剱岳

表紙画像: 別山尾根、立山、北アルプス南部を全部

台風が列島を横断するとの予報が出て、2か月前から抑えていた九州行きのフェリーの予約を泣く泣くリリースした。そして、台風に背中を押されるようにして、シルバーウィークに確保していた休暇の予定もキャンセルする。そもそも仕事を引き継いで休暇を取ることで、普通に勤務して仕事をこなす以上のストレスがかかるのではという確信めいたものが最近はある。労働環境・特性についてはここで言っても仕方がないのだが。

そうして、シルバーウィークはカレンダー通りに3連休、行くあてはなくなった。台風一過の晴天が見込まれそうで、九州に行けない分を少しでも取り戻そうという貧乏な精神が北アルプス・剱岳に目を向けさせた。せっかくの連休、移動に時間を割けるのだからと、よく晴れそうな中日に早月尾根の日帰りを組み込むことにする。近辺の日帰り温泉も決して悪くないが、これもせっかく連休だからと宇奈月温泉の宿と翌連休最終日のトロッコ往復券を抑える。土曜の昼過ぎ、台風の降らす雨の中を北陸へ走り始めた。

それにつけても九州は、年末年始の寒波キャンセルに続いて、連続での直前キャンセルとなってしまった。そろそろさんふらわあから目を付けられていてもおかしくない。きちんとした理由はあると言えど。今年の年末にも取りたいが、まだWeb予約は試していない。


そういえば今日は朝から何も食べていなかったと横川で空腹を紛らわす。これが災いして更埴JCT前後から眠気が強烈に迫り、小布施で休止を余儀なくされた。曇り空だともうすっかり夏は終わり、秋の寒さでバイクの運転は堪える。北陸道に入る頃から雨も降り始め、全身濡れながら魚津の前泊拠点に到着。雨雲レーダーを見誤って、ブーツカバーをかけていなかったから足の濡れ方が問題だった。結局翌朝になっても靴は乾いていない。


翌日は日曜日。馬場島に至る県道は未明の闇に覚束ず、何度かバイクを停めて地図を読み返す。到着した馬場島はそれまでの心細さと裏腹に駐車する車で大混雑で、手前の駐車場は満杯、と思いきや。バイクはこういうときに強い。

試練と憧れと手ブレ

序盤はガスの中を延々と登っていく。晴れの予報は何だったのと頭にチラつくも、登りずくめで他のことに意識を傾けている余裕はそれほどない。早月尾根は標高差2,200mを一気に駆け上がるルート。一人また一人と抜かしていく。割とスピードハイカーな自信はあるものの、さすがにこういうメジャーなルートとあれば自分より早い人もたくさん居る。抜かし、今度は抜かされ、気付いたら雲の上だった。


雲の上にまず抜きん出るのは毛勝山。モルゲンロートとは言えないくらい太陽が高度を稼いでしまった後で、それでも朝を感じさせる薄淡い空の色と斜めに射す光線の具合がきれいだった。


もともとは早月小屋を使って幕営か小屋泊か、いずれにせよ1泊2日で登るのだろうと漠然と思っていた。しかし今年これまでに歩いてきた山々を考えると、ルートの距離自体は比較的短く、むしろ日帰りで軽装にすることが得策かと考え直した。早月小屋までの登りでも1,500m程度は馬場島から上げる必要があり、テント装備をデポするとしても少々避けたいところだった。


雲の上にはもう雲一つなく、尾根を越えて太陽の光が届くと眩しい。ここで日焼け止めを塗っておけば良かったものを、足を止めるのも億劫だからとタイミングを逸して、翌週の顔の日焼け具合は本当に地獄だった。(何度同じことをしてもなかなか勉強しない)


早月小屋

この辺りまでくれば背後と横方向の視界は開けて、眼前に岩の尾根が立ちはだかるだけとなる。振り返ると、沿岸部の市街地が雲の切れ間に覗いていた。湾曲する富山湾、能登半島の様子もぼんやりとわかる。時間が経つにつれ、中層部の雲は次第に密度を上げて下界の様子は全く分からなくなってしまった。

立山室堂


徐々に岩の山の様相が強くなる

高度感も増してきた

別山尾根のカニのヨコバイ、タテバイに対して、早月尾根が擁するのは通称カニのハサミ。ヨコバイタテバイが動きに由来していることは分かりやすいのに対しカニのハサミとは岩の形状に由来するものなのか、カニのハサミのように岩を指で捉えて登りなさいということなのか。

早秋の快晴、それも日曜日とあり無数の人が岩に貼り付いている。あとで撮り溜めた写真を見返して、ところどころの高度感やクライミングっぷりに驚くが、実際にはそれほど恐怖や難しさを感じることはなかった。鎖や岩に打ち付けられたボルトもどれもしっかりしており、それなりの集中と緊張を維持して登れれば門戸は広い山だろう。

早月小屋が彼方に去る。足下の岩だけが空中散歩の支柱。

別山尾根とのジャンクションまで着けば実質的にはゴールだった。一段と登山者の数が増え、ヨコバイだかタテバイだか岩稜に取り組んでいる人々が横目に入ってくる。尾根の向こうには4月の雪たっぷりの山容がまだ記憶に新しい立山の峰々、そして北アルプス南部の名峰群がいずれも雲を振り払って屹立している。


最後の一登り

極めて人口密度の高い頂上部分の居心地は良くなく、祠のようなものには結局カメラを向けられなかった。人の波が一瞬途切れた隙に、板に書かれた剱岳の文字と立山連峰を早業で撮り収める。写真を撮りましょうかという後続の誘いを丁重にお断りし、少し高度を下げた岩稜の踊り場でザックを置く。風も弱く、かえすがえす登山日和だった。早秋の高度2,999mはしかし長居したくなる温度とは言えず、食事は帰りの早月小屋で済ませることにする。

後立山連峰の面々は4月に立山別山から眺めたときとそっくりそのままの見え方、色だけが違う様で待っていた。およそ1年前、中秋の名月が出た日は、五竜岳から月と剱岳の頂上が隣同士並んで見えた。五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、あのときに歩いた峰々のことを改めて思い出す。そして冬になって、唐松岳にはリベンジをして、そのときも剱岳は美しく西側に立っていた。物凄くチャレンジングな山に来たという達成感は薄かったが、それでもずっと眺めてきた山にいま立っているのかという感慨はあった。

富士も晴れている

360度自在の展望の中、もっとも見飽きないのはやはり立山の山岳模様だった。別山尾根は簡単だとよく言うが、そこそこにアップダウンが連続しておりなかなか一筋縄には行かなさそうな気配を覚える。

雲海から直に"生えて"きているように見える毛勝山はとりわけ格好良く、無論これまでも存在は認知していたとは言えここまで魅せられるとは思わなかった。登りでちらちらと雲の合間に見えた市街地はこの頃すっかり雲に覆われ、その白の濃さが一段とこの山を荘厳に見せた。

三名山最後のピースも快晴の下

帰り道、雲に向かって下りていく。ふつうの山登りでも帰りにこそ注意が必要というのはあれど、この山、このルートに至ってはとりわけそれが当て嵌まる。が、それゆえに自然と緊張は維持されるのでうっかりミスというのは起こりにくそう。鎖やロープが岩に引っかかっていて、その引っかかりが登降中に外れてガクッと体を動かすようなことが怖い。

登りも見えていた頂上部、帰りに早月小屋から見上げるとまた違った感慨で見える。紅葉にはまだほんの僅かに早く、しかし少しずつ緑は黄色へ遷移していくところだった。

カレー麺とアップルティー

快晴の空はおよそ2,000mまで上がってきた人への報酬。この日、それより下は分厚いガスが優勢で、視界は一気に失われた。以降は、黙々と歩くことに集中する。樹林帯も変わらず傾斜はきつく、木々の根にはうっかり足をひっかけそうになる。

距離自体は短いのが早月尾根ルートで、順調に歩を進めて標高1,000m付近まで帰ってきた。ここまで来れば馬場島は目と鼻の先。別れを告げる剱岳はやはりガスに隠され、展望台と呼ばれる平らな箇所も何も見せられずにいた。

帰着

試練と憧れをパンパンに詰め込んだ早月尾根

馬場島を離れて、宇奈月温泉へ向かう。直線距離はかなり近いが一度市街地に迂回しないと辿り着けないので、IC2区間分とはいえ間に高速道路も使う。コンビニで鱒寿司と日本酒を揃え、小ぶりな温泉宿に着いた。直前で宿を取ったので選択肢は多くなかったが、浴場が小ぶりなものの感じの良い旅館だった。翌日トロッコ列車に乗っている間にバイクを引き続き停めておくことも快諾してくれた。


登り、呑む

翌日はトロッコ鉄道で欅平まで。想像に反して空いていた。

往路は窓なしの基本車両にした。帰りは背もたれと窓付きの"リラックス"車両で、こちらは別料金がかかる。

トンネルも多く、途中から肌寒くなってザックから上着を引っ張り出した

欅平周辺を散策。言わずとしれた下ノ廊下の出口。白馬、唐松の文字に少し心躍る。いつかここに到着することになるのだろうか。

人喰岩

僅かに登山道を歩いて、下ノ廊下への本当の入り口、水平歩道分岐までは到達した。ちょうどパノラマ展望台という場所があり、限られた時間の滞在で適当な目的地になる。トロッコ列車の薄寒さから一転、外は夏を思わせる日射しでほんの少しの登りが苦しい。

この日は後立山連峰はガスを纏い、やはり早月尾根を日帰りにしたのは正解だった

猿飛峡は途中までしか歩道を歩けない

遊歩道の隧道に設けられた小窓から清流が覗く

宇奈月温泉に舞い戻って、楽しかった連休もここまで。長い帰り道は、まだそれなりに時間があったので、下道で海沿いを行けるところまで行くことにする。親不知、糸魚川、直江津とオレンジ色に近付く日本海を左目に見ながら、考えていたよりも北上を続けてしまった。いっそこのまま越後七浦まで行っても悪くない、とは思いつつ、さすがに秋分間近の時分にそこまで太陽は持ちこたえてくれず、青海川の僅かに先にある薬師堂海水浴場に立ち寄った。

佐渡のシルエットがくっきり

開き直って、人を写してしまう

連休最終日の渋滞は深夜近くまで残り続けて、花園から十数キロは遅々としたツアーだった。時間を稼ごうにも、道中のSAは20時で営業を終えてしまって、こちらもタチが悪い。世直しに渋滞吸収走行に務めて、日付が変わる頃にようやく帰宅した。

岩と雪の殿堂(いまは雪は無いが)を踏み終えて、確かな達成感が残っていた。初めてこの眼で剱岳を見た日から早3年弱が経つ。当時は別山尾根でさえも別格者の歩く道と思えていたが、今やそれよりもグレードが高いとされている早月尾根も満足に歩けるようになった。今年絶対に歩こうと思っていた山では無かったが、九州の埋め合わせには十分だった。
土日で山に登ろうとすると、大抵の場合は日曜に下山で、そのまま自宅に帰ることになる。今回のように下山後に温泉宿でゆっくり一泊、ということはなかなか出来ない。山そのものの権威的な影響もあるが、行程の中身という点でも今回は普段に増して満足度が高いことだった。

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