夏道の標準コースタイム比で45%、将棊頭山から木曽駒のピークまでは130%(標準の1.3倍)、木曽駒から千畳敷までは57%という実績になった。で、こんな弁明めいたデータをいちいち計算して持ち出して、つまりは稜線でかかったブレーキは決して体力云々に因るものではないのだと言いたいわけだが、我ながらなんとも涙ぐましい。定時運行のロープウェイだけだったら千畳敷で中途半端な待ち時間が生じてしまったかもしれないが、下りロープウェイは60分おきではなく20分おきの臨時運行体制に変わっていた。ほとんど待ちらしい待ちもなく、しらび平に辿り着く。プトレイ・インテグラーレから文庫本を取り出す。三浦しをん作、「愛なき世界」。駒ヶ根高原までのバスは、幸運にも二人掛け座席をひとりで占有できた。

駒ヶ根橋でバスを降りたのは自分だけ。こまくさの湯はどうせ混んでいると考え、川の反対側にあるこまゆき荘の日帰り湯に入った。今日は何かとついている。温泉は貸し切り状態を楽しめた。夜は、駒ヶ根高原内の料理が美味しそうなペンションを予約していたので、そのまま歩いて宿泊地に向かった。続く日曜日も快晴に恵まれたが、山の予定は入れず、ペンションでの美味しい朝ご飯、開店直後のこまくさの湯、明治亭のロースカツカレーと、すべて漏らすことなく味わって、ゆっくりと列車に乗って帰った。贅沢で、満たされた週末となった。



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「直感をバカにしすぎてはいけないということです」松田は椅子から立ち、鞄を手にした。「私の言う『直感』は、『神からの突然の啓示』といった類のものではありません。日々、愚直に観察をつづけているからこそ得られる直感なのです。本村さんは、もっと自信を持っていいと思いますよ」

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