伊那谷を南へ走る列車に揺られていた。雪のイメージの強い長野県とは言えども、松本以南の平地はそれ程でもないと高を括っていたから、車窓に広がる銀世界は意外だった。中央道もこの辺りまでバイクを走らせるのは、もう少し暖かくなるまで我慢した方が良さそうだ。進行方向右手のボックス席に掛けていたから、中央アルプスが近付いてくるのがよく分かる。晴れの予報のはずだったが、雪雲なのかガスなのか、稜線は白に覆われて見えなかった。隣のボックス席ではアジア系の異邦人と見られるグループが話に興じているが、イヤホンで耳を固く閉じているので、声までは聞こえない。伊那市、駒ヶ根と経ると、車内に残る乗客は数える程となった。御多分に漏れず、自分もまた駒ヶ根で列車を後にする一人だ。
前泊には駒ヶ根駅近くのビジネスホテルを取ったが、駒ヶ根でないといけない理由はなかった。諏訪湖まで行けば、翌朝タクシーと始発列車を駆使して、登山バスの第一便に間に合わせることが出来る。諏訪湖畔には使い慣れた格安ネットカフェがある。それが何となく憚られたのは、故障明けの体に不安を覚える無意識の反応か。初冬にぱきりと折れた左踝上の腓骨はもうそろそろ完全にくっついた頃だろう。担当医は3か月間の運動禁止を言い渡したが、果たして突き詰めれば歩くだけの登山が禁止の範囲に含まれているのかは分からない。まだ2か月と少しが経ったくらいだ。
ビジネスホテルは、小ぢんまりとしていて、清潔だった。夕方浅くに着いたから、時間を少し持て余した。部屋は中央アルプスに面しており、カーテンを開けると、日が傾くにつれ少しずつガスを払う稜線が見えてきた。登山バスとロープウェイのチケットをセットにした宿泊プランにしたので、部屋の向きは案外ホテルが気を利かせてくれたのかもしれない。バスの時間は決まっている。うんと早く出発することも、そのために早く床に入ることもない。安いチューハイを館内の自販機で買い、スナックをつまみに時間を潰した。
この時期に雪山を訪れる人間は格好で分かるから、チェックアウトの折にフロントの女性はどうか安全にと声をかけてくれた。面食らい、少し照れて、曖昧な返事をして去る。明るいが日はまだ射し込まぬ朝の駒ヶ根は少し寒く、しかし東京西部と然程変わらないようにも思う。登山バスには始発の駒ヶ根駅から乗る。3,000mに迫ろうかという稜線でその気になるのかは定かではなかったが、駅までの途中、コンビニでカップ麺を購入した。駅前には数台のタクシーが列をなしている。バス停にはまだ誰も居なかった。30分以上も前に着いたのは、冬のバスは始発の時間があまり早くないので混み合うのではないかと考えたからだった。じっと待っていると流石に寒さを感じて、バラクラバをぐいと上げる。バスは定刻直前に入ってきた。バス待ちの列はいつしか十数人に増えていた。
菅の台でチェーン付きのバスへ乗り換えた。満杯となった車内では、嵩張るザックを膝の上に乗せて、特にすることもなく窓の外に目を向ける。雪はあからさまに増えたが、沢は凍結の気配なく豪快に流れている。晩秋にこのバスに乗ったときは、カモシカが路側の山林に現れた。運転手がカモシカがいますよと気を利かせて停めてくれたが、そういえば何だか泥塗れのような、みすぼらしい見た目をしていた。野生のカモシカを見たのは確かそのときが初めてだったから、もう少し神々しいものかと思っていたが案外に小汚い動物なのだなと、失礼なことを思った。
冬の山は野生動物の気配が少なく、少ないからこそ動物を探してしまう。雪に残される足跡がまた挑戦的にさえ見えてくる。キジのような足跡も、野ウサギの特徴的な足跡も、跡ばかりでそれを付ける主にはお目見えした試しがない。
バスは定刻より少し早くにしらび平に着いたようで、やや寒いロープウェイ駅で待った。スキーにはめっきり行っていないから、無骨なリフトよりもじっと息を抑えて乗るすし詰めのロープウェイの方が冬山の代名詞的な印象がある。
千畳敷のロープウェイ駅舎を出ると、眼前に冬の中央アルプスの稜線が現れた。やや高曇りの空にしんと純白が続き、乗越浄土の近くには岩肌が覗いている。一瞥したところ、トレースはない。冬の雪山は山から音が聞こえる。それは木々のざわめきや動物の気配ではなく、山そのものの張りつめた緊迫の声のようで、決まって歩き始める前に、もしくはふと歩きを止めたその瞬間に、特に開けた場所で聞こえてくる。この感覚は久しぶりだった。前に聞いたのはいつだろうか。
アイゼンを付け、忘れていた日焼け止めを塗る。ザックの中身の配置を少し変える。急ぐ必要はない。トレースが無さそうだったということは、あまり急いでもラッセルの負担が増すだけだ。せっかく盛況なので、そうした仕事は先行者たちの膂力に任せたい。自分は病み上がりのような体なのだから。都合のいいことを考える。そうしてなぞり始めた先行者たちの足跡は、それでも十分に柔らかく、踏み込んだ右足がふわり沈んだ。
骨折が一段落した以降に歩いた山は、どれも登山と呼ぶに値するものか判然としないものばかりだった。相変わらず行きたいところは度々思い付くが、ここ最近は果たして自分にそれを踏破できるものかという不安が同時に想起される。冬の中央アルプスもまた例外ではなく、ある意味ではこの山行は1年前の自分が課す試験のように感じられていた。アイゼンを付けた両足は、先行者のトレースも助け、快調に進む。夏の山は自分の足が踏む箇所をよく注意しなければならない。木の根なのか、岩なのか、整備された階段なのか。冬はそうしたあれこれが全て雪に埋まり、どの季節よりも思考を放棄してただ足を動かしていられる。この感覚が好きだったのを思い出した。そのうちに数パーティを追い越し、八丁坂に入る頃には片手で数えられる人数しか前におらず、トレースも一層心許なくなった。
ピッケルを準備しておくべきだったのに、どういうわけか忘れていた。思いの外順調に歩けている自分に気を取られたのか、深い斜面でそれを求めたときには既に遅かった。ザックには使う機会があるかと思って装備していたワカンが巻き付けてあり、そのワカンを一旦外さないとピッケルは取り出せない。元を正せば千畳敷で装備しておくべきだったものだが、八丁坂に入ってようやく気付くとは恐ろしい。急斜面は新雪に覆われ、ステップを刻んでも脆く壊れる。そしてそれは連鎖し、たちどころに自分の居場所は崩れ落ちてしまう。のんびり立ち止まっていられる場所でもなく、仕方なく両手で補助することにした。幸い、直前のパーティが歩きやすいつづら折りのトレースを刻んでくれて、それにあやかることにした。
乗越浄土には這うようにして辿り着いた。冬の3,000m級に吹き下ろす風がまともに当たるが、それでも安定した足場に落ち着いて、今更ながらにピッケルを取り出す。どれだけ皮膚を隠しても、この高さに吹く風は身体を刺して、芯からじわじわと冷えてくる。先行する数名には宝剣岳を目指すものもいたようだ。秋に宝剣岳に登ったときには、金沢に住むという陽気なオーストラリア人が頂上に居た。宝剣岳と空木岳の名前の意味を教えた。あのような賑やかさの気配は八丁坂の数十分後方に取り残して、今はまだ静かな稜線を歩く。視界の左方に御嶽山の気高い姿が見え始める。随分と粘り強く高曇りだったのが、ちょうど御嶽山の方のみ青空を晒したので、足を止めてカメラを構える。高度が欲しく、歩きを再開すると中岳に到達した。
山に登る数が増えると、登った先の頂上で過去に登った山の頂を探さずにはいられなくなる。御嶽山のような分かりやすい独立峰ならいざ知らず、山塊や連峰を相手にすると探し当てるのに幾分かの時間を要し、見つけ当てた後も隣り合った山々に思いを馳せる、そうした連想がまた余計に時間を喰う。御嶽山の背方にやはり白く神々しく待っていた白山、あるいは野麦峠を挟んでその斜め隣の乗鞍岳、さらに先へ続く北アルプスの連嶺。前ばかり見ていると忘れがちなのが真後ろ、空木岳に続く稜線も秋とはすっかり異なり、白銀に塗り重ねられている。自分のような人間が冬に雪山を目指すとなると目的地はどうしても固定化されやすく、その次の段階に進むには技量と経験の飛躍を要されるように感じる。
早い話が、自分はまた年を変えてこの場所に立ちに来るのだろう。木曽駒ヶ岳、2,956mの頂上に着いた。
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