紀泉アルプス


先輩は山が好きらしい。山ガールって言うんでしたっけ?そう聞いたら、「そんなに甘いものじゃないから」と叱られてしまった。けど、そうは言っても泥まみれ汗まみれな先輩は想像しにくい。日本の高い山は大体全部登ったって豪語していて、よくある「日本で一番高い山は富士山ですが、では二番目に高い山は?」的な質問にあっさりと「北岳」という名前を返して、場を白けさせたこともあるらしい。「あのですね、その質問は『一番のことはみんなが覚えている、だから一番を目指そう』ということを言おうとしているんですよ」そう言ったら、「私は三十番までちゃんと覚えてる」と返ってきた。

山ねぇ。俺はどっちかというと海のほうが好きだけど。それでも毎週のように山に行ってると聞くと、なにがそんなに面白いのかと少し興味が湧いてくる。もともと運動は嫌いじゃない。というかむしろ好きな方だ。社会人になったら体を動かす機会がめっきり減ってしまって、最近は無意味に朝のランニングを続けているだけだけど。近所の公園をぐるぐると走って、数十分で家に戻ってくる、まあそんな程度のものだ。でも、そういうのに疎い自分だったのに、走りながら目に入ってくるちょっとした景色、たとえば春の桜、梅雨の紫陽花、秋の紅葉はさすがにきれいだなと感じることもあって、気付かないうちに走るペースが上がっていたりする。先輩の山好きの気持ちと、こういうところは少しでも通じているのだろうか。

それでも、じゃあ山を歩こうと思い立ったのは割と唐突で、単なる思い付き以外の何物でもなかった。だけど考えれば考えるほど悪くないアイデアに思えた。よし、今週末、山に行ってみよう。うんと長い距離を歩いて、先輩に自慢してやろう。有名な山だと、「あぁ、あの山ね?」ってつまらなそうに返されるだけかもしれないから、できる限りマイナーな山にしよう。先輩はどんな顔をするだろう?驚くだろうか、ひょっとしたら悔しそうにするだろうか。家の奥から地図を引っ張り出してきた。ハイキング用だか何だかでずっと置かれていた地図で、金剛山地がメインに描かれている。金剛山かぁ。このあたりでは一番知名度の高い山で、小さい頃から遠足でも登る。もう少し玄人っぽさのあるとこはないのか?そう思って地図を眺めていたら、「紀泉アルプス」という名前を見つけた。大阪府と和歌山県の境界線に重なるように続く和泉山脈のルートの愛称。かなり長い。でもアルプスだってさ。悪くないじゃん。


朝、鳳を出る阪和線の始発列車に乗る。眠くて眠くて仕方がない。スタミナなら絶対大丈夫って自信があったのに、こんなことで本当に大丈夫だろうか。急に不安になってきた。まあ歩き始めたら何とかなるか、とあまり考えないようにする。生あくびを噛み殺しながら、早くも朝日射す眩しい車窓を眺めていたら、いつの間にかうとうとしてしまっていた。目的の駅を逃すところだった。山中渓駅。ウィキペディアによると、府内のJRの路線では最南の駅で、かつもっとも乗降客数が少ないらしい。よく分かんないけど、スタート地点には相応しいと言えるんじゃない?この駅からひたすらに西を目指す。すると、いずれ、瀬戸内海にたどり着く。海までの距離は、地図で目算して30キロくらいだろうか。山の果てにたどり着く海、なんて、凄くいいじゃん。線路と阪和道の高架をくぐって間もなく、縦走路が始まる。


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私が山ガール。そんなにきらきら、さらさらして、ともすれば瑞々しいような、そんなもんじゃない。汗にまみれて、藪でキズを作って、靴をドロドロにして。とてもそんな姿で人混みに紛れられない。平日の自分が見たら、汚いから近寄らないでと言いたくなるような対象。週末は敢えてそれになりにいっているようなものなのだから不思議だ。山は人に遭わないで済む。静かに黙々と足を動かして…そうしているうちに時間が経っている。もちろん高いところから見る美しい景色も良いけど、自分はどちらかというとこの「足を動かす」「低いところから高いところに昇る」「高いところから低いところへ降りる」といった原始的な要素に惹かれているような気がする。

私に向かって山ガールと言った会社の後輩が、この前はずいぶん疲れた表情だった。曰く、週末に紀泉アルプスを歩こうとしたら体力不足で途中で断念したと。ほう、紀泉アルプスか、そう思ったのは隠しながら事情を探ると、山中渓駅から海岸線までの縦走と。距離も然ることながら、累積標高差もなかなかのはずだろう。彼は普段から山歩きをしているような人ではなかったはずだから、そこに思い至らなかったようだ。しかし、山の中を称する駅から歩き始めて、最後に海に到達するというのは、なかなかどうして詩的で面白い試みかもしれない。週末の行き先が決まった。



明け方から歩き始めると、自然とそのルートのその日の最初の歩行者になる。道脇の植物の朝露の大半を受け止めるのは私の役目だし、ルートを塞ぐ蜘蛛の巣を払い取るのもまた私の役目。水濡れはそのうち乾くからいいとして、蜘蛛の巣はなかなか手強い。どうしようもなく無理、という程ではないけれど、手首や顔にふわふわと糸が絡みつくような感覚が、ある一点を過ぎると物凄く鬱陶しい。人目のないことをいいことに、帽子をぶんぶん振り回しながら歩く。道がきれいに整備されているのは救いだった。さすがに郷土アルプスなだけはある。

雲山峰の手前でトレイルランナーに追い抜かれた。朝露と蜘蛛の巣の係はここで交代。トレイルランナーは半袖短パンで肌の露出が多く、何となくこちらが身震いする。途中、重低音の羽音を響かせるスズメバチを2回見かけたけれど。怖くはないのだろうか。ふと登山道を振り返ると、樹林に朝日が射してそこら中に天使の梯子が下りてきていた。開けた山も、そうでない山も、とかく朝のうちに限る。


アップダウンを繰り返す縦走路といえど、普段よく歩いている山と比べればかわいいもので、ルートの最高峰たる雲山峰を序盤に越えてしまうこともあってか、我ながら足取りは軽やかだ。軽荷にして私もトレイルランをしたら良かっただろうか。でも私はトレイルランナーはあまり好きじゃない…というかトレイルランナーだと見られたくない。ドタドタと下りてくる彼らが登りの登山者を優先する風景をほとんど見ない。「朝露と蜘蛛の巣の係」はありがとう。でもその半袖短パンは山では忌むべき「嫌なヤツ」の象徴なんだ、私にとっては。

このルートは途中で町に一旦下りる。町と言っても南海の線路と孝子駅という駅があるだけで、府内でなければ集落という呼び名のほうが似合いそうなところだけれど。後輩氏はこの駅でリタイアしたそうだが、よくもまあそれで運動がどうとか体力がどうとか言えたものだと思う。軟弱モノめ、そう呟きつつ、でもこのルートに目を留めたその一点が見方を変えたのは事実だと感じる。山に行くから海が好きでないわけではない。山の高さは海面から数えるのだから、そもそもが切っても切り離せない関係なのだ。景色が良いとも悪いとも言い難い道が、延々と…本当に延々と続く、そこにこそ意味を見出せる。最後に海に還る山道というのは美しい。孝子の住宅街を離れると、越えるピークはもう少ない。甲山、四国山、高森山。



曇り時々晴れ。予報はそう言っていた。城ヶ崎の突端から岩のゴツゴツする海辺に下りる。あと3時間くらいしていたら青空が優勢になっていただろうか。靴を海水で濡らした。もうそろそろ履き潰しそうな靴の、ひび割れのところから水がしっとり染み込んできた感覚がして、慌てて岩の上に飛び乗る。フナムシが弾けるように散り散り逃げていく。今日の累積標高差は1,500メートルくらいだろうか。海沿いの県道を歩いて、本当のゴールは南海の加太駅だ。人の数が増える。汗と泥に汚れた姿は私だけ。異星人の里に放り込まれたような居心地の悪さを覚える。居心地…山だけは居心地のよい場所だ。後輩の彼にせよ、山の話を聞きたがる人は時々いる。別に誇張も着飾ることもせず、いまはただ聞かれたままを答えているけれど、そんな私に憐れみを投げかける最初の人間は誰になるのだろうか。あるいはすでに?

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