聖岳・赤石岳・荒川岳


表紙画像: 夏、晴れた朝の稜線

南アルプスの更にその南部を歩くことを初めて考えたのは大学4年の秋頃で、その頃は「来年、社会人になったら、夏に行こう」と漠然と思っていた。(当時は知識も殆ど無かったので)あとで調べてみて、南部の想像以上の行きにくさに何となく気圧されて、結局翌年に歩いたのは北部(北岳、間ノ岳)だけだった。その翌年(去年)はコロナ隆盛で閉じた山域となり、おそらく本気で歩こうと思えば歩けたのだろうが、また精神的にも遠い場所となってしまった。夏に鳳凰三山、冬に甲斐駒とやはり北部だけで終わった。そういう事情もあって、(笠ヶ岳と同じく)今年こそはという山域だった。

今年も早くから小屋が営業しないというアナウンスが出ていて、残念に思うこともあったが、小屋建物やテント場の開放具合、水場・トイレの状況など、縦走者がそれなりにいる前提で情報が出ているのは去年に比べれば格段にありがたかった。アプローチが長く、登り始めてからも長く、日数を取られるので出来れば4連休を使いたいと思っていたら、見事にその前に梅雨が明けた。(昨年行けなかった、行かなかったのには、7月の連休時にまだ梅雨が明けていなかったことも大きい) 条件は揃っていた。予定している縦走ルートは概算で60キロあろうかというもので、考えると少しクラクラした。北海道、笠ヶ岳と、この2週ですでに同じ60キロを歩いている。この縦走が、長さ的にも歩く場所の高さ的にも今年のメインディッシュだった。

水曜夜は定時プラスα程度で仕事を終えられて、静岡へ一路バイクを飛ばす。同じ日に劇場版スタァライトの劇伴が出たので、それを流しながら走った。湾岸線周りで東名に出ようかと思い、ダメ元で渋滞情報を見ると山手トンネルは大して混んでいなかった。+1,000円で首都高が空くのなら、喜んで払う。ヘビーユーザーは皆そう言うだろう。翌朝は静岡の快活で1時間寝過ごしてしまい、慌ててオクシズへ発進した。畑薙は大量の車で溢れていたがバイクなのでこういうときに強い。沼平ゲートの一番近くのスペースに潜り込ませた。これだけの入山者がいるのかと、実際は安心よりも落胆が大きい。

2月の下見(?)以来の林道歩き。2月に来た際にサイドスタンド止めのカマボコ板を忘れてしまって、残っていないかと数台の車の下を覗き回ったが見つけられなかった。

碧々していて、埃飛ぶ乾季の寂しい畑薙とは別の場所のよう

初日は聖平まで行く計画だった。大吊橋手前に立つこの看板の所要時間案内を見ると、大吊橋から聖平まで11時間40分。この時点で時刻は8時半、なかなか不安になる。今日もザックは重たい。(3泊4日なので、当然といえば当然だが)

人によっては最初が一番苦しい

2月に下見で来たのはここまでだった

ヤレヤレ峠の先、数回簡易的な吊り橋を渡る。距離は短いが、強度の部分で大吊橋よりも恐ろしい。

無人のウソッコ沢小屋

少し登って横窪峠。ここから横窪沢小屋へ一度下りる。横窪沢小屋では数名が談笑していた。そこまでの元気は自分にはなく、少し離れた場所にザックを置いて沢の水を入れた。そのままで問題なさそうだったので、グイッと飲んだ。

横窪沢小屋から樺段、茶臼小屋までが正念場。横窪沢小屋まではいい調子で歩けたと思っていたが、その先でぐっとブレーキがかかった。2kmもない距離、コンディションが良ければ1時間もせずに歩けるのに、ザックの重さと夏の暑さがそれを阻む。終わりの見えない登り坂も苦しい。

茶臼小屋に着くと、すでに夏山の雲が湧き上がってしまっていた。朝の青空は雲に隠され、幾分か涼しくなったものの眺望が失われるのは残念だった。茶臼小屋をパスすると次の拠点は聖平までない。体はまだ大丈夫というので、歩き続けることにした。

スタンプラリー精神で茶臼岳の頂上を踏んでおく。展望は無い。

夏山の午後はとにかく雷が怖い。稜線歩きに変わって比較的快適なものの、ここまでの疲れもありペースはさほど上がらない。

こちらもスタンプラリー精神で踏む上河内岳。晴れていれば南アルプス南部が全て見渡せて素晴らしい景色なのに。上河内岳まで来ればあとは聖平まで下り通し。途中で仕事の電話が鳴り、ちょうどその頃に遠雷が聞こえ始め、ドキドキしながら突発業務を片付けた。(稜線を外れると電波が届かなくなるが、稜線に留まると万一の際に雷撃を受けるので、痺れる展開だった)
聖平は2,200m台と山域内部でも際立って低いところにあり、何でそこまで下りるのかと、誰が悪いでもないのにこういう長い山歩きでは文句のようなものが頭をよぎる。

 計画通りの時間に聖平に到着して、見るとすでに溢れんばかりのテントが張られていた。落胆しつつ、仕方がないので狭く傾斜した箇所に細々と張った。(小屋は、中を覗くまでもないと思って建物に入りさえしなかった) 後で近くを散策していて、沢を挟んだ反対側にも幕営のスペースがあるのを知って、余程張り直そうかとも思った。(流石に面倒だったので諦めた) 聖平は電波が届かない。少し歩くとdocomoの電波が入る場所があるようだ。劣悪な環境でも疲れが睡眠を助けてくれて、ぼちぼち眠れた後の未明に歩きを再開した。


2日目が一番辛いだろうとの見立てだった。小聖岳のお団子標柱はもうほとんど原型を留めていない。

つづら折れに登っていく最後の斜面で朝日が見えてくる。シルエットがくっきり見えていた富士山は、太陽光が目に入ると眩しくて少しその姿が分かりにくくなる。

最初の3,000m峰、聖岳。この山行で一番混んでいるピークだった。それもそうで、自分と同じ畑薙からも、聖沢からも、あるいは易老渡からも登って来れるので、南ア南部の中では比較的人を集めやすい。

きれいな聖の影

南には上河内岳、茶臼岳へと続く稜線

北では赤石岳と荒川東岳が背比べ

2日目朝はよく晴れた、典型的な夏山の朝だった。夏山はこの時間にどれくらい歩けるかが肝心。ひっきりなしに登山者が来る聖岳を去って、兎岳方面へ進むと途端に人の気配は減った。鞍部から兎岳へ僅か数百メートルの登り返しが凶悪で、またペースが落ちる。

ようやく登りきった兎岳頂上から、連峰の最前面甲斐駒ヶ岳までくっきりと見えた

中盛丸山への登り返しも同じく苦しく、時折吹くそよ風だけが優しい。聖岳の後に兎岳、小兎岳、中盛丸山と登り返しが3回。雲が湧き上がってきたこともあって大沢岳はもうパスし、百間洞山の家まで巻道を歩いた。

 小屋の前を冷たい沢が流れていて、水分補給にもってこい

あっという間に雲が山々を囲んで、朝の青空はどこへやら、稜線はガスが流れて視界も徐々に悪くなった。ポツポツと散発的に雨が落ち始め、これくらいならとそのまま騙し騙し歩き続ける。

十分合格点と言える時間に山頂、避難小屋に着いて、場所取りにマットと寝袋を敷いた。まだ3-4パーティが来ているのみで、奥の壁際を取ることができた。軽い体になって、山頂をタッチするも景色は皆無。遠雷が聞こえ始めて小屋に戻った。ネトフリで落としていたアニメを眺めていると強烈な雨粒が落ちるのがイヤホン越しにも聞こえてきて、思わず窓の外を見た。それまで降ってもポツポツ程度だったのが、地球の終わりのように轟音を立てて雨が降っていた。小屋の外壁に感謝した。瞬間、ピカッとした光と直後の雷鳴が震わせ、山の悪天の本気を見た。人に落ちたわけではないようだったが、やはり午後に長い時間稜線を歩くものではない。

気が付けば雨は止んで、稜線を覆っていた雲も取れていた。おそるおそる小屋の外に出ると切れ切れの雲と青空が広がっていて、遠く北西方向に見える入道雲が夏らしかった。

翌日登る荒川岳もくっきりと現れていた。先の豪雨は一体どこでやり過ごしたのか、ぱらぱらと赤石岳に向かって歩く登山者が目に入る。

嵐のあとの静けさ。連休の2日目で、自分と同じように縦走の中間拠点に選ぶ人が多いのだろう。避難小屋は続々と人が入ってきて、あれよあれよと言う間にすし詰めに状態となった。賑わしいのは大変結構だが自分向きではないので、早いうちから壁の方を向いて眠りについた。場所柄ここで日の出を見ようという人も多いのだろう。未明からガサゴソとしている人はそこまで多くなく、翌日は気を遣いながら準備した。

稜線のどこかで日の出を見られればいいと思って小赤石岳まで歩いたが、不運にも3日目は早朝からガスが流れたり留まったりを繰り返していた。日の出その瞬間と思われる頃にはちょうど厚めのガスが東側を塞ぎ、歩き続けるしかなかった。

大聖寺平への広い砂礫の斜面を下りていくと、ようやくガスの切れ間に太陽の日差しが届いた。

うっすら残るガスに朝日が拡散される

3日目は結局ガスの一日となってしまうのだが、僅かに晴れ渡った朝の稜線は4日間でも随一だった。この辺りではすれ違う登山者はほとんどいない。

沢の適当な場所で汲むのも野性的でいいが、やっぱりこういう感じで水が出ていると(本質的には何も変わらないが)何となく安心感がある

日の出の後の晴れ間は束の間、荒川三山には雲が忍び寄り、後ろを振り返ると赤石岳にも雲が纏わりつこうとしていた。

あっという間に稜線が消えた

前岳との分岐に着く。下界はガスの切れ間から見渡せたり見渡せなかったり。ザックを分岐に置いて軽身で前岳を踏みに行った。

ガスの前岳ではライチョウ親子が待っていてくれた。(南アルプスでライチョウを見たのは初)

母ライチョウ

抱雛している。雛は全部で4匹いた。(4匹全員が母ライチョウの体の下に隠れている)

大きく育ってね

中岳の先、東岳は全く別の山というように遠く離れている

鞍部まで標高を落として、下から覗き上げた東岳

ついに辿り着いた最高地点。3,141mは槍ヶ岳に次ぐ、日本でも指折りの高い場所。しばらく待ってもガスが晴れてくれることはついになく、空の青色が薄く見えたり見えなくなったりする中を独り過ごした。一番高いピークということ、ここから先はほぼ下り一辺倒ということもあり、感慨の大きい到達だった。

丸山、千枚岳と地味な登り返しが控えているものの、椹島までは根気勝負の下り道が続く。森林限界の上はどんどんガスの勢力が増していき、千枚岳の先で静かな樹林帯に入った。

椹島までの下りに何度心折れそうになったことか。地図を見ると近くを作業者用の林道が走っており、比較的平坦なのだろうと期待していた。もちろん歩きやすい箇所もあったが、ここまで3日間歩き詰めの体には景色の単調さ、時折現れる登り返し箇所がひどく堪えた。元気だったらそのまま椹島から畑薙まで歩いてもいいのでは(連休最終日の道路渋滞をパスできる)という空想は、駒鳥池付近で不可能だと悟った。

予定通り、椹島で設営した。(椹島ロッヂのみ営業という扱いになっており、幕営でも1,000円かかる) 聖平で夜露が付いたのを無理矢理片付けてきたから、ここで乾かせたのは良かった。幕営者もロッヂの浴場を使えるということで、ありがたく汗を流させてもらった。白樺荘までお風呂はないと思っていたから、嬉しい誤算だった。(浴槽の湯は異様に熱かった) 残りは林道を歩くのみ。聖平よりも広々、それに平坦で、赤石岳避難小屋のように他の登山者を気にする必要がない。ほとんど下山しきった気持ちになって、ゆっくり眠ることができた。

最終日、約17キロの林道下り。たまに自転車に追い越される。黙々と歩くしかない。朝のうちは東側の山肌が太陽を隠してくれて、日陰を歩けるのがこの暑い時期は助かる。(午後に歩くのはあまり考えたくない)

登り返しらしい登り返しもなく、ただ地味に少しずつ標高を下げていく林道歩きは休憩をとるタイミングが難しく、途中に見つけた中ノ宿吊り橋でちょうど良く足を止めることにした。畑薙大吊橋よりもメンテナンス状態が悪く、鉄板がパカパカと鳴るのでスリルがあった。カメラを構えるのに手すりを放すと揺れて結構本格的に怖い。

真っ赤な畑薙橋で大井川を跨ぐ

茶臼岳登山道の上をしきりにヘリコプターが飛んでいた。この連休は遭難事故が相次いだそうで、このヘリも捜索か何かだったのだろう。何往復もしていたがなかなか音が止むことはなかった。

長かった。ほぼ平坦な道を歩くだけだから消耗は大してないが、林道歩きをするためだけに1日取っておいたのは英断だったと思う。例えば赤石小屋や千枚小屋から畑薙まで通しで歩く、というのは(できるできないは別として)精神的には避けたほうが良さそう。

沼平ゲートが見えてきた。終わってみれば70キロに及ぶ歩行だったのに、存外に感動は少ない。前日の椹島への到着と下山した感を分け合って、それに最終日はただ林道を歩くだけという地味な1日だったこともあろうか。

柵で囲んだのは誰の仕業? 書きながら思い出した。またカマボコ板を置き忘れてしまった。もうスペアがないので買い足さないといけない。

(登山シーズンだから)少し早くから営業しているかも、と沼平のゲートのところで管理人と思しき老夫婦が話しているのが聞こえて、半袖のままバイクを走らせて白樺荘に向かう。恐る恐る中に入るともう営業していて、一番風呂にありついた。前日に椹島で入浴していたから、そこまで"待望の"という感じはしなかった。露天風呂は気持ち良かった。ゆるキャン、11巻までは読んでいるが12巻をずっと積んでしまっている。

湯上がりにアイスをかき込み、食堂で山女魚の唐揚げとカツ丼を頬張った。カップ麺とアルファ米ばかりの縦走だったから、もう無限に箸が進むかと思っていたが、程よく満腹になった。連休最終日とは言え、開いた直後のオフピークでそこそこ空いていたのは助かった。外は灼熱で、半袖のままオクシズの険道を下った。山の中の道の、木々が張り出していて日陰になっているところを走るのが夏は気持ちいい。なんて余裕ぶっていても、市街地が近付くと誤魔化しの利かない暑さになってきて、インター手前のコンビニに駆け込んだ。

渋滞が怖かったが、新東名・東名は概ねよく流れていて、大きく時間をロスすることはなかった。(中井付近で事故ほやほやの渋滞を食らったが、発生後すぐで助かった) 後から考えると+1,000円効果で中央環状線も空いていたのだろうが、町田から大黒に抜けて湾岸線を走って帰った。海沿いは風が強く、海景色を味わうほどの余裕はなかった。

かくして今年のメインディッシュは消化され、と同時に昨年の梅雨明け以降の"ニ週に一度はどこかの山に登る"という習慣が一周年を迎えた。これだけ継続して歩いていると、流石に白馬岳で両足が攣ったような無様な体力不足の露呈はなくなる。が、8月に入ってからの悪天続きに、その継続は結局一周年で途切れてしまった。早くも秋雨前線が降りてきているらしく、この先の週間予報も芳しくない。山の日を過ぎると、山シーズン的にも年間の下り坂に入ったのを実感する。この蒸し暑さだと低山に行く気は全く起きず、どうせならさっさと秋になってくれればいい。

コメント