農鳥岳


唯一未踏だった3千メートル峰。叫びたくなるような踏み抜きの連続を経て稜線へ這い上がると、まだ冬の装いを残した南アルプスの山々が待っていた。

この時期の高い山の風体には、間近で見ると恐怖を覚える。その恐怖は、綺麗という形容の派生に留まるのではなく、本当に恐ろしい魔物が棲んでいるような危うさを隠していない。どんなに晴れていて穏やかな天候であっても(否、むしろ晴天であればこそ)、自分以外に誰もいない稜線の静寂に、聳える白銀の山体に、死への口を大きく広げた底意地の悪い悪魔の姿を連想する。見下ろす谷底は、本当に誰かが落ちてくるのを心待ちにしているように感じられる。

つまりはそれが美しいという感覚の極致なのかもしれないが、より標高の低い冬山と比較して、高い山の見せる冬景色はこの点で明らかに異質だとはっきり感じる。昨年同時期の大天井岳への長旅も想起される。比較的安全に登れた件の山行に対し、振り返ると今回はより死が肉薄した、死の周囲を延々となぞり書きするような危ういものだったと思う。一般論的な雪山、雪崩のリスクのみならず、この山、このルートをこの時期に歩くということへの具体的な研究が不足していたと下りた後になって思われて、背筋が寒くなる。この後ろ暗さを克服する程の自信は、まだ持ち合わせていない。勇気と蛮勇は違う。蛮勇に見せられた景色だった。

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長い一日だった。大門沢小屋を3時過ぎに発った。日の出は早くなってきたと感じるが、この時間は流石にまだ闇一色だ。夏道のピンクテープがちらちらとヘッドライトに照らされる。ちょうど小屋の前と後で積雪の有無が切り替わるような頃合いで、歩き始めてすぐにアイゼンを付けた。トレースは無く、連日の晴天のせいか未明でも雪は緩んでいた。


雪質に加え、暗闇にルート判断の時間を要すこともあり歩くペースは伸びない。二度の渡渉を経て開けた大門沢沿いに出る。二度目の渡渉はまだ雪が沢を完全に覆っていて、恐る恐る越えた。後方ではブルーアワーに富士山が浮かんでいた。

沢筋はあからさまに雪崩の巣窟であることが伺える。しかし雪面は一時的に締まったものに変わり、慎重に歩速を上げた。

しばらくは開けた斜面の樹林帯寄りを進む。黙々と俯いて歩いていると、白銀の斜面が陽光をはね返し、視界がぱっと明るくなって顔を上げた。締まった雪面を頼りにしている内に夏道から外れていることが分かって、のろのろと軌道修正する。

夏道の樹林帯が問題だった。緩みに緩んだ深い雪面が容赦なく足を飲み込み、とにかく時間を浪費する。大門沢の筋の登り初めから稜線までで千メートル弱の標高を上げるから、ここは斜度も相当なものになる。足を動かせど距離は進まず、ゆえに高度も上がらず、蟻地獄か蜘蛛の巣に捕われた獲物の姿が重なる。荷物の軽量化のため、そして「どうせ使わないだろうから」と、ワカンを持参しなかったことが災いした。身体の下半分を埋めた雪の泥濘で途方に暮れ、空を仰ぐと針葉の切れ間に快晴の青が覗いた。その色に明け方の様相はとうに失われていて、ただひたすらに焦る。

身体以上に精神を削りながら、それでも一歩ずつ歩けば終わりは必ず見えてくる。視界が開ける高度まで登り詰めると、踏み抜きの程度も若干収まり、遠くに大門沢下降点の目印が見えた。夏道に従ってトラバース気味に登るのは避け、稜線まで最短距離で歩くことにした。

稜線に立った。空が近い。宇宙がそのまま落ちてきたようなアイアンブルー。

それでもまだ、農鳥岳のピークは遠く見える。最後の道も慎重に決めないといけない。

稜線から周囲を眺めて、破格の存在感をもって迫るのはやはり南アルプス南部の峰々。中秋に歩いた塩見岳、夏の荒川三山、いずれもいまは見違えるような白銀色で立ち、無性に「見られている」ように感じる。

計画していたコースタイム、延いては標準コースタイムさえも超過して、ついに辿り着いた農鳥岳の頂上。ここに着いて初めて、白根三山の盟友が視界に入ってくる。思い返すと社会人1年目に初めて歩いた3千メートル峰が北岳、間ノ岳だった。沸き上がった夏雲に当時は覆い隠されていた三山の最後の一座に、そしてあれからの数年で歩き廻った国内3千メートル峰21座の最後の一座に、いま立っている。

時間が押しているのは明らかで、余程ここでこの山旅を折り返そうかとも考えた。しかしこの天候で、西農鳥岳を歩かないというのは、無事に帰ってもうなされるくらい心残りになるだろう。やはり蛮勇が背中を押し、もう一つのピークに歩を進めた。山を下りてからの奈良田の温泉は断念せざるを得ない。翌日は仕事だが、必要ならば大門沢小屋でもう一晩を過ごそうとも覚悟した。

数か所の岩・雪のミックス帯を乗り越え、本峰よりも背の高い西農鳥岳に立った。360度の視界をほしいままにする。眼下に僅かながら見える農鳥小屋を含めて、他者の気配は全くない。ほぼ無風に近いことも相まって、しんとした静寂が際立つ。静かであるほど、山そのものが発する無言の圧のようなものを強く感じる。恐ろしさの源泉。間ノ岳へ続く稜線、伊那谷を挟んで向こう側に浮かぶ中央アルプスと、少し霞がかってぼやける北アルプスの連嶺。カメラに収めて帰路についた。西農鳥岳から農鳥岳まで、再度越える岩峰の数は決して少なくない。

上手く歩けば朝のうちに稜線を離れることになるかもしれない、という事前の空想は今はなく、すでに昼下りを迎えた頂稜を下る。気温はぐんぐんと上がっており、緊張感が増した。

大門沢下降点まで戻り、暑さに耐えきれず半袖になった。急斜面の下りの処理に迷う。踏み抜きを覚悟で登りの夏道、樹林帯を歩き返すか。離れた箇所を試すか。登りの時間の浪費は強く意識に残っていた。夏のコースタイムとの比較とはいえ、大門沢小屋から稜線まで標準コースタイムの1.25倍というのは、ショッキングな数字だった。樹林寄りを歩くことをせめてもの命綱に、開けた斜面を半ば流し落とされるように闊歩して下った。幸い、滑るように足を出していくと、強く踏み込む登りのとき程には吸い込まれない。樹林帯を進む登山者とすれ違った。農鳥岳を目指す登山者では唯一の遭遇だった。

朝は比較的に雪質の締まっていた区間も、この時間にはグズグズに緩み始めていた。沢筋斜面をもうすぐ抜けるという箇所で、反対の樹林側へ寄ろうと筋を跨ぐように横断した。その途中、右足がこれまでにない深さまで嵌り、抜けなくなってしまった。急斜面の末端の地点。周囲には雪崩の頻発を思わせる落雪の残骸が多数。信じられない気持ちになり、何度も右足を引き抜こうと力を込めるが、爪先・踵の両側に硬い雪の層がひっかかって、びくともしない。ピッケルを使って雪の層を崩してなお、足が引き上がらない。20分以上が経過した。確かに、日は傾きつつある。昼下がりから夕方へと移行し始めていた。こんなところで、と泣きそうになって、喉がカラカラになりながらピッケルを動かす。ようやく引き抜くことができた。掘削のうちにピッケルのリーシュが数メートル先へ外れ飛んでいた。

ピンクテープの誘う樹林帯に戻れば一安心だった。小屋までは引き続きそれなりに踏み抜くが、登りのときにはなかった周囲の明るさも助けて、ようやく神経が落ち着いてきた。大門沢小屋にデポしていたいくつかの荷物を回収して、薄暗くなり始めた道を急ぐ。まだ人の少ない時期ゆえ、代わりに動物たちの姿が多い。鹿のコロニーを複数、縄張り争いなのか駆け回る猿を幾頭か。ザザッという物音がする度にどきりとして、正体が判って安堵する。

南アルプス特有の揺れる吊り橋。ここまで戻れば人里は程近く、もう一つある吊り橋を経て車道に行き着いた。

奈良田の発電所に到着した。広河原へのゲートは変わらず閉ざされている。太陽はとっくに稜線の背後に隠れていた。何とか視界はある程度の黄昏時で、まさに昨年の宮城ゲートまでの歩行ではないかと、この時期特有の長時間行動に苦笑いする。汗を流すことを夢想していた、ついでにほうとうを食すことも考えていた奈良田の町営温泉は、1時間以上も前に閉じていた。がらんとした奈良田温泉の駐車場で独り黙々と装備を片付けている内に、完全な闇が訪れた。バイクに跨って中央道を上る間、やはり昨年の大天井岳のときと同様、どこか夢見心地だった。

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