7/28(金)、退勤を報告して、およそ1時間後に相模原を発った。圏央道で事故かなにかがあり渋滞しているとの報を見る。相模湖まで下道で行くことにした。下道もスムーズではなく、渋滞を甘受した方が早く済んだような気がした。通り雨があったのか、中央道は路面が濡れている。少し靴に水が跳ねた。塩尻北で降りて、松本南のネットカフェに入った。シャワー用のタオルが有料に変わっていた。これは誤算であった。仕方がないから山で使う予定だったタオルを使った。
7/29(土)、未明に松本南を発つ。大町までは高瀬川沿いの、信号の少ないバイパスのようなルートがある。安曇野で高速を降りてから、もう意識せずともその道を選ぶ。尾張小牧ナンバーの乗用車が先行した。最後の最後で目的地が分かれ、おそらく彼らは扇沢へと向かっていった。七倉の駐車場は混雑していた。バイクといえど停める所には少し迷い、数分悩んだ末に路肩に斜めに停めた。
高瀬ダムへのタクシー待ちの列、あるいは山ノ神隧道をひたひたと歩く登山者と離れ、独り七倉尾根に入る。序盤、野草の背の高いのに少し焦るが、じきに数パーティを追い越し、少なくない人が入っていることに安堵する。蜘蛛の巣に引っ掛からないことも、今更のように思い出す。延々と続く登路は、決して嫌なものではない。2名、軽装のトレイルランナーに追い抜かれる。抜かされたことは少し意識に残って、夏の北アルプスであるからと自分を慰める。
天狗の庭で視界は開ける。暑さは容赦をしない。予想よりも水の減りが早い。一度ボトルに口を付けると、離すのが簡単ではない。船窪小屋でりんごジュースを買った。そのペットボトルは下山まで水入れの戦力と相なった。
七倉岳の目前、ライチョウの親子に出会う。母ライチョウと、おそらくここまでよく守ってきたのであろう、6~7羽の子ライチョウ。雛とはもう言い難い、青年と呼ぶべきくらいにまで成長していた。子ライチョウは好奇心旺盛に登山道を突付いてまわり、私が近付くと低空飛行をして距離を取った。崖に向かってすっくと立ち、何やら小さい鳴き声を発している母ライチョウの姿が胸を打った。
船窪岳の北峰のみ踏み、針ノ木谷に降りた。標高が落ちる分気温が上がるが、沢の清涼はそれを凌駕する。渡渉を繰り返し、右岸を巻き、左岸を巻く。お盆頃まで水量が多いと聞き及ぶが、渡渉点はいずれも飛び石を踏んで越えられた。たんに、運が良かったのだろう。沢の巻き道はしばらく刈り払われていない様子が伺えた。しかし、注意深く差し出す足を受け止める地面は不思議に固く、安心感があった。
谷を過ぎて一段落し、河原で昼食とした。冷たい沢の水を口に含む。全身に水を浴びたいような欲求が芽生える。ふとザックを見ると、虫除けに付けていた蜻蛉のキーホルダーが少し壊れていた。巻き道の藪に絡まれ、喰われたのだろう。それだけの迫力を、あの草いきれは発散していた。
平ノ渡場を越えると、途端に道は穏やかなものとなった。月初、平ノ小屋から黒部ダムまでのルートのことも頭にあったから、若干拍子抜けするようであった。雷鳴が上空に響き始める。予報は当たっていた。稜線で土曜の夜を明かす案を取り下げたのは直前、木曜日のことだった。
奥黒部ヒュッテで夜を明かす。どうせ汗をかくので多分お世話にならないです、と一度は強がりを言った入浴設備は、同室の男性のさっぱりとした湯上がりの姿を見てなお抗せるものではなく、シャワーだけは浴びることにした。夕食はカレーだった。隣席の女性が好天の利尻岳の思い出を語ってくれた。私の百名山の記憶で、今のところもっとも上書きすべきものは利尻だろう。
7/30(日)、2時半に目覚める。同室の男性は黒部ダムへ下りるルートとのことで、渡し船の時刻の兼ね合いで朝は早くないようだった。静かに支度をする。ヒュッテ前の沢水を汲み、読売新道に入る。長く、凶悪であるとよく言われるルートだが、おそらくはその印象が脳裏にあるからこそではあろうが、おやと気が付く頃には森林限界に到達してしまっていた。薄明から日の出に遷移していく。燃えるような赤牛岳、薬師岳の姿が、日の光ほどに眩しい。
こんな景色を見せられて、歩くペースを守れるわけがない。彼方、眼下の黒部湖を見遣り、裏銀座の山並みを、目指す赤牛岳の山体を、真っ赤な薬師岳を、そしてまた黒部湖を……東から射す朝日は山並みに切られて自然のカーテンを作り、徐々にそれは開いていく。私は、観念したように頂上へ歩を進める。ヒュッテを発って3時間半、赤牛岳の頂上に立つ。噛み締めるべき独占が在った。
去るのが惜しまれる場所というのは、案外山の記憶のうちにはそう多くない。記憶に残る、つまりよく思い出すような山行自体がそもそも多くないのだ。赤牛岳は、久しぶりに心のある一点に沁みた。私が到着し、私がさっぱりとそこを去るまで他の誰もここを訪れず、ひたすらに完全だった。他の登山者には申し訳がないが、私にとって美しいものは独りで見るときにのみ美しいのであって、誰かが視界に入ることすら、本当は苦々しい。
水晶岳まで、長い吊尾根が夢現に続くようだった。夢は、ゆっくりと時間をかけて現実へと着地していく。水晶岳の頂上の混雑はひどく俗にさえ映った。しかしここは数少ない、「記憶に残っている」場所である。4年前、やはり夏、折立から長い距離を歩いた。当時より天候は安定している。ここから見える峰々の多くを、あの後に踏破した。
水晶小屋で水を補給する。雲ノ平、裏銀座、鷲羽岳、水晶岳の十字路のような位置にある。比較的に小ぶりな小屋という印象を受けるが、どこを目指すにもここを通らねばならず、不思議な存在感がある。水と一緒に、缶のサイダーを頼んだ。あまり冷えてはいなかった。4年前は有った缶を潰すハンマーは無くなっており、足でぐいと踏んで缶を潰した。
夏の山は朝。鷲羽岳や南真砂岳への寄り道を考えていないこともなかった。しかし湧き上がる雲を見ると稜線での長居は避けるべきと思われて、裏銀座を急ぐことにした。道端、ようやくハクサンイチゲを見つける。一帯は、硫黄の匂いが漂う。自分の身体から発せられた臭気ではないかと少し心配にもなる。裏銀座は流石に人が多い。私はすれ違いが好きではない。
正午過ぎには野口五郎小屋に着いた。奥黒部ヒュッテから来たのに、随分と脚が速いのね、と目を細めて聞いてくださった。読売新道は確かに概ね快調に歩けたが、その後は大して良いペースでは無かったと思っていた。私は曖昧に頷き、ザックを置いたあとはミカン缶を購入して小屋の前で食べた。甘さと、冷たさが体に浸透していくのを感じた。雲がいよいよ昇ってきた。小屋に戻って「夏への扉」を読んだ。
この日も夕食はカレーである。カレーが好物で良かった。米は足りず、二度お代わりを求めた。まだ明るいうちに布団に入る。多くの小屋が、インナーシュラフなりシーツなりの持参を求めているが、使用にまでは目を光らせていないらしい。それでも自分は、この自分の性格ゆえに、特に掛け布団の共用が憚られてしまって、ここ数年の小屋泊では自分の寝袋に収まって眠ることが習慣となった。
7/31(月)、目覚ましのアラームを止めるのに、寝惚け眼で手間取った。少し鼓動が早まる。人の睡眠を脅かしたくはない。幸い、元から早起きする予定だった人が多いようだった。小屋の外はまだ暗い。オリオン座がちょうど東から浮上してくる頃合いだった。暗い空に木星は最大の存在感を放つ。土星も、それに少し劣るくらいにはよく瞬いた。夏に、冬の空が出てくる時間。高校生の頃、天文部の合宿で流星群を観測した経験がある。真夏のオリオンという響きは、詩的だった。
三ツ岳の一番景色の良いところに到着して、東の空を見る。僅かに、日の出に間に合わなかった。30秒くらいの、本当に僅かな差のようだった。小さい、光の端点は既に露わで、徐々にそれは拡がってゆく。岩の上に立つ。野口五郎岳の山体の大きいこと。薄明に桃色をしていた南方の空の色が静かに変わっていく。赤牛岳は、今日も燃えるような色をしている。
裏銀座は月曜日でも歩く人が多い。ひっきりなしに登ってくる。すれ違いを遣り過す間に、コマクサの群生にカメラを向ける。ややくたびれたような、瑞々しさの欠ける一団だった。烏帽子小屋の先、高瀬ダムに下るブナ立尾根の案内標が出てきた。終章であることを意識する。小腹が空いたのを感じ、小屋の前で、前日にもらっていた朝食のお弁当を広げた。昆布と梅のおにぎりだった。
最後のピーク、烏帽子岳に立つ。上を見ると、秋の空のような鱗雲が続いていた。これは天候悪化の予兆だっただろうか。雲の下、南沢岳から稜線は船窪の方へ続いていく。船窪を歩いた初日が随分昔のことのようだ。色々な景色を見て、美しいものもたくさんあったはずなのに、あとは下りるだけという地点で思い返すあれこれは、不思議に立体感を失い、のっぺりとした記憶に変わっている。
一息で歩き切るようにブナ立尾根を下る。高瀬ダムに着いても、これでは満足に歩いた感覚を持てないだろうと思われて、そこで、自分が山に見出し、求めているものの別の側面を知覚する。つまり、気の済むまで、あるいは自分を赦せる気になるまで、この足で歩くこと。ダムの突堤の上で、七倉へのタクシーの相乗りの誘いを受けた。私は、ぎこちなくそれを断った。
コンクリートの舗装路は、時折電力会社の車が高速で通過していく。暗いトンネルの中では、気休め程度にこちらもライトを点滅させ、存在を知らせる。トンネルが多いのは良い。暑いので。山ノ神隧道の手前で、夏休みで孫が訪れたのであろう、祖父母と孫2人というような4人組にすれ違った。ダムまで遠いですか。そう問われ、はい、結構先ですよと返した。後になって、水は持っていたのだろうかと不安が頭をもたげる。暗い山ノ神隧道を出ると、七倉は眩しかった。流石に車の数は減っていた。
汗を流すため、大町温泉郷へと向かう。学校の夏休み期間のおかげで、ちらほらと子供の姿も見かける。私は子供が苦手だ。湯上がりに林檎のソフトクリームを頼んだ。冷たく、おいしく、お代わりにはブルーベリーのソフトクリームも頼んだ。数分おきに注文に来る私を見て、調理場の女性は苦笑していた。帰路の中央道は、平日であることをお構いなしに小仏トンネルの手前で渋滞し、私はぶちぶちと文句をこぼしながら走った。
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