表紙画像: 大天井岳頂上から槍ヶ岳と遠く白山が見えた
もう春かこれはまだ冬か。4月の上旬の北アルプス表銀座は早くも雪融けが進んでいた。高気圧に覆われた土日を使って、少し無理をして稜線を歩いてきた。
金夜は例によって退勤後に諏訪までナイト・ツアー。弱い冬型が残っていて中央道の甲府盆地を貫く辺りは風が強い。上信越道は冬タイヤ規制が出ていたとか。諏訪の快活で数度寝返りをうち、打って変わって翌朝は好天。登山拠点の有明山神社は桜が見頃で入り口がちょっとした花道になっていた。
宮城ゲートから山旅が始まる。特段難所のない燕岳がそれでも冬に人を遠ざけるのは、この片道12キロのアディショナル車道歩きのせい。のんびりしている暇はない、初日20キロ翌日30キロの長旅になるのだから。
人気のない車道をとにかく無言で歩く
有明山はじっとそれを見ている
トンネル、シェルターもいくつか。
路上に積雪はすでに無く、凍結箇所も早朝に少し見られたかといったくらいで、こっそりでもバイクを乗り入れさせてくれよとそんなことを考えてしまう
車道脇のつらら群が壮観
ぽきりと一つ折ってしまった
ようやく中房温泉に到着。宮城ゲートから重たいザックを背負って2時間半ほど。ここで一息つかないわけにはいかない。2週間後の道路開通に備えて温泉、山荘の関係者と思しき人々が準備をしていた。
キツツキ?
中房温泉からは言わずと知れた合戦尾根。北アルプス三大急登の一角、の割には登れると評価されがちな登山道だが、すでに12キロ歩いてきた身だからかあるいは冬場のザックの重さのせいか、しっかりと苦しめてもらった。
合戦小屋まで来てようやく視界が開ける
小屋はまだ大半が雪の中
槍の穂先が見え始めた
燕山荘が見えて一安心、しかしここからが足に来る。
数歩登っては息を整え、また数歩しか足を動かせず、その繰り返しで少しずつ標高を上げていく。
燕山荘に到着。中房温泉から4時間半、宮城ゲートから数えれば7時間。距離はすでに17.5キロに及んでいた。ふーっと息を吐く。今日はここの冬期小屋にお世話になる。
表銀座の稜線、槍ヶ岳を一望する
小屋に拠点を広げて、まずは腹ごしらえ。昨日のナイト・ツアーから朝の早起きまで睡眠時間が不足していたのか(否、明らかに不足していた)、シュラフを広げたら眠気が襲ってきて、食後は予期せぬ昼寝となってしまった。
17時過ぎでもまだまだ明るい。そういえば春分は過ぎているわけだから、もう夏至の方が近い。一眠りのあとにカメラだけ持って燕岳のピークハントに行くことにした。
🐬
考えてみれば白山よりも高い燕岳。傾き始めた太陽の光が当たって美しい頃合いだった。もちろん頂上には自分以外に誰もいない。長い北アルプスのちょうど中間くらいにあって後立山連峰も穂高方面も好きなだけ山の指差し呼称ができる。
南部の稜線。まず中央部に頭を出しているのが大天井岳、そこから左はパノラマ銀座で常念岳方面へ、右に行けば槍ヶ岳に続く表銀座。軽いアーベントロートになり始めた。
北部は左から立山連峰、針ノ木岳、蓮華岳、後立山連峰と、画面外には頸城山塊も。立山周辺は一段と白い。今年は立山にも登りたいので、どうか雪融け前に週末と晴天が重なってくれますように。
🤓
アーベントロート。水晶岳、鷲羽岳の稜線はガスに巻かれていたものの、一番目を惹く槍ヶ岳は常に雲を払っていて夕時の美しさと言ったらなかった。連峰の向こうに太陽が沈んで平地より少し早い日没。やや寒い冬期小屋に戻った。
快晴確実の土日とあってもう少し多いかと想像していたが、小屋泊は自分とご夫婦一組だけであった。ご夫婦に焼き肉をご馳走になった。とても美味だった。山飯はカップ麺かフリーズドライばかりだが、食(とお酒)に凝り始めるとまた沼が深そうな気がする。20時半頃に就寝。
夜明け1時間程前に歩き始めた。昨夕と逆の方角が色付き始める。朝焼けをバックにすると浅間山から火山ガスが出ているのがよく見えた。
西側に張り出た稜線部を歩いてたら日の出その瞬間は見逃してしまった
薄目モルゲンロート。タイミング悪く西側稜線部が続いており真っ赤というほどのモルゲンロートは見逃してしまった。富士山もすっくと南アルプスの隣に(だいぶ薄くではあるが)その姿を覗かせている。真冬ほど透き通った大気は望めないとしても、朝のうちはピリッとしていて良いものだ。
引いて大天井岳の全体像も
そして大天井岳ズーム。このてっぺんを目指す。燕山荘からの距離は片道6.5キロ、かなり近づいてきた印象は受けるものの最後の斜面の登りには不安が残る。
槍にも日が当たる
太陽が十分に高度を上げ、また雪が眩しく反射し始めた。北部の山嶺は今日も変わらず大快晴の下。山並みの右寄り箇所に燕山荘が小さく立っている。
大天井岳に近づくと槍ヶ岳は一度姿を隠す
鞍部に到着。
直登部を仰ぎ見て、その先には美しき大天井ブルー。
燕山荘からここまで、基本的には夏道通りに歩ける(一部雪庇に気を付けつつ雪上を歩いたほうが楽な箇所はある)が、ここで少し逡巡した。10メートルに満たない程度とはいえ、かなり危ないトラバースがあり、トレースも見当たらない(ヤマレコのログを見る限りでは1週間程前に登っていた人がいたようだが)。悩んだあとで、左手(画面外)にある岩場斜面を直登することにした。岩場斜面が登りやすいかというと全然そういうわけではなく、より低いと思われるリスクを取った。両手を駆使し、つづら折れになっている夏道の上部に何とか復帰した。
夏道であれば大天荘へ山肌を巻き、そこから頂上へ登り返すことになるが、冬期は滑落防止のためバリエーションの直登がそもそも推奨されている
バリエーションとは言いつつも頻度高く歩かれているようで、どこを辿るべきかは明瞭だった。ただ頂上はとにかく遠く映る。燕山荘から鞍部までの道とは斜度が比較にならず、精神的にも堪えるものがある。
ようやくの思いで、大天井岳頂上。燕山荘出発から3時間45分。絶景に疲れを飛ばしてもらいつつも、まだここから宮城ゲートまで約25キロが残っていることを思い出す。今日一日で歩くべき道の4分の1にも達していない。
先のことは考えても仕方なく、とりあえず目に映るものを楽しむまで。まずはパノラマ銀座方面。遠くは八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス。届く範囲の稜線上では、常念岳が分かりやすく、晩秋に歩いた蝶ヶ岳への稜線もよく見えた。
槍穂稜線、説明不要
白山が待っていてくれた。ここから見えたとは。まだまだしっかり"白"山で安心した。早く今年の分を登りに行かないといけない。別当出合の開通はいつになることやら。
槍の穂先をクローズアップ。後立山連峰辺りからだと本当に尖った山頂部という風な見え方をするが、近くから見れば思いの外削り取られた、居座りやすそうな頂上をしている。
これが自分の足跡。この大稜線を駆け上がってきたのかと考えるとなかなか遣り遂げたという気持ちになる。この日の大天井岳登頂は自分のみ(だと思う)。年が明けてからのカウントとして、何人目だろう? 自分でも登れるくらいに穏やかなシーズンが始まったとも言えそうだが、それを確かめに自分の足でここまで来れたということに胸を張りたい。
高度感ある表銀座の眺めをもう一度。
燕山荘を経て合戦尾根まで、これから歩くことになる道が手に取るよう。
最後にもう一度山頂標を収めて帰路につく
問題の箇所は、帰りはトラバースを渡ることにした。岩場斜面は下りには適さず、ピッケルを出してここを越える方が低リスクと判断した。結果的にアイゼンを付けた足がよく安定する雪質で、渡り切ることができた。真っ白な斜面の下、大きく口を広げた奈落はぞっとするものではあった。このトレースが誰かの役に立つことを願う。
疲労さえなければ小躍りして歩きたくなるような稜線美
岩の裂け目を縮こまりながら歩く
下りなら楽というわけでは到底無く、特に大天井岳頂上から直下の鞍部までで標高を下げすぎるせいで燕山荘への長い登り返しは足と心を大きく蝕む。そういえば、雷鳥にも会えなかった(快晴の日には会いにくい気がする)。雷鳥に会えていれば少しは慰みになっていただろうか。
ハンガーノック寸前になりつつも燕山荘まで我慢を貫き、待望の昼食。出発前に冬期小屋で食べたのも軽いものだけだったので、本当に腹が背とくっつきそうになっていた。ウインナーを茹で、茹で汁でチーズチリトマト麺。日帰りで登られてきた方とちょうど鉢合わせ、少し喋る。日帰りのお兄さんは欧風チーズカレー麺だった。
小屋にデポしていた荷物を回収し(わかんを持ってきていたが完全に不要だった)、いよいよ下るだけ。合戦尾根の5.5キロと車道の12キロ、日没までに帰ることを目標にドカドカと斜面を下りていく。(これができるので冬山の下りは好きだ)
あっさり中房温泉に帰着。否、あっさりということもない。アイゼンにアイゼンを引っ掛けて二度ズザァーと頭から転び、カメラのレンズキャップを落としてきてしまった。雪のおかげで体にダメージはない。これもまた冬山。
残すは12キロだけ。"だけ"? 無言は辛いので堀江由衣のベストアルバムをガンガンに鳴らして歩いた。日帰りのお兄さんに途中自転車でスィ〜と追い越された。南アルプスの沼平以北とか、アプローチが冬期規制中のケースとか、自転車携行で行くべき山が意外に多い。二輪に二輪を積載するのは厳しそうだが、あとで調べると事例ゼロということでもなさそう。
12キロ、ひたすら足元をじっと見て歩き続ける。残り1.5キロになったかというところで、ふと何かの気配を感じて前を見ると、カモシカがいた。小振りだった。あまりに綺麗な不意打ちエンカウントで、疲れていたのもあってかハハと笑い声が出てしまった。音楽を鳴らしっぱなしにしていて警戒されたのか、カモシカはひょいとガードレールを越えて崖下に下りていった。遮るものなく写真を撮らせてもらえて、この長い山行の最後にボーナスが待っていたようだった。
最後のカーブを曲がってゲートが見え、ふっと安心した。お疲れ様という労いがセルフで聞こえる。ゲートから中房温泉まで12キロ、合戦尾根で燕山荘まで5.5キロ、燕山荘から燕岳は1キロ、大天井岳までは6.5キロ。1泊2日ピストンで、総計50キロを歩いたことになる。靴の中で足指(太ももというよりも末端部)が泣き叫んでおり、運転に支障はなかろうかと不安になった。
何とか暗くなる前に帰ってこれたが、バイクの横で荷物整理をしている内に日が暮れてしまった。シートに跨るのに脚を上げるのも一苦労。50キロなんてバイクに乗っていてもまだまだあるなと思う距離なのに、それを重たいザックを背負ってこの足で越えてきたのかと、なかなかゾクゾクすることだった。東京までの250キロはいつもより早く感じた。
(談合坂でいかにもSA飯というようなラーメン定食を食べた)
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