本当なら今頃は九州にいるはずだった。12/29大阪南港発のフェリーは12/29当日に滋賀県大津市まで行ってキャンセルした。ぎりぎりまで迷ったが積雪が予想以上になりそうで、1/3朝に京阪神に戻ってきた後の東京への帰路もマヒしているんじゃないかという懸念があった。大津市まで来るのも簡単ではなく、往復で17,500円くらいの高速代はかかったし、短い休暇を浪費するロスも痛かった。寒気が憎い。地元の人にとっては逆だろうが、キャンセルが正解だったくらいには平地にも雪が降っているようで救われた気になる。
三が日は特にすることがなくなってしまった。相変わらず太平洋側は好天が続くみたいだから、俗っぽいが元旦に丹沢に登って翌日ゆっくり伊豆半島を走ろうかと考えている。
今年は約44の山に登った。刻んでおきながら約と言っているのは縦走中に通る小ピーク(得てして名前はついている)はカウントしていないから、というだけのこと。
年始は榛名山・赤城山(地蔵岳)の2ピークを踏んだ。温泉とあわせての紀行。特段の冬山装備を持たずにいける限界だったろうか(地蔵岳の帰りは半強制的にシリセードをさせられたが)。靴も履き古したものだった気がする。大沼一周で転倒したのも良き思い出か。そういえば今年はカメラを新調した。α6000はとても良いカメラで、壊れたとか不満があったとかそういう理由ではなく、厳冬期の使用を見据えて新しいものを入手したというようなものだ。朝の地蔵岳は氷点下10度ほどだったろうか。どこのメーカーのカメラでもこの程度までは動くものが多いだろうが、α6000も然りであった。たぶん氷点下15度くらいからは厳しい。
2月下旬まで仕事で忙しくしており、山からは遠ざかっていた。下旬に好天を見つけて金峰山と北横岳を歩いた。金峰山は冬に森林限界を越えやすい山だろう。瑞牆山とセットで登るつもりだったのが、結局別個で歩くことになってしまった。北横岳を歩いた日は絶好の冬山日和。今考えるとあの晴天にはもったいない使い道だったかもしれない。雨池峠などをまわるなどして満喫には努めた。
3月は那須岳と磐梯山。那須はロープウェイが動く直前の、ぎりぎり入山者が少ない時期、かつ風の収まった3月上旬、かつ隙間に訪れた晴天、と色々な条件がはまった回であった。茶臼岳だけでなく、朝日岳・三本槍岳をちゃんと踏破したのは自分ながらなかなか偉かった。磐梯山もまた、短い晴天を掴まえた回であり、振り返ると薄氷を踏む登山だったと思う。昼過ぎから山頂は曇りはじめ、あと少しで帰り道をロストしかねなかった。営業を終えた猪苗代のスキー場が朝はまだ多くの雪を残しているように見えたのに、帰りにはほとんど全て溶かしてしまっていて夏の斜面が露わになっていたのが印象深い。
4月、宣言発布に伴い一座のみ。それもピークにたどり着けず。上旬、予報をそれほど吟味せずに上越国境に向かった。白毛門、笠ヶ岳を経てあわよくば朝日岳に到達しようという目論見だったが、上空の吹雪で視界はホワイトアウト、白毛門頂上手前の斜面で道を誤り、ピッケルにしがみついて悩む数分、など実に苦い回であった。一つのピークも踏めずに来た道を引き返すほかなかった。馬蹄縦走は21年秋か22年秋にでもしようと思う。以降は宣言発布に伴い外出せず。こういうところは小心者だなと思う。春らしいものは通勤路に咲く桜しか見ていない。
5月下旬、宣言の終了とともに残り僅かな残雪期登山。浅草岳と月山に登った。梅雨入り前の快晴に恵まれた。姥ヶ沢から歩き通す月山はガイド本などでよく見る「初心者向け」を大噓と呼びたくなるようなものであった。山頂はずっとよく見えているものの、遠い。ルートもトレースがはっきりしない。急傾斜のトラバースが続くのでよく滑落しかける。頂上直前の直登は5歩歩くたびに息が上がる。頂上から見えた鳥海山(残雪部が浮かんでいるみたいだった)、朝日連峰(こちらも残雪たっぷり)は良かった。山は初夏と秋が一番だろう。
8月に登った山は多い。頭の梅雨明けは白馬岳、小蓮華山、雪倉岳をセットにし、続く週で鳳凰三山、その次に乗鞍岳、御嶽山、1週飛ばして最終週に薬師岳、水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳。晴天が多かったというわけではなく、鳳凰山と乗鞍岳は悲惨であった。鳳凰山はロングナイトハイクという点で画期的だったが。最終週の北アルプス周回縦走は大きく天候が崩れなかったのが幸いで、細かく振り返ると雨風に打たれる時間も短くはなかった。重たいザックを背中に、4日間ある程度の距離をそれなりのスピードで歩けるものだというのは多少自信になったのかもしれない。
10月もまた、最初から最後まで山ばかりの月。去年の10月は台風や荒天で外出が少なかったが、今年は来る週末毎回晴天に恵まれ、西へ東へ忙しいことこの上なかった。頭は唐松岳から五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳へと至る後立山連峰縦走。五竜岳の頂上で見た月は中秋の名月だった。次の週は焼岳。あの雲海は忘れ難い。その次は朝日連峰(これまた弾丸である)、紅葉に良いタイミングだった。次いで瑞牆山と八ヶ岳、瑞牆山は人が多く閉口したが、まあ仕方ない。八ヶ岳は冬型の翌日でうっすら雪を被っていた。山屋が秋晴れを愛でるのが何となくわかった。特に今年の八ヶ岳のような、晩秋がいい。白山も上部だけ一足早く初冬に入った頃に歩いてみたいものである。
11月も濃い月だった。無理をした回が多かった。10月の末から11月頭にかけては中央アルプスの縦走。当初2泊で計画していたのを1泊に短縮し、なおかつ距離は増えるように組んだ(拠点を南寄りの摺鉢窪避難小屋とした)ものだから当然ではある。摺鉢窪から木曽駒ヶ岳まで歩く2日目は今年指折りの吐血度合いだった。中旬の常念岳、蝶ヶ岳日帰り縦走も楽々とは言い難く、その翌日の火打山往復も苦しい山行だった。日没後に下山完遂となるのはやはり良いものではない。ただ天気はどれも素晴らしく、冬型の本格化前、緩みがちな時分は日本海側も狙い目になりうるというのは発見だった(新雪気味なのでラッセルは苦しいが)。下旬には白根山を登ろうとするも、路面凍結に撤退を強いられた。代替で登った赤城山(黒檜山)は霧氷が良く発達しており、これはこれで良しだった。
12月、冬が本格化すると行き先が絞られる。雪の少ない奥秩父で未踏だった両神山、先月断念したばかりの日光白根山(湯元側からならラストチャンスがある)、そしてアルパインへの入り口を覗く甲斐駒ヶ岳の3山に登った。両神山は好天とも荒天とも言えない中途半端な天気だった。下山した駐車場でカモシカに出会ったのは思い出。白根山は寒く、展望もなく、2週前には快晴だったのにと悔しい思いをした。甲斐駒はおそらく氷点下15度には到達していただろう。冬型で風も強く、Pixel3は完全に壊れたかと思った(放電だけであった)。Pixel5は優秀で、どこ吹く風であった。それで、甲斐駒からフルサイズのカメラに切り替えた。レンズとあわせて1キロ超と重たいのは大きなデメリットだが、コンディションを問わない堅牢性は心強いものである。本当ならばここに久住山と阿蘇山、祖母山あたりが追記されていたはずだったのだが。二輪車での移動を前提としている以上、道路上の降雪に滅法弱いのは致し方ない。
例によって、来年はこんな面々かな?と思案している。今回九州行きを断念した余波で、4連休があれば弾丸で九州行きを敢行できなくもないと察してしまったが、実に良くない気付きである。しれっと秋に久住、阿蘇を追加した。とはいえ、そもそも連休を作れる前提で計画は組むべきでないというのはある(仕事の愚痴っぽくなってしまうが)。のんびりしながら気が向いたときに山を歩く、作家か何かみたいな休日を過ごしてみたいが現職では不可能だろう。今年は夏休みを後から年次休暇に変換させ(法要件クリアのため)、実質的な夏休みは10/2の一日のみという実績だ。
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