白山(2024年GW・上)

年に一度の白山。7年連続、8回目。私が白山を歩いた歴史は、そのまま私の山登りの歴史になる。学生最後の年、四条烏丸の大垣書店で文庫版の「日本百名山」を買い、階下にあったバーガーショップで表紙を開いた。一気に読み通したわけではないが、数編読んだうちでは白山と富士山の章はとりわけ忘れがたいものとして記憶に刻まれた。白山という名前の単純さに惹かれ、格好良いと思った。そして京都駅前の好日山荘で懐かしきキャラバンの靴を買い、そこから今に至るまでの地続きの山登りの日々。歴史。

ここ数年はやや変化球のような歩き方が続いた。チブリ尾根からの別山白山縦走('21)、鳩ヶ湯in一里野outの南北縦走('22)、中宮in石徹白outの北南縦走('23)。ここらで原点に戻って、砂防新道の往復というのも悪くない。

原点、つまり6年前と異なることがあるとすれば、別当出合にまではバイクで入れないこと。同じ条件下で3年前は往路にチブリ尾根を登り、帰りは白山禅定道を選んだが、今年は舗装路を歩き通すことにした。別山からの稜線を歩くより、とにかく今までで一番白い景色を御前峰から見ることに重きをおいた。

4/27(土)、未明に相模原を出発する。具体的にはAM2時半。草木も眠る丑三つ時の頃合い、連休前編の初日といえど中央道はまだまだ空いており、5時過ぎには恵那峡SAまで届く。恵那峡SA、越前大野で給油と休憩を行い、ほぼ9時ちょうどには市ノ瀬に到着した。6時間半、ぶっ続けで走れば流石に疲労はするもの。すでに一日の大半の仕事を終えた気分になる。

コンパスから登山届を出し、別当出合まで約6キロの舗装路歩きとなる。市ノ瀬に停まっていた車の数からも、少なくない数の登山者が入っていることが推測された。市ノ瀬から別当出合までの開通の予定は案内されていなかったが、すでに沿線に雪の気配は微塵もない。舗装路を徒歩で処理するのは案外に少数派なのか、別当出合に到着すると大量の自転車が寄りかけられているのを見つけた。


土曜は朝に相模原を出るものだから、市ノ瀬への到着の時間次第では甚之助避難小屋までで終わることも視野に入れていた。歩いてみると、正午には甚之助に到達してしまい、どうしたものかと考える。なんとなく、追い越した人の数からするとそこそこ多くの登山者が甚之助で夜を明かすのではと推測され、勢いそのままに室堂まで歩き通すことにした。

黒ボコ岩まで直登するのが王道ながら、たまたま私がなぞったトレースはエコーライン方面に伸びており、ええいままよとエコーラインを踏んでいく。弥陀ヶ原までの登りの取り付きはやや斜度が急で、ジグザグにトレースを刻んでいった。序盤になぞっていたトレースは早いうちに消え(おそらく黒ボコ岩までの直登に復帰したのだろう)、ルートファインディングを交えながらの開拓作業は楽ではない。ガスが周囲を巻く。別山への稜線や南竜の建物群が時折思い出したように視界に入る。


弥陀ヶ原を適当に突っ切って歩いていると、「王道」のトレースにぶつかった。あとはそれを踏みなぞっていけば、まだ半分埋まりかけの室堂に到着する。5/1(水)、つまりこの4日後には春山の営業を始めるとあって、スタッフが小屋明けの準備に追われていた。過去通り2階の入口から冬期小屋に潜り込もうとして、1階入口を開けてあるのでそちらから入ってください、と声をかけられた。冬期小屋がこんなに明るく、窮屈しない場所だったのかと驚きつつ、1階の隅に荷物を置いた。小屋入りは一番乗りだったが、最終的に十数名が夜を明かすために集まった。


土曜の午後はどうも曇りがちな天気だったから、小屋に陣地を広げたあとは、持ち込んだ文庫本を眺めたり、シュラフにくるまってうたた寝をしながら時間を潰した。文庫本は、三浦しをんのエッセイを持ってきていた。冬期トイレは開放されており、水場も開けていただいていたので、環境に困ることは無かった。早い夕食を腹におさめた後、外を見ると天候は回復していた。日没までさほど時間はなかったが、なんとか間に合うだろう、せっかくだし、と思って、アイゼンを付けて御前峰に向かった。


オレンジ色が日本海を揺らめくのを目とカメラに焼き付け、少し強い風が当たる頂上を行ったり来たりする。アジア系の外国人の少人数パーティも同じ狙いで、私の少し後に頂上に到着した。私のものも含めて、カチャカチャとアイゼンの爪が岩を鳴らす音が、頂上の一帯をわずかに騒がせる。私が見た中では、今までで一番白い白山であることに疑いはなかった。少雪と言われようとも、眼下の室堂がこれほど白色に埋没していたことはない。奥宮祈祷殿の鳥居の上部に手で触れた試しは、私の登山の歴史にはなかった。日没の数分後に小屋に帰り着いて、眠りの浅い夜を明かした。

4/28(日)、お日の出は御前峰で見る。考えてみれば、ここでお日の出を上手く見られた経験は案外に乏しい、というより皆無とすら言えた。この日は月が大きく、明るい。新月で、恐ろしいほどの星空を見上げたのは、2020年のことだっただろうか。南竜で幕営したとき。あれ以来、あれ以上の星空を見られるはずがないという諦観が、山の上で真っ暗な空を見上げようとする意思をやや削いでいるという気もする。


それよりも、お日の出。初めて、今年は、見ることができた。遠く、北アルプスの山々の影からぽつりとオレンジ色の光の欠片が覗いて、徐々に円形を見せていく。御前峰から見える大汝峰、剣ヶ峰の両ピークは、モルゲンロートという程に鮮やかには染まらない。にぶく、ゆるやかに明るさを増していく。ブルーアワーだった空は、いつの間にか澄んだ朝の空に切り替わっている。



御前峰から千蛇ヶ池に下るコースは、急な雪壁の下りから始まるようだった。バックステップでならば下りられなくはなさそうだったが、早朝の固い雪質で試すのは躊躇われ、お池巡りコースは断念した。一度、御前峰寄り、室堂平の手前付近まで標高を落とし、下から巻く形で大汝峰に向かった。剣ヶ峰と御前峰のお決まりの構図にカメラを向ける。白銀と青空が眩しい。別山までまとめたパノラマの写真を撮りたいが、横に長いものだから、もっと広角のレンズでなければ上手くいかない。


帰路は弥陀ヶ原からトレース通りに黒ボコ岩を経由して、甚之助まで真っ直ぐに下る。それなりの斜度が続くが、前向きのまま下りても恐怖感はない。緩み始めた雪質の中、登りのステップを崩さないようにさらの道筋を見つけてはざくざくと足を振り下ろしていく。快晴の日曜とあり、多くの登山者、BCスキーヤーが上がってくる。8時過ぎには甚之助避難小屋を交わして、アイゼンを付けたまま中飯場の少し手前まで一息に歩いた。吊り橋を渡って、別当出合に辿り着く。考えてみれば、下りで砂防新道を歩くのは、まだこれが僅か2回目だった。私の白山の歴史は、私の登山の歴史であり、それはつまり浅い歴史である。

長い林道、舗装路の歩行は残雪期の風物詩であり、私は毎年そこで堀江由衣の音楽を鳴らしながら歩くことにしている。なぜなら、なんとなく、春っぽいから。対向の登山者とすれ違うときは律儀に音量を下げる。約6キロはあっという間で、市ノ瀬で片付けを済ませた後は白峰温泉の総湯へバイクを直行させた。内湯、露天のみならず小さいながらサウナも付いていて、満足した。入浴後、体重は57キロ台が維持されていることを確認する。

総湯の受付で隣の商店のソフトクリームの割引券を貰えたので、湯上がりに頬張った。4月のはずが、夏さながらの陽気である。名前の通りに白山が白い期間も、そう長くはないだろう。白峰から、半袖のままバイクに跨った。手取湖沿いのトンネルの中は空気がひやりとして肌が粟立つが、それを過ぎればまた陽光に汗ばむ。湯涌温泉、千里浜といつもの目的地を経て、夕方、小矢部から北陸道に入った。小矢部川SAと松代PAで給油休憩を入れると、ちょうど相模原に届く。これは3年前と同じ、CRFでもBOLTでも変わらない配分。運転中、なんとなく大塚愛を歌いたくなって、走りながら口ずさんだ。


白山カレンダーをまたひとつ。今年は4月の白山を踏んだから、これで4~11月の8か月をクリアしたことになる。残りは1、2、3、12月の4回。そして、ここからが難しい。市ノ瀬にすら入れない、県道の冬期閉鎖期間に確実に被ってしまうから。北から入るか南から入るか、セオリー通りに長い県道歩きをするか。そうだとして、そもそも白峰までどう入るか。考えるのは、まだ当分先。

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