磐梯山

コロナ的見地から槍玉に挙げられがちな春分の連休、私は山へ行ってきていた。

山やツーリングと言っても人と喋るわけではなし(すれ違う登山者との挨拶やコンビニの店員との1~2秒の会話はするけど)、その限りでは週末もがちがちに閉じこもっている必要はないと判断している(あくまで普段の通勤・出勤をなあなあで続けさせられている内は、の話)。
それに、逆にここから終息って何、全員に行き渡ることくらいしか終わりがないんじゃないかという気もする。

映画館が強制的に一席飛ばしで選ばせるようにしてくるのはとてもありがたい(パーソナルスペースが広いので)。ぜひ収束後も継続してほしい。
不規則在宅勤務の混乱で年度末の休みが半ば消滅し、楽しみにしていた春の能登・荒島岳に行けないのは辛かった。仮に休めたとして天気も悪かったようだが。

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うらみつらみを書き連ねても仕方ないので、本題の磐梯山。もともとは磐梯山のついでに御神楽岳か守門岳も一緒に登ってこよう、帰りは新潟側から関越道を降りる周回コースにしようと思っていた(雪国を走りたい)。
連休が近づくにつれあれよあれよと予報は悪化し、太平洋側は冬型気圧配置で安定も、豪雪地帯は避けたほうが良さそうだった。仕方なく磐梯山だけにした。

日帰りも気合次第では不可ではないかもしれないが、会津若松には快活クラブがあるので大人しく前泊する。金曜日、浦和インター付近の事故を避けるのに加須まで下道で走った。白河までの高速料金が少し安い。会津若松への294号線、黒森峠付近で雪が振り始めたときは内心焦った。磐越道は吹雪で冬タイヤ規制が出ていたらしい。


土曜朝、5時過ぎに外に出ると磐梯山は雲の中だった。一昨年の夏にも磐梯山を登ろうとして、曇り空に断念したことがあった。ここまで来て再撤退するのも辛く、ただ勇気と蛮勇は違うみたいなヤマノススメの台詞も思い出し、しばし会津若松で逡巡した。西側はよく晴れており、雲も流れている。少し待てば状況は変わるのでは思えた。

田園の中を征くアテなく走る。しばらくすると日が昇ってきた。北西の飯豊山は晴れている。気象の回復は明らかで、磐梯山が晴れるのも時間の問題と思えた。田畑の中をうろつくこと2時間、猪苗代方面へ進む。



麓のコンビニで行動飲食を調達する。いかにもスノーボード(スキーではない)をしますといった風体の若者が多く、そういえば猪苗代の登山口はスキー場だったと不穏な予感がする。そろそろと道を上がると、どうやら今シーズンの営業は終わっているようだった。道に降雪や凍結はない。ゲレンデ越しに、磐梯山が完全に雲を払って立っているのが見えた。

今回は猪苗代の登山口からのピストンルート。個人的にルートの長さや難度に拘りはなく、一点、バイクで麓に来られさえすればそれでいいので、もし叶うなら八方台から登ってしまいたかった。まだ営業できそうな雪の残るゲレンデに、トレースは2人分か3人分か残っており、これ幸いと辿っていく。だだっ広い雪原に自分一人しかいないのでとても気分がいい。時折人間のものではなさそうな足跡が残っている。踏み抜きの浅さからしてシカだろう。




ゲレンデの遡上に意外に苦心する。前日の降雪は思ったよりしっかりしたものだったようだ。打って変わって快晴となったこの日、この気温の下で融雪・雪崩が起きたらと考えると結構怖い。踏み跡から雪面に亀裂が入っている箇所も多く、引き続きドキドキしながらただ足を動かす。

一合目の先で先行者を全て追い抜き(2パーティ、4人だった)、ラッセル担当を引き継いだ。自分の遭難が後続の遭難に繋がりかねない状況に緊張する。この山のことなので前日も前々日も入山者はいただろうが、それにしてもそのトレースがほとんど無くなっているのは困り物だった。赤埴山を巻くトラバースは結構な傾斜だ。赤埴山を過ぎると広い雪原に出る。いよいよ磐梯山の荘厳な全容が見えてきて、高まる。


雪原でもしばらくは赤テープを目印にふらふらとルートを拓いていたが、ついに道を見失ってしまった。とにかく上に行けばいいんでしょう?と手近な稜線もどきを登ろうとしたり、トレースを見つけたと思って駆け寄るとシカの足跡だったり、無駄な体力を消費して時間が経った(後続はさぞ混乱したことだろう。結局片方のパーティは帰りにすれ違わなかったので断念したと思われる)。


冬期にどれだけ役に立つのか分からない山と高原地図を広げ、まずは櫛ヶ峰とのジャンクションを目指すことにした。雪原から磐梯山がよく見えるので直進するのが正と思えそうなところ、一旦東にルートを巻いて、緩やかな稜線から山頂に入るのが正しい。複数ある池塘が目印になりそうだが、雪に埋まっていてそう上手くいかない。とはいえ、何となくそれと判るので外形を参考に現在地を探る。

櫛ヶ峰の斜面入口で裏磐梯からの登山路と合流する。そして、幸いに先行する登山者の姿が見えた。窮地を脱し安堵する。安堵するも、ラスト数十メートルの道がなく、明らかにルート外のところを踏む。そういえば国立公園内だった、と思い出しドキドキする。許してほしい。


稜線に立つと、絶景だった。表に比べ雪の残る裏磐梯、近くの吾妻山。桧原湖の怖いくらいの青色。飯豊山の雪深さには格の違いを感じる。霞のかかった空の奥に、薄く朝日連峰のそれと思わしきこちらもまた深い白色が見える。何より進行方向の磐梯山の出で立ちが美しく、気高い。これが雪山か。



ここまで来ればもう迷う心配もなく、ただひたすらに歩くのが楽しい。朝5時に撤退を躊躇った自分の判断に感謝する。
しばらくして雪に埋もれた弘法清水小屋に着いた。続々と先行者たちが降りてくる。山頂までもう一登り、休まずそのまま登り通した。山頂は、強風が吹き付けていた。



独立峰の頂上らしく、一面の景色のてっぺんにいる感覚が強い。標高1,816mは、山としては相対的に小柄な部類に入るのかもしれないが、下からも上からも登っている間も、そういった感慨は持ち得ない。途中からすっかり見えなくなっていた猪苗代湖のその全景、さらにその向こうの那須連山(薄くしか見えないのは春霞のせい)。裏磐梯、飯豊山、吾妻山、安達太良山。見えるべきものが全て見える。至福の時間であった。

如何せん山頂は風が強いので、軽食などを取って過ごすのは難しい。一面に広がった海老の尻尾は風の強さの証である。心行くまで景色を見、満足して弘法清水小屋まで下りた。ここで軽食を取った。猪苗代登山口からの後続登山者と再会して、何となく安心する。

帰りの雪原でも結局道は失い、往路の自分のトレースさえも見失い、半分やけになって深雪をかき分けながらのろのろ進んだ。赤埴山の手前に着く頃から雲行きが怪しくなり、青空がどんどん失われ始めた。赤埴山を登って帰るのも億劫で、急勾配のトラバースをびくびくしながら歩く。

登りはスキー場の西側コースを辿ってきたが、下りは中央ゲレンデのど真ん中を闊歩して帰ることにした。猪苗代湖がどんどん近づいてくる。スキーで滑るのもいいだろうが、今はこの広大な敷地を一人歩いているそのアンバランスさが楽しい。

15時半少し手前に駐車場に着いた。今日も7時間半に及ぶ山行。振り返るとすっかり上空は雲に覆われていた。断念しなくて良かったと思うと同時に、一時的な好天に恵まれただけという危うさも覚えた。
晴天の雪原ではまだ心に余裕がある。迷ってもどうにかなると頭の片隅で思っていた。一度ガスに覆われてしまえばどうしようもないだろう。ルートファインディングと軽ラッセルはほとんど初めての体験だった。

ふと、スキー場の風景に違和感を覚えた。妙に記憶の風景と違う。カメラの記録を遡ると、朝に撮ったスキー場の写真が出てきてびっくりした。この数時間でこんなに溶けるものか。

登山前(08:00)

下山後(15:30)

一応翌日の天気をチェックするも決して好天とは言えず、そのまま家に帰ることにする。前日は降雪に驚かされた黒森峠から白河へ抜けていく。東北道上りは渋滞しているようで、みすみすそれに捕まりに行くのも変だなと思い、思い切って下道で帰ることにした。
 
国道294号は三桁の割に長距離をカバーしており、その標識に従うだけで会津若松から柏まで連れて行ってくれる。栃木、茨城の内陸部はやけに飛ばす車が多く、思っていたより穏やかな気持ちでは走れない。運転中もたまに空を見る。星がよく見える日だった。谷和原で常磐道に入り、たいへんお手頃な金額で東京に帰着。磐梯山しか登れなかったが、天候やタイミングを考慮するとこれほど運に恵まれたと言えることもない。消化不良の感は無かった。



磐梯山

天候 曇り→晴れ→曇り
ルート 猪苗代登山口→磐梯山→猪苗代登山口
タイム 登り下りともに3時間半。
積雪 あり。
装備 アイゼンほか。

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今月下旬からメジャー道路の冬期閉鎖が解かれ始めるが、1日先が闇のこのご時世、どうなってしまうのか。GWだってどうなるか分からない。見たかった映画が尽く公開延期となってしまうのも辛い。Amazon Prime内のdアニメチャンネルを登録してしまった。冬アニメは数本完走した。



榛名山(掃部ヶ岳)☑
赤城山(地蔵岳)☑
金峰山☑
北横岳(北八ヶ岳)☑
赤城山(黒檜山)✗
那須岳☑
磐梯山☑
荒島岳✗
朝日岳
白砂山
火打山・妙高山
岩手山・秋田駒ヶ岳
守門岳・浅草岳
鳳凰山
平ヶ岳
空木岳・木曽駒ヶ岳
聖岳・赤石岳・荒川岳
白山・薬師岳
飯豊山
小蓮華岳・白馬岳
甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳
谷川岳・万太郎山
瑞牆山・金峰山(?)
塩見岳
丹沢
両神山


また少し手を加えた。

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