ジャンダルム

九州6泊7日とどちらを先に整理しようかと悩んで、一週後に登ったこちらに先に手を付けることにする。今年歩く中では一番難しい山だったのだろうか。死は、人の気配のない4月頭の農鳥岳の時の方が近くに感じたが。しかしジャンダルムを下りた直後、二度に渡って収容に訪れたヘリコプターの姿、その収容の一連はなかなか言葉にし難い感情を覚えさせた。

会社では異動があり、10月より念願だったコーポレート部門に移ることになった。これまで本店内出向という位置付けになっていたので、通信デバイス類は部署紐付けの変更のため9月末で一度総務に返却ということになり、この10月頭の山行は3年ぶりに会社の通信機器から解放されるものとなった。ナイフリッジを歩いている最中に仕事の電話が入ろうものなら集中力を削がれて最悪だろうから、そういう意味でもベストタイミングでの山行であった。

10/2の日曜日は、晴天の予報。前日も同じく晴天の予報だったが、午後に前泊地の西穂山荘に着く頃にはガスが強く、西穂山荘の支配人によると高気圧の勢力が弱まったとのことだった。支配人は気象予報士だそうだ。日曜もそのようになってしまったら不運だと思っていたが、幸いに杞憂だった。前日夕方のうちに手ぶらで独標まで歩いて、多少暗いうちに歩いても問題はなさそうだとルートを確認した。西穂山荘から始まる穂高ルートは初めてだった。日曜、4時少し前に山荘を発って、やや前方を歩く先行者を追いかける。荷物を背負った分前日の下見の時よりは時間をかけて、丸山、独標と越えていく。

オフィスに出社するときは京王ライナーの時間の都合で4時台に起きる必要があり、そのおかげで日の長い短いには敏感になる。平日に起きて外がまだ真っ暗だと、夏の遠ざかったのを実感する。平地ではまだ残暑厳しく、涼しい恰好をしているが、日の出日の入りだけは誠実だ。独標を越えた頃は周囲はまだ暗かった。西穂高岳に至る10以上の小ピークを着実に乗り越え、その度に空が白んでいく。チャンピオンピークという名前の格好いいこと。気が付けば前を歩いていた2パーティを追い越していた。西穂高岳の頂上に立つと、奥穂から前穂に至る吊尾根を越えて、朝の日差しが射し込んだ。眩しさに目を細める。ヘッデンを取り外し、ヘルメットを被った。


ご来光という程ではないが、空が明るくなるその頃に西穂高のピークに立てていたのはタイミングの好い、幸運なことだった。さあ問題はここから、と両頬を手のひらでたたいて、歩みを再開する。せっかく登ったのに勿体ないと思わずにはいられない急な下り、さっきの下りは何だったのかと思わされる急な上り、その繰り返しで、背後に屹立する西穂のピークより高いところにはなかなか辿り着かない。夜の明ける頃には少しガス気味に見えた大気は、この頃すっかり晴れ渡って、澄み切った美しい秋晴れの一日を予感させた。間ノ岳で後ろを振り返ると、西穂から焼岳、乗鞍岳へ続く山並み、谷を挟んで笠ヶ岳、さらに遠くには白山、あるいは逆側には上高地、あらゆる展望が手に取るようだった。


天狗のコルの辺りから逆コース、奥穂から西穂へ下る面々とのすれ違いが始まった。大方、前日は穂高岳山荘に泊まったり、あるいは涸沢を未明に出発というのもあるかもしれないが、ジャンダルム付近で日の出を見て、そのまま西穂方面に下るのだろう。西穂からの登り組では自分が最前線となってしまったから、人の居ないのは時にルートファインディングの面で不安を煽る、そう思っているさなかで、他登山者の存在は有り難かった。だが、岩場区間での最大のリスク因子が他登山者の起こす落石だという。

ジャンダルムの頂には、案外にあっさりと到着してしまった。北からはただただ岩の塔という見え方をするのに対し、南から見るジャンダルムが思いの外に太ましいこともあるのだろうか、それは肩透かしという程ではないが、いずれにせよ余裕を持って到達することができた。タイミングよく、頂上は独り占めであった。見聞きしていた通り、そこでは天使の標が待っていてくれた。秋晴れはまさにその最高潮にあり、360度、山岳景色をほしいままにする。北に見る奥穂高岳の頂上には人が多く、対してこちらは独り占めで、無性に優越感を覚えた。


西穂から通すのではなく奥穂からピストンで歩く人も多いとあって、頂上の静寂は数分で途切れることとなった。それでも十二分に満足して、残り僅かな縦走を再開した。ロバの耳、馬の背と続くこの区間こそが核心部であった。ちょうどその頃、ジャンダルムに奥穂側から取り付いて滑落したと見られる登山者が居たため、本人に意識はあるようだったが、救助のためヘリコプターが登山者を収容した。背後の救出劇をちらちらと見ながら進むロバの耳は、いま振り返ると危ない瀬戸際のような局面だったのかもしれない。前々日にはここで滑落して命を落とした者もいたそうだ。ヘリコプターはその十数分後にも再度ジャンダルム周辺を旋回していた。


いま考えると何の気無しに通過してしまったロバの耳こそ不気味に思えてくるものだが、続く馬の背のナイフリッジはその場で即座に危険を認識できる区間だった。這うように、一歩ずつあるいは一手ずつ、適切に運んでいかないと、ナイフの刃先は登山者を簡単に振り落としそうだ。若さゆえに多少の無理は利く、と、八峰キレットや不帰キレットなどの岩峰では、ベストとは言い難い手足の配置からでも、思考しきらないまま、強引に次の支点に体勢を動かすということがままあった。ここ馬の背ではそういう強引さは命取りになるだろう。対向者とコミュニケーションを取り合って一歩ずつクリアしていく。予め手足を動かす順番、置く場所、そこは浮石ではないか、全てを明らかにした上で体を進めないといけない。


混雑する奥穂高岳には軽い幻滅を覚えて、人の切れ間に山頂の祠の写真を撮るだけでそこを去った。縦走区間は難度が難度だから、ある程度の心得、技術がある人に絞られている快適さ、安心感があったのだ。穂高岳山荘までの非バリエーション区間にこそ外的な心許なさを覚えて、心を引き攣らせながら山荘に着いた。空腹は誤魔化しのきかないところまで来ており、朝昼兼用の食事をとった。ジャンダルム踏破、ロバの耳も馬の背も越えたという記念に山荘で炭酸飲料を買い、飲み干す。

下りは白出沢ルートを選んだ。涸沢から上高地に出るのも悪くないと考えたが、過去しばらく閉ざされていた白出沢が今年ついに開通したという事情を勘案して、今のうちに歩いておこうと思ったのだ。ガレの続く途方もない下りにはげんなりさせられたが、それ以上にこの区間を登りで処理するルート選択に思いを馳せてはさらに頭を痛くした。実際に、数は少ないにせよ穂高岳山荘を目指す数パーティとすれ違い、尊敬の念を持たずにはいられなかった。笠新道なども然りだが、いくら山が好きと言えど、敢えては歩かない登山道は明確に存在する。白出沢を登りで歩くことは、自分に限ってはこの先も起こらない蓋然性が高い。林道との出合まで、ところどころにはまるで大杉谷のような絶壁の歩きもあって、下りであれば楽しいことには相違ない。


テンポよく歩いたおかげで新穂高には目標時刻より1時間も早く帰ってきて、バスも一本早いものに乗ることができた。昼下がりにもまだ空は力強く青く、ガスの昇らない晴天こそが秋晴れの証と嬉しくなる。平湯でバスを降り、平湯温泉で汗を流した。浴場の大混雑に辟易はするが、新宿行きのバスの接続の兼ね合いで湯上がりには喫茶でのんびりと寛げたのが良かった。甘い紅茶と、それにマッチするのかは定かでなかったが塩気のあるものを食べたくてごぼうの唐揚げを注文した。喫茶は空いていた。

10月の最初の週末は晴れる、そんな法則を自分で持っている。一昨年は八峰キレットを歩き、昨年は槍穂縦走。今年はジャンダルム。どれも素晴らしい天気に恵まれた。何の因果か、岩峰を歩くことが慣例になっているようだ。では、来年は? 段々と未踏の日本アルプスの登山道は少なくなってきている。今年は開通の遅れている下ノ廊下を、来年ここで歩くのも妙案だろうか。登ったという事実それだけならジャンダルムでもそれ以外の山でも山対山でイーブンで、フラットで、下りてしまえばそんなものかと復路のハイウェイバスに揺られながら考えていた。しかし翌日、普段の登山では全く起きない筋肉痛が腕、太腿に現れて、やはりジャンダルムは物が違ったと思わされるのだ。

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