朝日岳


登れなかった山、と言えば。「登らなかった」ではない。登ることを選択しなかったのではなく、登ることができなかった山。私にとってのそれは白毛門だった。天気図をまともに読むこともなく、平地の天気予報だけ流し見して、体力まかせに歩いた3年前の春。標高が高くなるにつれ吹雪の様相を呈し、おまけにルートも見失い、迷い込んだ斜面にピッケルを突き刺して考え込むあの一時は、翌朝を迎えられない可能性にも思いを馳せた。タイミング良く下山してきた先行者の姿をたまたま見つけて、そろそろと後をつけるように何とか帰ったのを思い出す。一つのピークも踏むことが出来ない、初めての経験だった。

約3年の時が経ち、変わったことはなにがあるだろう。きちんと気象を考えるようになった。登れない前に登らないことを選ぶことも出てきた。体力的には…少し落ちてしまったかもしれない。若さは何よりも財産だった。それに若いと向こう見ずで居られる。冬の山は時にハイリスク・ハイリターン。要するに、いまは多少なり堅実だが何となくつまらない感じも漂ってきていると、そういうことである。

この3月は、滑り込みで西吾妻山の樹氷原を歩き、白毛門の雪辱を果たし、そこまでは良かったものの、姿見で大雪山を諦め、岩木山もバスを間違えたせいで登れずと、無様な後半のせいで今は厭世の気持ちにますます磨きがかかっていく。4月は経理の仕事が忙しくなるので、有給休暇を組み合わせた行程を組むのは夢のまた夢。花粉がおさまるのは助かるが、春の嵐で出かけられないのでは元も子もない。先週の大雪山への往復は実りがないのに出費だけ嵩んで、ため息をついていたはずなのに、来週末の予想天気図を見て今度は十勝岳を歩くことをぼんやり考えている。

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バイクを引っ張り出すのは年始に九州から帰ってきた日以来だった。バッテリーが上がっていたらどうしよう、と金曜夜に不安になってセルを回すと、何事もなかったようにBOLTは車体を震わせた。土曜未明、スキー客が多いのか関越道は思いのほか混んでいる。白毛門駐車場はまだ一面の雪の下で、BOLTは土合橋近くの路肩に置いた。


霞の予兆は早く、モルゲンロートから既に光が濁ったような、大気にさぞ花粉が充満しているのだろうという鈍い色をしていた。

あのとき迷い込んだ斜面、撤退を強いられた場所はどこだったろう、と探しながら歩く。視界がクリアなときと吹雪のときでは全く見え方が違うので、いまは迷うはずがないと思えるからこそ、悪天時にどこで迷い得るのかということにも想像がはたらかない。

本当は3年前も白毛門がゴールなのではなく、その先の朝日岳に行きたかったのだ。途中で、せめて一番手前の白毛門だけでも…と目標を変えて、結局それすらも果たせなかったというのが真実である。と、そう考えると笠ヶ岳、朝日岳も登れなかった山の筆頭に推すべき気がしてくる。白毛門の頂上に立つと、如何にも「笠」の形をしている笠ヶ岳の姿は分かりやすく、一方でGPSを確認するとどうやら朝日岳はまだ見えてもいないようだということが判って、やや鼻白んだ。


前を歩いていたのは、巻機山へ縦走する女性だった。春霞の濃いのに困りますね、と少しだけ言葉を交わした。

笠ヶ岳の隣の1,934mピークに立ち、ようやく朝日岳の頂上を見ることが出来た。遠く巻機山もこの白色のどこかにきっと見えているのだろう。冬山での幕営を抵抗なく出来るようになれば、また一段と歩ける場所のバリエーションが増えるのだろうが、毎年考えるだけ考えて、さぞ荷物は重かろう、それにまだ小屋泊まりで歩けるところもあるはずと、先延ばしにしてしまう。この週末は両日とも晴天の予報だった。


昔は、上越国境と自分は相性が悪い、ここは絶対に晴れてくれないと恨めしく思っていたものだった。初めて登ったのは夏の苗場山で、そのあとに巻機山、仙ノ倉山、谷川岳と、いずれも好天には程遠かった。今年はすでに仙ノ倉山と今回の朝日岳の二度、上越国境は微笑んでくれている。

霞んだ景色を見る度に、半透明のビニール袋を被せられたようだというオリジナルのつもりの比喩が浮かんで、これは上手、と少し得意気な気持ちになる。下山時には気温も上がって、ところどころ亀裂の入った雪面を横目に下った。雪解け、雪崩の季節。昨年の大門沢を思い出す。4月の長い山行。今年の4月は、どこを目指すことになるのだろうか。

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