越百山


アタシはさ、本当は山のことが好きなのか分からないんだ。毎週のように晴れてる場所を探して、全然眠り足りないななんて思いながら単車を引っ張り出して来て、目を三角にして必死で単車にしがみつきながら数百キロもの距離を走って。それでようやく登山口に着いたら今度は重たいザックを背負って、延々と標高を上げて。もう何年も、そんな週末ばかり過ごしているのに。

中央アルプス。中央アルプスってなんかパッとしないなっていうのが一番最初に思い浮かぶ。だって3,000メートル超えの山が一つもない。一番高い木曽駒はロープウェイで誰でも簡単に登れる。百名山もたったの2つだけ。あ、恵那山は入れてない。低すぎて全然アルプスって感じがしないから。南アルプスはリニアのトンネルを通す通さないで揉めてるのに、こっちは高速道路どころか、一般道路すらもトンネルを通してる。なんか格下っぽいよなっていっつも思ってる。

でも、越百山って名前は嫌いじゃない。コスモって、宇宙じゃん。山の名前でキラキラネームを選ぶなら、越百山と皇海山の一騎討ち確定。でもコスモとスカイなら、さすがにコスモの勝ちだよね。だって、宇宙は空の上にあるから。むかし宝剣岳に行ったとき、頂上で外人に空木岳の名前の由来を聞かれたっけ。その向こうにはマウント・コスモがあるんだよって教えてあげればよかったな。

だから今週末は越百山で決定。いや、まあ、天気の良さそうな場所から絞っていったら、ここらへんが良さそうってなっただけなんだけど。踏抜きはイヤだなって思ったけど荷物が重いのはもっとイヤだからカンジキは持ってかない。それに小屋を借りる前提で、荷物は軽め。重くて長い登山はたしかに達成感があるけど、今月は月初に行った十勝岳がキレイだったからもうそこまで無理しなくてもいいかななんて思ってる。駐車場に着いたらすでに数台停まってた。小屋は混まないでほしい。よって、みんな日帰りであってほしい。


2,000メートルの手前くらいまでは踏抜きどころか雪が無いじゃん、って状態。雪解けが早いのはまあ助かるけどさ、頑張った感が残らないのも虚しいよね。なんて思ってたらその少し先からやっぱり踏抜き地獄。発狂したくなる。してた? それにしても人とすれ違わないな。踏抜きでモタモタしてるうちに2人下りてきたけど、車の数と合わない。他はみんな小屋泊ってこと? ため息の要素しかない。

数歩進むごとにGPSを見て、ああ全然進んでないなってなる。それの繰り返し。天気良かったし、越百山のピークにワンタッチしておくのもアリだなって思ってたけど、もうその気は失せてしまってた。小屋に着いたらすぐマットとシュラフを広げて、カップ麺を食べてゴロっとしてる内に眠気が襲ってきた。ハッと目が覚めてもまだ外は明るい。日が長くなってきたよね。平日、冬ならもう暗い時間なのに、夏はまだ明るいせいでなんか仕事を切り上げにくくなってる気がする。毎年。自分だけ?


結局、小屋には他に誰も来なかった。すれ違った人数と車の数が合わないまま。みんな南駒に直接向かったってこと? イヤホン不要で動画見られるし助かるけどさ。日が沈んだら、思ってたより寒かった。ちょっと舐めてたな。小屋に銀マットがあったから借りちゃった。ちゃんと元の場所に戻しておいたから。日の出を目指して出発ってほんと俗。でも星空は綺麗だった。久々に見た気がするな。忘れてるだけか。登った体験も、記憶も、なにかに書き留めたりしないとすぐ忘れてく。ほんと山を消費してる感じがする。昔はこんな風に感じたことはなかったんだけどな。

どこかに行くとき、山に登るってことはそのエリア、場所に対してなんとなく誠意のある行為だなって思ったのがきっかけだった。例えば、例えばそう、国立公園。日本には国立公園がいくつかあるけど、なにをもってそこに行ったって言える? ちゃんと探訪しました、追求しましたって言える? そんなことを考えたとき、そこにある山に登れば最低限は誠意をもってその場所に向き合ったって言えるんじゃないの? そんな風に考えたのが一番初めだった。国立公園じゃなくても、単なる地域を見たときでも同じ。でもこれ、今思うとなんか脳筋っぽいな。体を動かして、汗をかく体験をしたらちゃんと頑張ったねOK、っていう発想。

いつの間にか、それで5年近く経った。晴天の週末を求めて、まあそこそこの確率で晴天の山を歩いて、適当にカメラを向けて、たまにいいなって思う写真が残って。でも明らかに、頭の中に残り続ける経験が減ってきたと思う。これでいいのかな。そんなことを考えているうちに、また週末が来て、山に行って。あれ、何で山に行くんだっけ。



花粉はピークが過ぎたってニュースで言ってたから、きれいなモルゲンロートが見られないのはたぶん黄砂のせい。せっかく日の出に合わせて頂上に着いたのに。ほかに誰もいないから良しとするか。木曽駒に比べればマイナーかもしれないけど、晴天の週末にこんなに人がいないのは意外だな。稜線近くの雪は硬めで、踏み抜く心配が無さそうなのはイイ。空気は濁ってるけど、晴れてはいるし、南駒まで歩くか、ってちょっと色気を出してみる。

途中の仙涯嶺も、なかなかカッコイイ名前。せんがいれい。山とか岳とかで締まる名前とは一味違うんだよって主張。してる? ピッケルは出さないで登っちゃったけど、後で振り返るとリスキーだったな。南駒も、そこまで時間はかからずに到達。十勝岳と合算して、今年の4月はもうこれで充分だよね。ここから見える空木岳はさすがに大きい。雪の残り具合は、正直微妙。真っ白なら達成感を増長してくれる、雪がなければハイマツとザレのアルペンな雰囲気が高山っぽさを出してくれる。中途半端に残った雪は、なんというか、すごく中途半端だった。



そういえば、南駒から伊奈川に下りる尾根はあまり踏み抜かなかったな。まだ午前中だったから? 下りのほうが地面にも負荷が掛かるはずなのに。この時期の下りはアイゼンを外すタイミングに迷いがち。もう雪面のピークは終わりかなと思って外した直後に長い、それでいて結構硬めの雪が出てきがち。今回は割といいタイミングで切り替えられた。最後は長い林道歩き。単車のもとに戻ると、釣り道具をもった男女がちょうど車から下りてきた。ああ、釣りか。南駒に直接登るモノ好きが多いとは思えないし、前日の車も多くが釣り目的だったわけか。

で、結局のところ。アタシは山に行く自分を続けたいんだと思う。それがいま山を登ってる理由。山に行かなくなったらどうなっちゃうのか、怖いから。いや、それはちょっと違うか。それだとなんか惰性っぽく聞こえるけど、どっちかというと能動的に継続を図ってる気がする。好きかどうかは分かんない。まあ、たぶんすごく好きなんだろうね。深層はすっごい単純なんだろうけどさ、説明を付けてみたくて仕方がない。うん、そんな感じ。

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