十勝岳で遭難、43歳の網走市の職員の男性か…火口付近で“人らしきもの”発見も、有毒ガスの恐れで救助方法を検討(HBCニュース北海道)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7885ce3cc24cb3d80383fd88030c9b4c80cd09d2
報道によると、遭難された方は早朝に吹上温泉を出発して、前十勝方面に向かったという。ニアミスしている確率が高い。私は前十勝の噴気孔近くに向かって歩く登山者を都合3人見かけている。十勝岳避難小屋でアイゼンを付けているとき、前十勝の斜面に取り付いている登山者が2人見えた。風上側ではあったはずだ。十勝岳の肩に辿り着いたタイミングでは62-II火口、62-III火口方面の尾根上を行ったり来たりしているような登山者が1名見えた。
私自身、昭和火口の辺りまで夏の正規ルートは外して歩いているわけで、雪上ゆえどこを歩くも自由という意識があったことは否めない。それでも、濛々と立ち上る火山ガスさえ除けば、真っ青な空と白銀の連峰をほしいままにするこの日曜日の朝に、それでも敢えて噴気孔の近くに行かなければならなかった理由を想像するのはとても難しい。
前十勝の側からはどう足掻いても十勝岳の頂上へは道を繋げられないというのはどんな人間の目にも自明だったはずで、それに昭和火口の側から頂上に向けて歩く登山者が(私を含め)少なくとも2名は見えていたはずだった。ガスさえ被らなければ、澄み渡った視界だった。たとえば雪崩を恐れながらそれでも仕方なく大門沢を歩く、などといった行為とは質が異なっているように感じられる。だから想像が難しい。
十勝岳を離れて上ホロカメットク山に向かう稜線上、ちょうど避難小屋のあたりは、この日の風向きから火山ガスが流れてきていて、鼻につく有毒ガスの臭いが立ち込めていた。自分自身は不調を覚えることは特段なかったが、強いて長居をしようとは決して思えない一帯だった。火口から出てくるガスは当初青空のほんの一部の挿し絵のはずだったのに、いつの間にかそれが空を食い潰してしまったようで、昼前後には薄い雲が連峰全体に広く纏わりついていた。
それだけに、朝のうちの景色が忘れ難い。未明の白金温泉はガスの中で、除雪済みの道道を歩く間は晴天の予報を疑う気持ちがぐるぐると渦巻いた。望岳台のさらに数キロ先でようやくガスが晴れ、後方を振り返って雲海から脱したのだと理解した瞬間はまず安堵し、静かに感激した。ちょうど山体の反対側で日が昇り始めた頃合いだった。徐々に明るく浮かび上がる白銀の連峰の姿、時たま目につく可愛らしいアニマルトラック。北海道の山はもういつの間にか10以上歩いていて、ああ、ようやく晴天の登山が出来る。
ロープウェイで姿見まで上がり、風雪の強さに撤退を強いられたのがわずか2週前。北海道の山はそう何度も試し撃ちができるわけではないと頭で分かっていても、天気図を見て、決行せずにはいられなかった。風雨の中を歩いた利尻山。もう5年前のことになる。羅臼岳は、頂上だけガスに覆われてしまった。高曇りの阿寒岳。そして2年前の夏、やはり雲の中で何も見えず、頂上を踏むだけ踏んで、走るように去ったここ十勝岳。積もり積もったすべての借りを返して、なお余りある気持ちの良さだった。縦走路を経た先、富良野岳の手前の鞍部に着いて尚、どこまでも歩いていけそうな感覚が体に残っていた。
4月の長い山行。2年前は宮城ゲートから歩き通す大天井岳。昨年は忘れ難い大門沢からの農鳥岳。忘れ難いのは、よく思い出すからである。よく思い出すのは、危険を冒した先に、美しいものを見たからである。危険とは死の危険。雪の美しい山は、歩きながら死という文字を縁取っているに過ぎない。そんな思考が蘇ってくる契機となったのは、やはり4月の山行であった。
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