丹沢


(表紙画像: 丹沢主脈稜線上から見る富士山)


2021年最初の食事は秦野のローソンで購入したからあげクンとバンホーテンのココアだった。冬の寒い道路。暗いうちに足立区を出て、未明の首都高・東名高速は思いの外空いていた。初日の出の渋滞対策で東名は由比のPAが一時的に閉鎖になるらしい。そんなお知らせ板を横目に高速を下りて、だけど自分も元旦に丹沢を歩くというのは実に俗っぽい。山歩きは戸川公園からスタートする。大した標高はないが、橋のところから綺麗に朝日が見られるのかやたらに人出が多かった。バイクは駐車場無料。原付、自転車で溢れており臨時のスペースに通された。長い距離を歩くのでここで身軽になる。


相川?


歩きやすく整備された道が塔ノ岳まで続く。山小屋で年を越したのだろう、上から人が続々と下りてくる。塔ノ岳までが長く、前につっかえる回数も多く、元旦から試練だ。塔ノ岳までで7キロ程。これでお腹いっぱいになるのも分かってしまう。ようやく後ろに海が見えるくらいに景色が開いて、富士山とあわせればもう見るべきものは全部見たような気分だ。塔ノ岳までで帰る人が多い。


俗っぽい山にあっても塔ノ岳の先に少し踏み出すと(時間帯のせいもあろうか)人はあからさまに減ってスッキリとする。塔ノ岳から丹沢山まで3キロ、丹沢山から蛭ヶ岳まで3キロ。全部踏んで帰ってくるなら戸川からの往復が25キロを超えるコースだ。距離を歩くのに時間を取られる山ではないが、即断するほど乗り気にもなれない。山塊の主峰っぽい名前を冠する丹沢山まで行って決めることにした。


2021年食事2発目はチリトマト×チーズとダージリン茶


貧乏性に負けて、蛭ヶ岳まで歩く。俗っぽいとか散々言っておいて、蛭ヶ岳のなかなか簡単には到達できない位置取りは素晴らしい。今回を逃して、果たして次いつ来る意欲が湧こうか? 西丹沢にも興味はあるが、蛭ヶ岳まで歩こうという気分になるだろうか? 各方角から歩いて、結局毎回蛭ヶ岳にタッチしないという未来も見えた。若い今に+6キロを委ねるのが正解。丹沢山から一度下って、やれやれと言いたくなる登り返し。こんなに整備された道なのに人はほとんどいない。


蛭ヶ岳


冬型が強く、南アルプスまで雪雲が押し寄せていた。富士と丹沢は何のその。でも富士は風が強そう。この寒波は年末年始の九州行きを断念させた元凶であった。



都心部の夜景が見えすぎる山というのはどうなのだろう。雲取山から見えた東京の夜景は少し遠目で、普段会社から奥多摩方面が見えていることもあり何となく良いものがあった。北岳、後立山連峰などから夜景が見えたのも悪くなかった(このスケールの山も確かに日常生活と線で結べるのだというちょっとした接続感があった)。丹沢は? そこまでは明るくなくてもいいのにというくらいギラギラしてそうだ。


塔ノ岳まで帰ってきた。この時点で歩行19キロそこら。戸川公園まで残り7キロ。



冬至から10日程度。まだ日は短い。どんどんと暗くなっていく。朝はどんなに暗いうちに出てもいいが夜は暗くなるまでに帰ってくるべきというルールを守れない。それでも意地を張ってなかなかヘッドライトを出さない癖がある。まだ見えるまだ見えるで何とか歩き通し、戸川公園に帰ったのは日没から30分ほど経った後だった。朝の賑わいはなく、数台の車が停まっているのみ。冬の夜の寒空を走って小田原へ。


新年2日目、コンパクトに伊豆ツーリング。


水鳥




もうお馴染みと言える頃? 真鶴の海岸に下りるのは三度目。


出てきた。


"二"日の出は穴場かと期待したが、結局数十人に見守られながら真鶴岬を照らした。早めに走ってシャボテン公園へと移動する。正月2日といえば箱根駅伝往路。今年は人の出は少ないといえども。


アルパカ三重奏


見返り美人?


カピバラが枝を奪い合っていた。


シャボテン要素も一応。



ゆず湯カピバラ


かわいい


下田で金目鯛バーガーを食し、南伊豆を少し触って伊豆スカイラインから戸田に降りる変則ルート。石廊崎は一昨年に行った頃からリニューアルが施され、何となくこれじゃないと思っており今回はパス。初めて行ったとき、2018年冬、強雨強風だが遊覧船岸壁から何分もかけて歩いてようやく到達するあの行きにくさが良かった。人は懐古する。石廊崎をパスした先で強風に撤退。軽いバイクは易易と転ばされてしまう。カーブの先で風をモロに受ける場所があり、ライダーたちを苦しめていた。一度倒してしまうと風に相対してバイクを起こすのは重さによってはかなり大変だ。県道を諦め、内陸を走るR136から何とか西伊豆に抜けられる。



西伊豆スカイラインは幸い凍結なし。伊豆もそのうち巡礼客で混み合うようになるだろう。この年末年始は案の定と言うべきか、仕事で色々あって最悪だった。長い休みにロクなことはない。休みは、「せっかく休みのはずなのに何で」という思いになるか、あるいは単に面倒事を後回しにするだけであって、後回しにされた頃にはされた頃で別の面倒事も大抵出てきているので、もっと辛いことになるだけな気がしている。酷い会社、業界だと思うが、世の中的にはマシな方なのだろう。年末、九州行きを諦めて水晶浜に行って、そこで仕事を少し片付けた(ラップトップを持参していた)のは象徴的だった。学生の頃の良かった思い出の表紙を飾るような水晶浜、そこで仕事。あまり思い出を汚さないように、再訪も程々にしたほうがいいのかもしれない。

コメント